目黒考二が開拓し、北上次郎が花開かせた書評文化ーー「本の雑誌」創刊者の功績を振り返る

 『本の雑誌風雲録』(本の雑誌社)を書いた目黒考二さんが亡くなった。それは同時に、『書評稼業四十年』(本の雑誌社)を書いた北上次郎さんが亡くなったことでもある。椎名誠さんらと「本の雑誌」という書評を中心とした雑誌を「目黒考二」として立ち上げ、そこに「北上次郎」ほかのペンネームを使って数多の本を紹介したことが、本を軸にしたメディアを存在させ、同時に書評という行為で食べていけるくらいの人を少なからず生み出した。この「リアルサウンドブック」というサイトが成立していることの根っこにも、目黒考二であり北上次郎の突拍子もない本好きぶりがドッカと腰を下ろしているのだ。

 カミムラ晋作による『黒と誠~本の雑誌を創った男たち~』(双葉社)という漫画が双葉社の文芸総合サイト「COLORFUL」で2022年の4月から連載されている。11月には単行本の第1巻が発売された。この漫画に描かれているのが、「黒」こと目黒考二と、「誠」すなわち椎名誠による「本の雑誌」創刊へと至るストーリーだ。

 そう聞くと普通は、エッセイストとして知られ、小説家としても日本SF大賞を受賞した『アド・バード』を始め人気作を数多く刊行し、映画監督もする椎名誠の話から入ると誰もが思うだろう。『黒と誠~本の雑誌を創った男たち~』は違った。目黒考二という人物がどれだけ“破綻した男”であったかという話から入っていった。

 椎名誠が編集長を務めていた「ストアーズレポート」を出していたデパートニューズ社に入りたいと言って試験を受け、無事に採用された目黒考二だったが、3日後に「辞めたい」と言い出した。理由は「本が読めなくなるから」。実は前に入った会社も同じ理由で辞めていた。今度は自分から入りたいと頼んだ手前、居続けるかと思いきや、本を読みたい欲望が体裁を上回った。

 椎名誠が「せめて1年は居続けろ」と説得していったんは受け入れられたものの、なぜか教育実習に行きたいと言いだし、それもどうにか会社に認めさせたにも関わらず、1か月後に戻って来た目黒考二はしばらくして会社を辞めてしまった。読みたい本があるなら会社よりも優先するという生き様に、漫画の元となった『社史・本の雑誌』に合本として収録された椎名誠の『本の雑誌血風録』と目黒考二『本の雑誌風雲録』で触れた時、同じことをしたいと思った人もきっと大勢いただろう。それは本好きにとって実現したくてたまらない夢だからだ。

 そして同時に、かなえられそうにもない夢であったはずの、本を読んで飯を喰うという生き方を自ら成し遂げていくまでのストーリーが、『黒と誠~本の雑誌を創った男たち~』には綴られている。本を読みたいという思いと同時に、読んだ本の面白さを誰かに伝えたいという思いがあった。会社を辞めても付き合いが残った椎名誠らと飲むうちに、読んだ本の感想を書いて見せるようになった。それが読者を獲得していき、やがて「本の雑誌」という雑誌創刊へとつながった。

 時代的にまだ、書評といえば新聞で大家の作家や評論家が書くものだという認識が残っていた。けれども、そこでは自分たちが読みたいSFやミステリーといったエンターテインメント系の小説が取り上げられることはない。だったら、自分たちで書いて自分たちで広めたいという思いで立ち上げた「本の雑誌」の登場が、書評を大衆化させ共感できるものへと変えていき、今の誰もが好き好きに本について話せる状況を生み出した。

関連記事