“青年失業家”田中泰延が異色の出版社「ひろのぶと」を立ち上げた経緯「本を書いて食べていける社会にしたい」
二人の連載をどうしても書籍にしたかった
――1冊目に出版したのは、新人作家・稲田万里さんの『全部を賭けない恋がはじまれば』です。帯には「この小説を世に出すために、出版社をひとつ、つくりました。」とありますが、どのようにして彼女と出会ったのでしょうか?
田中:稲田さんはコスモ・オナンという名で占い師をやっていたんです。もともと「面白い文章を書く人だな」と思っていて、ツイッター上でおしゃべりをしていました。そんな時、こくみん共済から僕に文章を書いてほしいという依頼がありました。その際に稲田さんという担当編集者がついて、方向性や文章について丁寧に編集してくれたんです。
渋谷の居酒屋で彼女と飲みながら打ち合わせしていくうちに、「あれ? 僕にまじめな文章を書かせているあなたはもしかして、ツイッターでエロい話を書いたり、占いとかしているコスモ・オナンさんと同一人物じゃないですか?」となったんです。そこで「いかにも!」となり繋がりました。
僕は彼女に“性の暴走機関車”っていうあだ名を付けたんだけど、「あなたの文章面白いし、僕に文章指導するくらいだし、もっと書いてみない?」ってことになって、noteで『日曜興奮更新』という連載が始まったんです。
本にするというのは後から出てきたアイデアでしたが、結果的にnoteの連載を編集して書籍として出すことになりました。この小説は、すごくランダムに物語が始まっているので、一見オムニバスのように読めるのですが、最後まで読むと分かるように、上京してきた一人の女性の物語なんですよ。
――私も読み進めていって、最後にそのからくりに気づき驚きました。
田中:編集には、初めて書籍編集を担当する廣瀬翼さんに入ってもらいました。僕がアドバイスしたことがあるとすれば、業田良家の『自虐の詩』のような本にしたかったということ。これは、僕が生涯で感動した本のベスト3に入る名作なんですけど、上下巻で構成されていて、下巻はとんでもない、涙なくしては読めない展開になるんです。上巻だけ読んだら貧乏な夫婦を取り巻くギャグ漫画なんですけど、下巻から暴走しだすんです。4コマというフォーマットのまま、なんでこんなことが起こるの? っていうようなことばかりです。『全部を賭けない恋がはじまれば』もそんな本にしたかったんです。
――2冊目の『スローシャッター』は、著者が仕事で訪れた海外での人々との交流を描いた紀行エッセイです。こちらもnoteで書かれたものを編集した1冊ですね。
田中:田所さんは、3年ほど前に僕がベートーヴェンの第九の話をした講演会に来てくれたんです。そこで「僕は20年ほど水産系商社に勤めていて世界中を回っているんですけど、コロナで渡航できなくなったからその経験を今書いているんです」と言うんです。それを皆に読んでほしいなと思っていた時に、『読みたいことを、書けばいい。』という僕の著書に出会ったそうです。
そして、「自分が今まで書き溜めたものを全部消して、全部書き直しています。自分はこう思った、自分はこう感じた、ばかり書いていて――そんなの0点の文章だと田中さんの本に書いてあったので直します」と言うんです。直してどうするのか聞いたら、誰も読んでくれなくてもいいから一篇ずつnoteで公開するというので、僕も楽しみにして読むよ、と伝えました。
連載が始まったらそれがめちゃくちゃ面白かった。読者もあっという間について、30万以上の「いいね」がつくくらいだったんです。僕も大ファンになって毎週更新を楽しみにしていた読者の一人でした。
実は稲田さんと田所さんは仲が良くて、1年間互いに励まし合って毎週連載をしていたんです。そんな縁もあって知り合った、二人の本を必ず出したいと思って、出版社を立ち上げたんです。
本を書くことで人生が変わることがある
田中:2023年は、「エス・エム・エス」という介護医療の人材紹介会社の創業者である、田口茂樹さんの創業時からの物語の本の出版が決まっています。田口さんはいま、アル中治療のため隔離中で、その間に原稿を書いてもらっているんですけど、これがまた泣けるんですよ。実は、彼も僕の著書を読んで、ファンですと会いに来てくれて出会ったのがきっかけなんです。
他には、なんとあの所ジョージさんの本も出すことが決定しています。実に30年ぶりということで、内容はまだ秘密です。また、落語家の立川談笑さんが現代落語を総括するような本を出したいと連絡がきたので、この3冊は絶対に出します。
――すべての始まりは田中さんのご著書だったんですね。初版2割、累進印税制を提案する出版社としてどういう未来を描いていますか?
田中:とにかく本を作りたいんですね。今回、2冊を出版して感じたのは、どんなことがあっても紙の本は絶対に残るということ。それは会社にとっても著者にとっても、そして買ってくれた読者にとっても残るものです。広告というのは形としては残らない仕事でしたが、紙の本をつくって残すことは、100年後にこれを読む人がいるかもしれない仕事です。
そして、本を1冊出すと人生が変わることがあるというのは、僕が経験したことです。書きたい人がうちの会社で書いて生活を成り立たせていく。そして、その文章を読んでくれた読者が紙の本ってやっぱりいいなと思ってくれたら、そんなに嬉しいことはないです。