山下和美のエッセイ漫画『世田谷イチ古い洋館の家主になる』完結  日本で古い建築を守る「意義」と「難しさ」

インフルエンサーが古い建築に住めば解決する?

 価値ある建築が次々に取り壊される問題は、もはや日本の伝統芸と言えるような状況だ。国宝級の城郭や寺院を壊しまくった明治維新の頃や、やはり明治時代の洋館を壊した高度成長期の頃から何も変わっていないのだ。

 こうした状況をどうすれば変えることができるのか。筆者の知り合いの不動産業者は、「日本で古い家に住むことがトレンドになれば変わるのではないか」と語る。なぜ、古い建築は取り壊されてしまうのか。それはハコを新築した方が不動産の資産価値が上がるためだ。それならば、古い方に資産価値がつき、所有することにステータス性が生まれれば壊されないのである。

 例えば、HIKAKINのようなインフルエンサー的な人物が洋館に住み始めたり、青木美沙子が洋館を舞台にロリイタの文化を広めたり、イケイケのIT実業家が昭和初期の古いビルを買い取って情報発信基地にするなどして、「古い建物に住むのがトレンドになり、古いビルほどテナントが入るようになれば、わざわざ耐震改修して手間をかけてでも守ろうとする機運が生まれるかもしれない」と、先の不動産業者は言う。

 もしくは、『ラブライブ!』や『ぼっち・ざ・ろっく!』などの人気アニメの聖地になるのもありなのかもしれない。洋館が登場するアニメでは、『ゾンビランドサガ』には佐賀県唐津市の「旧三菱合資会社唐津支店本館」が登場する。滋賀県豊郷町の「豊郷小学校旧校舎群」は『けいおん!』の舞台として高名だが、かつては町を二分し、解体か、保存かで大きな議論になった。

 こうした聖地化を進めることで、建築を守る機運を醸成することもできるかもしれない。だが、聖地巡礼が成功するか否かはアニメのヒットにかかってくるため、別の問題が生まれてくる。やはり、建築の保存は難しいのだ。

佐賀県唐津市の「旧三菱合資会社唐津支店本館」は明治41年(1908)の竣工。アニメの聖地になっている洋館では代表的なもの。設計は三菱丸ノ内建築事務所。唐津出身の建築家の曾禰達蔵は三菱の建設顧問であった。写真=山内貴範

建築を守るのは人々の愛着と熱意

  山下和美の運動が成功したのはなぜか。そもそもなぜ山下が「旧尾崎邸」を守ろうと思ったのか。それは、北海道小樽市に生まれ、子どもの頃から洋館に囲まれていたという原体験があった。「旧尾崎邸」を残したいと思ったきっかけは、建築学的な価値云々よりもかわいくて素敵な洋館であるという純粋な想いであった。

 小難しい学術的な話よりも、こういう人々の純粋な思いの方が共感を呼びやすいと筆者は考える。例えば、辰野金吾が設計した東京駅の赤レンガ駅舎が残ったのは、ひとえに運動を始めた市民の愛着が大きかったためではなかったか。こうした草の根的な活動は重要だ。弘前市は前川國男の建築を観光資源として活用する動きを見せている。島根県には、菊竹清訓や安田臣が設計した山陰地方のモダニズム建築を広めようとする「大建築友の会」のような活動もある。こうした活動が盛り上がっていってほしいものだ。

東京駅の赤レンガ駅舎(東京駅丸ノ内本屋)は大正3年(1914)に辰野金吾と葛西萬司の設計で建てられた。昭和20年(1945)に戦災に遭って多くを焼失したが、戦後に仮復旧。その後は取り壊して駅ビル化する構想もあったが、市民団体を中心にした保存運動で解体を免れ、創建当時の姿に復原された。写真は今となっては貴重な復原前の姿。写真=山内貴範
鳥取県、島根県など山陰地方には戦後を代表するモダニズム建築が多い。この「島根県庁舎」は建設省に所属していた安田臣の代表作で、戦後の勢いを感じさせる迫力満点の建築。写真=山内貴範

 歴史的建造物に対し、維持管理が面倒な邪魔モノという扱いではなく、地域の宝、みんなのものという意識が共有できなければ後世に残らない。廃線が取り沙汰される各地のローカル線にもいえるのかもしれないが、一度失くしてしまったものは二度とよみがえらせることはできないのだ。地域の10年、50年先を見据えた議論が必要だろう。

 間違いなく、歴史的建造物は今後の地域振興や観光立国を考えるうえでも欠かせない存在になってくるだろう。山下和美の漫画『世田谷イチ古い洋館の家主になる』は、建築に関する様々な問題を考えるうえで最適な、教科書になり得る一冊である。

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