文筆家・甲斐みのりが勧める東京巡りの極意「リアルに広がる映画やドラマの世界、物語を秘めたお店を見つけにいくのが楽しい」
毎日の暮らし中で、ともすれば通りすぎてしまうヒト・モノ・コト、そして場所を見逃さず、独自の視点でそれらに光をあてるのが文筆家の甲斐みのりだ。昨年11月に刊行された『乙女の東京案内』(左右社)でもその眼差しは変わらない。レトロな喫茶店に歴史ある名建築など愛する52のスポットを紹介している。
この本をなぞり甲斐の視点で東京を巡ってみるのもきっと楽しい。しかしもっと深く入り込んだ時、自分自身の新しい価値観に気づく、そんな体験ができる一冊でもある。甲斐のいう「乙女」とは、常にときめく心をもった人。性別や年齢は関係ない。乙女心は誰しもがもち得る心。世の中に左右されない、自由な価値観をもつことが大切だと甲斐は教えてくれた。(中野和香奈)
性別や年齢に関係なく心ときめくままに
——まずタイトルにもある、甲斐さんが考える「乙女」の定義を教えてください。
『乙女の東京』という本を15年前に刊行しているのですが、その頃の「乙女」と今回の「乙女」は、自分自身の中でも少しニュアンスが変わっているんです。20代は中原淳一や長沢節の本にとても影響を受けていたこともあり、女性らしく生きるには? と、「女性」にすごくとらわれていたように思います。女性ならではのしなやかさ、美しいものを愛でる心をもちたいと思っていました。15年前は、まさにそういう視点で『乙女の東京』を執筆しました。
でも今回、15年前の自分を振り返った時に、すごく違和感を覚えたんです。何かを楽しんだり、美しいものを愛でること、美味しいものを美味しいと思う気持ちは、性別も年齢も関係なくて、誰もが感じていいのでは? と。乙女という言葉は昔から使われていますが、私が再定義するとしたら、いろいろなことを感受し、それによって確固たる審美眼をもって人生を楽しむことができる人、ときめく気持ちをいつまでも忘れない人、でしょうか。乙女という言葉を聞いた人にも偏見をもってほしくないですし、そのような心は誰にでももっていてほしいと思います。
中高生の頃、祖母が足を運ぶ展覧会についていくと、そこには竹久夢二や、中原淳一の世界があったんです。その世界を知る過程で、自然と「乙女」に出会ったように思います。後に中原淳一が乙女について語っていたことを知りました。当時の女性は自由に、自分らしく生きるということが難しい時代だったからこそ、美意識をもって女性という性を生きる宣言をしなければならなかった。それはすごくよくわかります。祖母は子どもの頃に竹久夢二の絵を見ていたら親に怒られたそうです。こんな色っぽい絵を見るんじゃないって。時代ですよね。
でも今は堂々と見ることができるし、男女フラットに生きることができる。女だから男だから、年をとっているからなんていう前置きをしなくてもいいんです。自分がときめく気持ちをずっともち続け、その感覚に素直に生きていいんだと。この『乙女の東京案内』をつくって改めて実感しています。
一方で、15年経っても東京を見つめる視点は変わっていません。15年前も今も、物語を秘めたお店やものが好きなんです。お店に行くことで物語に潜り込めたり、それが実は東京の歴史の一つになっていたり……店主の強い思いや醸し出す雰囲気とか、そこにしかない佇まいが好きだというのは全く変わっていません。
街歩きを楽しむ習慣が育まれた幼少期
――幼少期や学生時代の環境が、今の甲斐さんをつくっているんでしょうか?
小中学生の頃、必ず年2回の家族旅行に連れていってもらいました。その際、親に旅行記をつけるよう言われていたんです。例えば伊勢神宮だったら、どういう歴史があるのか、どんなものが名物で何を食べたかなどをノートにメモするんです。帰ってから改めて冊子を作り、夏休みの自由研究としても提出していました。旅に行っても、近所を歩いていても、そこにあるものを気にかける習慣がいつの間にか根付いていたんです。
また母は、贈り物にいただく包装紙をきれいにとって、ノートに貼ったり、お弁当を包むのに再利用していました。そんな光景を眺めながら、高いお金を出さなくても手のひらに収まる綺麗なものがたくさんあるんだということに気づかされたんです。街を歩くと売られているお菓子だけでなく包装紙やシール、喫茶店に行けばマッチ箱やコースターを持ち帰ったりしています。それらが記憶のかけらになるんです。
大学生になってからは池波正太郎、植草甚一、村井弦斎など食道楽の随筆を読むようになりました。彼らが京都を歩いて、東京を歩いて、自分の思い出を綴りながらあんなものやこんなものを食べてと書いているのを読むのが大好きになり、自分もそんなエッセイを書きたいと思うようになったんです。
――『乙女の東京案内』の中に、居酒屋や競馬場などが入っているのがとても意外でした。
居酒屋も競馬場も、熱気があるところに惹かれるんです。昔ながらの酒場には常連客がいて、そこには店主との信頼関係があります。そういう関係性を見るのが好きですね。居酒屋では、お酒の量を飲むことに価値をおいていなくて、その場の空気を楽しんでいます。まるでリアルな映画やドラマを見ているような……。
競馬場もやっぱり同じで、賭け事はしません。ファンファーレが鳴ってからの数分間、特にゴールの瞬間は会場が揺らぐんです。その熱気を浴びに行っています(笑)。あと実は、東京競馬場には100店くらい飲食店が入っていて、本でも紹介している「G1焼き」など名物がたくさんあるんです。オリジナルのワンカップのデザインが可愛かったり、それを見て回るだけでも楽しくて。馬が身につける勝負服にも注目していますよ。それからピクニックをしている家族もいたりして、すごく平和な風景が広がっているんです。
賭け事の印象が強いので偏見もありますが、東京競馬場は見どころがいっぱいです。競馬はもともとイギリスで貴族の遊びとして親しまれた歴史があったり、森茉莉や寺山修司が競馬について書いていたりと、その背景を紐解くといろいろ見えてくるんです。もちろん最初は難しいことは抜きにして「可愛い」や「美味しい」でいいと思います。