曽我部恵一はなぜ“デモテープのような本”を出したのか「今の自分の生活を自分の言葉で書いておきたかった」

 サニーデイ・サービスの曽我部恵一による16年ぶりのエッセイ集『いい匂いのする方へ』(光文社)が刊行された。かつてのエッセイでは端正な文体で音楽や文化全般を論じていた曽我部だが、本書では率直な筆致で日々の生活の様子、またその中で生まれた喜びや戸惑いを綴っている。その赤裸々ともいえる内容に、驚きを覚える曽我部ファンも少なくないはずだ。

 アーティストにしてレーベル代表であり、レコードショップやカレー店のオーナーでもある曽我部。本書では現在の創作活動や仕事に対する考え方を惜しみなく明かす一方、3人の子を持つシングルファーザーでもある曽我部自身の苦悩や葛藤、そして子どもたちに寄せる深い愛情についても包み隠さず文章にしている。それらは曽我部が作り出す曲のように、軽やかでありながらも読み手の心をふいに揺さぶり、触発するエッセンスを含んでいる。

 この意外性のあるエッセイ集はどんな経緯で生まれたのか。また曽我部自身は今回どのように文章と向き合ったのか。創作中のことや現在の思い、家族のことなどを聞いた。

推敲してないデモテープのような本

ーー今回の本では、曽我部さんのミュージシャンとしての姿だけではなく、父親としての一面やプライベートのことなど私的な部分が多く書かれています。全て書き下ろしのエッセイなんですよね。

曽我部:最初は書き下ろしと過去のものと大体半々ぐらいと考えていたんです。でも編集者の方から、シングルファーザーとして子育てのことやミュージシャンやお店の仕事のことなど、色々なお題について書いて欲しいと言われて。それなら全編書き下ろしにしちゃいましょうかと。

ーーどのくらいの期間をかけて書いたのですか。

曽我部:編集の方に会議室を3日押さえてもらって、そこで缶詰になって書きました。掲載するのは20本ちょっとかなと思っていたので、1日8本ぐらい書けたらまあいいなと思って。書いている時は「早く書き終わりたい」っていう一心で書いていましたね(笑)。後でゆっくり直せばいいやくらいで。だから推敲も全くしない状態で一気に書き上げたんですよ。そうしたら、その原稿を読んだ編集さんが「すごく良いですね」と言ってくれて。ただ、その後に推敲したものを読んでもらったら「前の方がよかったです」と言われてしまったんですよ(笑)。

ーー推敲前の原稿の方が良いと(笑)。

曽我部:そう言われて読み比べてみると、推敲したものは自分の中では歌詞を直していくように綺麗にはなっているんですけれど、推敲前の方がどこか人懐っこい感じがあるのかなと思えてきて。なので、本に載っているのは推敲前のものをベースに変なところだけ校正したものになっているんです。

ーー曽我部さんのこれまでのエッセイ『昨日・今日・明日』(1999年12月 ちくま書房 刊)、『虹を見たかい? 』(2007年6月 白夜書房刊)は端正な文体で書かれていて、厳密に推敲もされていた印象です。でも今回は文体もカジュアルで、曽我部さんの素の部分が赤裸々に出ている。そこに魅力を感じました。

曽我部:音源を作る時って、まずデモテープを作りますよね。推敲前のラフなんだけど、デモテープはデモテープで、さらけ出した良さみたいなのがあるんですよ。でも、そのままレコードとして出すことには、プロとしてずっと躊躇していたんです。ただ今回、いわば裸のままの文章で本を出してみると、デモテープをもとにしたことがいい結果になって、これまでやってきたことは一体何だったんだろうという気持ちも芽生えたんです。

ーーほぼありのままの状態での書籍を出したことが、音楽活動にも影響を与えるかもしれないということですか。

曽我部:はい、だから今回書籍を出したことですごく勉強になりました。今後はデモテープの良さっていうものをどうやって人前に出していくか……というのがちょっとした裏テーマになった気がしています。

 そういう心境になって思い出したことがあって。早川義夫さんの復活ライブで、今はなくなった渋谷ジァン・ジァンというライブハウスに行った時に、早川さん、ピアノ弾いてて失敗するんですよ。曲の頭のところでどうしても詰まっちゃう。それを2〜3回繰り返したのかな。それがとにかく印象的だった。今となってはそれしか覚えていないくらいの強いインパクトでした。それはなぜかっていうと、人間の弱さとか脆さとか、裸の部分が見えたからだと思うんですよね。もちろん演る方からしたら、それを目指しちゃいけない。でも、そういう部分にすごく惹かれる自分がいるんです。

恥ずかしいことも間違ったこともない

ーーなるほど。「裸の自分」をいかに出すのかという点でいうと、本書では次女であるうみさんが大好きな大森靖子さんのライブに、親子で行った時のエピソードがとても素敵でした。ステージを見ているうみさんの横顔を曽我部さんが描写するところは名場面だと思います。ご家族について書くことに対して抵抗はありませんでしたか。

曽我部:抵抗はなかったですね。離婚したこととか、家族の話を自分の言葉としてあまり書いたことがなかったし、今の自分の生活というものを自分の言葉で書いておきたいという思いはあったんです。

ーー確かに過去のインタビューでは、結婚やご家族のことは語られていたので、曽我部さんが子育てに奮闘されていることはなんとなく知っていました。ファンからすればそれらをまとめて読めたという楽しさや発見があると思います。それに曽我部さんの素の部分というのは長年のリスナーとして見ると、ここ10年ぐらいは特に愛嬌として出ていたような気がしています。

曽我部:本当ですか。そう思っていただけたらありがたいです。これまでの音楽活動を振り返ると、90年代はとにかく名盤を作ろうみたいなことを考えていましたね。今はそうではなくて、自分のありようを音楽として表現することが一番いいと思っていて。目的みたいなのが変わってきているかもしれないです。僕はジョン・レノンが好きなのですが、ジョンってソロになってからは特に自分をさらけ出して活動していましたよね。みんな自由でみんな好きなことをやったらいいっていうのが、やっぱり僕が好きなロックのメッセージなんです。何も恥ずかしいことも間違ったこともないっていう。「こうしなきゃいけない、それがロックなんだ」っていうルールみたいなものができちゃうのが一番ダメだと思っていて。これが自分なんだ、としっかりと言えることが一番大事な気がするんですよね。

ーーちなみに、うみさんとの関係はその後どうですか。

曽我部:本にも書いていますが、うみは元々たくさん話すタイプじゃないので、時々音楽の話をするくらいですね。僕の曲はあんまり聴かないみたいですけれど(笑)。むしろ中3の長男の淳の方が父親の影響を受けているかもしれないです。最近ビートルズを聴いているみたいでレコードの話もするようになりました。長女のハルコはほとんど話さなくなっていて、それがすごく寂しかったんですけれど、韓国に留学してからはLINEで色々近況を教えてくれるようになって。離れてみるとまたいろいろ違うんだなと実感しましたね。

家族のために自分を犠牲にはしなかった

ーー曽我部さんがお子さんたちを大事にされていることが、本書からも十分に伝わってきます。

曽我部:親ができるのは愛情を与えることだけですからね。どのくらい愛情を注げるかによって子どもの人生って変わると思うんです。シングルファーザーとして子どもたちにはできる限りのことはしてきたけれど、子どもからしてみれば、僕がそうだったように「愛してくれてありがとう」なんて思っていないと思う。だからそのことに対して見返りを求めていないんです。ただ僕は家族よりも自分のこと、何より音楽が大切なんです。もちろん家族のことは大好きだからできる限りのことはやっているけれど、自分を犠牲にしてまではやっていなかった。

 子育てって本当に大変ですよね。こうしなさいっていうマニュアルが多すぎるから、悩む人が多いと思うんです。でも僕がそうであったようにマニュアル通りにちゃんとできなくても、子どもはしっかりと育っていくから大丈夫なんです。愛情を注ぐのと犠牲は違うし、お互い依存しあうのも違う。そのことはしっかりと伝えていきたいですね。

関連記事