人口300人の限界集落は食人文化のある村だった……恐ろしくも悲しいホラー漫画『ガンニバル』

 食人。これほどインパクトのある言葉はそうそうないだろう。だからこそ、食人は古くから過激なホラーやサスペンス映画のテーマとして好まれてきた。

 だが、二宮正明著の『ガンニバル』(日本文芸社)は、更に上を行く過激さで“食人ジャンル”における差別化を図ることに成功している。食われるのは、子ども。しかも、外部から来たものを捕まえて食べているのではなく、食べることを前提として産み、家畜として育てた人間の子どもなのだ。

限界集落を舞台に繰り広げられる悪夢

 『ガンニバル』の舞台は、人口300人ほどの限界集落の供花村。そこに新たな駐在としてやってきたのが阿川大悟だ。村民は阿川と家族を暖かく迎え入れるが、実際は排他的で阿川家は常に監視されている。

 じっとりとまとわりつくような視線。何かしていると、見計らったかのように現れるタイミング。親切に見えて牽制するようなアドバイスの数々や、受け入れ難くも尊重しなければならない土着信仰。後々明かされる村の秘密がなくともホラー顔負けの不気味さなのだ。

子どもを食べる合理性

 供花村には食人の噂がつきまとう。阿川も、供花村の住人がクマに食害されて死んだ人を弔うために、仕留めた熊を食べて食葬するのを目撃する。

 「弔うため」だと言われ、阿川もクマの肉を食べるように強要され、受け入れる。このエピソードのように、『ガンニバル』には、死と食が強い結びつきを持って描かれている。

 最終的に、阿川は、供花村を牛耳る後藤家の人々が、村で生まれた子どもを家畜として数年間飼育してから食べている事実を突き止める。

 ホラー作品には、子どもは被害に遭わないとか、食人被害にあうのは外部からやってきた人といったクリシェが存在するが、本作では、未就学児が生きたまま食べられるのだから驚きだ。

 だが、気を衒って過激な設定にしているのではない。村で生まれた子どもを食べるのは合理的な考えからきているのだ。 村には食人を受け入れなければならない事情があるが、共に暮らしてきた住民に「次はお前が食われろ」とは言えないだろう。だから、妊婦には「死産だった」と伝えて新生児を取り上げ、秘密裏に家畜として育てるのだ。人間として育てられなければ、人間として生きたいという考えも生まれないのかもしれない。村人にとって、子どもを犠牲にするのは、逃れられない食人文化を維持するための、せめてもの良心だと解釈できる。なんと合理的で残虐なのだろう。

関連記事