藤岡みなみが「異文化」を捉え直して見えてきたもの 初エッセイ集『パンダのうんこはいい匂い』刊行
文筆家やラジオパーソナリティ、ドキュメンタリー映画のプロデューサーと、幅広く活動する藤岡みなみ。彼女の初エッセイ集『パンダのうんこはいい匂い』(左右社)が面白い。タイトルからパンダへの偏愛を詰め込んだエッセイなのかと思いきや、未知なるものをすべて「異文化」と捉え、身をもって“異文化交流”をしていった日々がユーモラスに綴られている。「異文化」をフラットに捉え、飛び込んでみて見えてきたものとは。初めてのエッセイ集に込めた思いを聞いた。(イワモトエミ)
身近な未知なるものとの出会いから
――「異文化」というと旅などで出会う他国の文化というイメージがありましたけど、藤岡さんはさまざまな未知なるものを「異文化」として捉えているのがとても面白かったです。
藤岡:いまの社会では「異文化」という言葉の使われ方が壁を作っているだけで終わっているように感じるんですよね。この本で「異文化」を捉え直したい気持ちがありました。
下地として、幼稚園から中学校まで転校が多かったことがあると思います。転校先も、ある意味、「異文化」ですよね。居心地の悪い場所に身を置く経験を子どものころからしていたんですけど、それをあまりネガティブには捉えたくないという思いがありました。私は入学から卒業までずっとみんなと一緒にいることはできないけれど、いろんな所で友だちが増えてよかったと、ポジティブに転校を捉えて子ども時代を過ごそうとしていたんですね。それに、はじめは居心地が悪くて疎外感があっても、数カ月くらいしたらやがて馴染むということを身にしみて体験していました。転校という経験を通して、「異文化」にはその先があることを実感として持っていたんです。
――東京から関西の学校へ転校したと思ったら、再び東京の学校に転校することもあって、それぞれの転校先で「東京の子」「関西の子」という全く別の属性で見られることもあったとエッセイにあります。そういう時は、どうやって自分の中で切り替えていたんでしょうか。
藤岡:転校するたびに、自分って確固たるものじゃないんだと思っていました。環境によって扱われ方が違えば、自分のキャラクターも変わる。当時、子役をしていたというのもあって、演技と現実の境目がついていなかったのかもしれないんですけど、自分って何にでもなれる、どんなキャラでも生きていけると思っていました。ある意味、自分をあまり信じすぎていないというか、自分自身の曖昧さをすごく体感していたから、変化もできたんだと思います。
――「異文化」に触れてそこに飛び込むことって、自分自身を知ることでもありますよね。自分の中の曖昧な部分を確認するような作業でもあるんだと本書を読んでいて感じました。
藤岡:そうですね。「異文化」に飛び込むことで、自分も変化したり、自分自身も知らなかった才能に気づけたりするかもしれないですし。
――エッセイにも登場する、忍術の体験レッスンはまさにそうでしたね。運動不足の解消のために、もしかしたら才能があるかもしれないと、区民センターのレッスンでヤリの稽古を受けたと。
藤岡:忍術の才能はなかったんですけどね(笑)。でも、あるかもしれないと思ってやってみる。確固たる自分がないからこそ、その分、伸びしろがいろんなところにもあるんじゃないかなと思うんです。よく知らないものって怖いし、だからこそ憎しみが生まれてしまうこともあって、「異文化」というと身構えてしまう人も多いかもしれません。でも最初は疎外感や恐怖を感じても、その先があるはずだと思うことがすごく大事なんじゃないかなと思います。
自分が知っているつもりになっていることって、たくさんありますよね。「異文化」って外国や秘境のようなところに行って初めて触れられるものだけではないと思うんです。エッセイにも書きましたけど、私は卵からひよこが生まれることは知識として知ってはいても実際には見たことがありませんでした。異国でのエピソードだけでなく、身近な未知なるものとの出会いについて書いたのは、そういうことだって「異文化」であるということ、そうした平等さを強調したかったからだと思います。