『チェンソーマン』デンジとアサの戦い方の違い 第二部が描く「考えすぎるがゆえの強さ」
水族館を買う際にアサは「どんな 無茶苦茶な 理屈でもいい これは 私の自意識の 問題…」と考えるのだが、武器化能力の条件に対する「解釈の幅」を広げることで、今までとは違う使い方を彼女は見つけ出したのだ。
この理詰めの思考は、頭のネジがぶっ飛んだデンジのめちゃくちゃな戦い方とは真逆のものである。悪魔が繰り出す予測できない攻撃をデンジは強引な力技でねじ伏せてきた。一方、アサは何度も葛藤し、ひたすら考え抜いた末に悪魔を倒す方法を発見する。第2部のアサの戦い方は、第1部のデンジと比べるととても論理的で、弱いからこそ頭を使って必死で戦っている姿が印象に残る。
デンジを筆頭に『チェンソーマン』には、ぶっとんだキャラクターが多数登場する。対してアサは武器化能力こそ持っているが、内面に関しては普通の少女である。だからこそ、何かある度にうじうじと考え込んでしまい、痛々しい失敗を繰り返すのだが、そんなアサの「考える」姿を作者は肯定的に描いているのではないかと感じる。
実はこの「考える」というテーマは、第1部の終盤ですでに芽生えていたものだ。無知で物事を深く考えずにいたが故に、マキマに自分の人生が支配されていたことに気付いたデンジは、彼女を倒すために自分の頭で作戦を考えて、最後の戦いに赴いた。
アサを中心としたことで「考える」というテーマが、第2部ではより強調されているように感じる。自意識過剰なアサは『チェンソーマン』の世界では、凡庸で弱々しい存在だが「考えすぎるがゆえの強さ」を作者は描こうとしているのかもしれない。