日本一の長寿雑誌「中央公論」編集長インタビュー「クオリティの一線は譲らず、この大切なプラットフォームを守っていきたい」
1887年創刊の「中央公論」は現在、日本で発行されている雑誌のなかで最も長寿な雑誌である。政治、外交、経済といった論壇誌らしいテーマはもちろん、近年はサブカルチャーやインターネットの話題もとり入れ、国内外の“今”をとらえようとしている。2000年代に休刊が相次ぎ数の減った論壇誌のなかで「中央公論」はどのように歩もうとしているのか。「読売新聞」で豊富な記者経験を持ち、昨年から現職に就いた五十嵐文編集長に聞いた。(円堂都司昭/6月20日取材・構成)
新聞記者から雑誌編集長へ
――学生時代からジャーナリズム志望だったんですか。
五十嵐:とにかく外国へ、特にアメリカへ行きたかったんです。親戚がいたこともあり、憧れていました。現地に住んで取材すれば自分の知識も増えるし、それを日本に伝えてお金をもらえるだなんて最高だな、新聞社で海外特派員になるんだと単純に思っていました。そのためにまずは英語を身に着けようと大学では語学を専攻し、アメリカにも留学してアメリカ史や国際関係論などを勉強しました。ちなみにアメリカ研究者で慶応大学教授の渡辺靖さんは、大学のゼミの同級生です。
――1990年に読売新聞社へ実際に入社してみて、どうでしたか。
五十嵐:バブル世代でマスコミ志望者向けの研究会も盛んでしたから、時事問題に詳しくて報道の使命を熱く語る周りの同期がみな賢く見え、地に足が着いていない私は場違いなところへ入っちゃったなと焦りました。新聞社へ入ると1ヵ月もしないうちに地方支局に出されるんですが、私は千葉支局に配属されました。警察・司法回り、選挙担当などをやるうちに、私はアメリカの公民権運動や歴代大統領のことは知っていても、いかに日本のことを知らないか、痛感しました。外国へ行ったとしても日本と比較対照できないし、このままではまずい、勉強しなければいけない、やるならば中枢でやろうと思って政治部を希望しました。
そう考えるうえで決定的だったのは、1993年の衆院選です。新党ブームなどがあって、自民党が与党、社会党が野党第1党という55年体制が終わった。当時の千葉では、県議会の若手で後に首相になった野田佳彦さんに注目していましたが、彼をはじめほぼ無名の3人が日本新党から立候補し、全員当選したんです。結果的に自民党は下野し、政治の大きなうねりを身近に感じて興奮したのを覚えています。1995年に政治部へ移り、以後10年間は国内を取材しました。2005年からようやくワシントン特派員としてアメリカで取材し、2008年末に帰国した後、政治部に戻って首相官邸キャップを務めました。民主党の鳩山由紀夫政権、菅直人政権の時代です。
中国の台頭が目立つ頃でした。中国特派員に関しては、それまで大学で中国語を勉強した中国の専門家を行かせることが多かったのですが、中国と世界とのかかわりがより重要になってきたので、日本やアメリカで政治外交関係を見てきた人間も出した方がいいだろうという話になって、私が行くことになりました。中国語の素養ゼロでしたので、1年間、北京の清華大学で勉強する猶予をいただいたうえで4年半、北京特派員として取材しました。2017年に日本へ帰って社説を書く論説委員、国際部長をやって、昨年4月に中央公論新社へ異動しました。……すいません。今に至るまで長い話になりました(笑)。
――読売新聞社への入社時点では当然、新聞で働くつもりだったでしょうし、「中央公論」という雑誌へ移るとは想像していなかったでしょうね。
五十嵐:関連会社ですし、中央公論新社は読売新聞社と同じビルに入っています。読売にもかつて出版局があり、同じように会社を移った同僚もいます。ただ、私自身は出版とは無縁でしたので、昨年4月に「中央公論」へきて2ヵ月間の見習いを経て6月から編集長になったんです。なぜ? というのはありました。無謀ですよね、会社も(笑)。
――でも、7月号の特集「安倍晋三のいない保守」では、小池百合子・東京都知事へインタビューされトップ記事になっています。彼女は55年体制を崩壊に導いた日本新党ブームの顔だった人物ですし、新聞時代の過去の仕事が現在につながっているのがわかります。
五十嵐:そうですね。ただ、「中央公論」には真面目で硬い印象があると思いますが、政治ネタだけではなく、硬軟様々な事象をとりあつかっている。私はこれまで主に硬派と呼ばれるニュースをやってきましたけど、それだけでは雑誌は成り立たちません。たとえば、老いと教養と歴史は高齢読者の多い論壇誌では取り上げる機会が多い3大テーマですし、いろんなジャンルの小説も掲載されています。また、新聞は1日に朝刊、夕刊と2回出すのに比べ、月刊誌は1ヵ月に1度だから余裕があると思っていましたが、そんなことはなかった。新聞社は基本的に記者同士ですから「こんな原稿はボツだ」といったやり取りは普通ですけど、雑誌の場合は外部の方に原稿をお願いするわけですから、そういう訳にはいかない。事前にテーマや書き手について相当詰めたうえで依頼することになります。思っていた以上に忙しいことがよくわかりました。
「中央公論」の“中央”とはどこか
――「中央公論」編集長になるまでは、論壇誌は読んでいましたか。
五十嵐:就職前は必読でしたし、入社後も外交や政治に関心がありましたから、その方面でおつきあいのある学者さんが登場している時や関心のあるテーマの号は読んでいましたけど、正直な話、定期的に必死に読む対象ではなかったです。
――論壇誌にどういうイメージを持っていましたか。
五十嵐:エリート男性が天下国家を語る場所というような、男っぽい印象でした。「中央公論」は、今年で136年目の日本で最も長寿の雑誌です(京都・西本願寺で結成された「反省会」の機関誌「反省会雑誌」として1887年に創刊。1899年「中央公論」に改題。1914年、反省雑誌社から中央公論社に社名変更。1999年、読売新聞社傘下に入り中央公論新社となる)。その長い歴史のなかで女性編集長は私で2人目だと言われても、驚きはなかったです。新聞社もだいぶ変わってきたとはいえ、男性中心社会でしたし。
ただ、実際、中央公論新社へきて見ると、女性社員がたくさんいる。今は男性70人に対し女性80人です。私の直属上司の局長は女性ですし、女性部長も多い。出版業界全体を見渡しても女性は決して少数派ではないのに、論壇誌というところは相対的に見て女性が少なすぎるのかなと思いました。
――「中央公論」は1913年に臨時増刊で婦人問題号を発行し、それを発展させる形で1916年に「婦人公論」が創刊されました。その意味では問題意識を持ったのは早かったけれど、議論を男女で分けてしまったところがあるのでは。
五十嵐:「中央公論」と「婦人公論」で男版、女版のようになったところはあるかもしれません。ただ、例えばウクライナ戦争が始まって以降、テレビで女性の国際政治学者の方たちが活躍されていますよね。海外を見渡しても、国際機関などの第一線で働く日本人はむしろ女性が目立ちます。論壇で活躍できる女性の人材は多いんです。我々もどんな特集を組む場合でも、声をかける時に筆者や論者が男性一色にならないよう意識していますし、自然とそうはならないんです。以前は論壇の大御所というと男性が圧倒的に多かったかもしれませんが、今は女性を無理に入れなくても必ず適任者が見つかると思っています。
――「中央公論」の編集長になった時、どんな方針を立てましたか。
五十嵐:保守的に聞こえるでしょうが、老舗の伝統は大事にしなければいけない。爆発的に売れている雑誌ではないけれど、良識な言論を支えてきた長い歴史と信頼感がある。売れっ子の学者さんや論者の方にお声がけすると、スケジュールの都合でどうしてもダメという方はいても、ほとんどは前向きに引き受けてくださる。それは、伝統や信頼感があってのことだと思います。読者の関心を引こうとするあまり、センセーショナリズムに走り、積み上げてきた信頼を棄損するなことがあってはならない。まずは、信頼感のある雑誌であり続けたいと、最初に考えました。
その上で編集部では、「今、なぜこのテーマを取り上げるのか」という意識を常に大事にしていこうと言っています。老い、教養、歴史といった普遍的なテーマを扱う場合でも、今ならではの切り口は必ずあるはずです。現代を生きる読者の思索や問題解決のヒントになるような内容を届けられたらいいな、と考えています。月刊誌のサイクルはかなり微妙で、新聞のような速報性はないけれど、書籍よりもずっと短いスパンでアウトプットできる。2、3ヵ月から1年先くらいを見通してどんなテーマを設定するか、それをどんな角度で見せるかが難しい。そんな特性を踏まえながら、旬のテーマ、そして旬の書き手を探すことを意識していきましょうと話しています。
もう一つ、いい原稿に偶然はありません。せっかく原稿を読み始めた読者が、わかりにくい言葉や表現にぶつかって途中でつまづいたり、振り落とされたりせずに終点までたどり着けるよう、表現や構成の地ならしをするのが編集者の大事な役割の一つだと思っています。原稿にはかなり細かくダメ出しするので、部員はげんなりしているかもしれませんが。
――現在、編集部は何名ですか。
五十嵐:私を含め5名です。でも、小説に関しては文芸セクションの編集者が作家さんと直接やり取りしていますし、中公新書や中公新書ラクレ、ノンフィクションなど、社内の別の部署の編集者にも企画のアイデアを出してもらうなど、遊軍的にかかわってもらっています。著書を予定している方にそのエッセンスを先出し的に書いていただいたり、対談していただいたりすることもあります。雑誌を発行する出版社の強みはあると思います。
――2000年代に講談社の「月刊現代」、朝日新聞出版の「論座」、文藝春秋の「諸君!」、2018年には「新潮45」が休刊するなど、論壇の地図は変化したと思います。ネット論壇と呼ばれるものもあります。論壇誌は右だ左だといわれやすいですが、ライバルとの距離感で見え方が変わる面もあるでしょう。現在の「中央公論」の立ち位置をどうとらえていますか。
五十嵐:「中央公論」の“中央”は、どこかなと思っています。読売傘下の雑誌ですが、朝日読者の流入もけっこう多い。関連会社なんだから親会社の読売と一緒だろうという方もいますけど、雑誌は“雑味”があった方がいいと考えています。新聞の社説と同じ幅では面白くない。今の時代、ネットの世界で顕著ですが、党派色を鮮明にした方がコア読者に届いて売れやすいと考える傾向があります。でも、片方にだけ振り切って右だけ、左だけに訴えかけるものにはしたくない。かといって、バランスをとりすぎるのも、いったいどっちなんだよと言いたくなるでしょう(笑)。毎号必ずきっちり左右を両論併記してバランスをとらなくても、べつの号も含め、全体としていろいろな論点をとりあげればいいと思います。もっと“雑”であっていい。
ライバルとの距離感については、今は論壇の地図や確たるライバルがよく見えないのが悩み。だから、どこかに対抗してやろうという意識は、ないです。周りもうちをライバルと思っていないかもしれない(笑)。若い人だけでなく、今は新聞、書籍、雑誌を読む人が減っているから、いろいろなプラットフォームがあっていいし、ネット論壇もあっていい。そうしたなかで、うちは若干独自路線になっているかなという感じです。