ライター宮崎智之「随筆というジャンルを復興したい」 最新作『モヤモヤの日々』を語る

ーーみんなモヤモヤしていることがあっても、スルーしてしまうことが多いと思います。宮崎さんのように毎日何かを感じたり、文章を書きつづけたりするためにはどうすれば?

宮崎:『モヤモヤの日々』の「凪を生きる」(第165回)という回で、吉田健一の言葉を紹介しました。「(…)我我が眼を開かれて知るのは、我々が前から知つてゐたことであり、ただそれまではさうであることだつたことがそれからはさうでなければならなくなる」。つまり、新しいものに目を開かれるのは、刺激的なことを発見するときじゃなくて、既にあったものがあるべきものになる瞬間だということです。

 僕はその状態を“凪”と表現しました。凪とは僕の父の故郷・愛媛県を含む瀬戸内などで起こる自然現象で、無風状態のことをいうんですね。子どもの時に経験していて今でも覚えてるんですけど、本当に静かなんです。猫のあくびが聞こえてきたり、セミがぽとりと落ちる音が聞こえたりする。まさに「あるものがあるべきものになる」瞬間です。無風状態というと、退屈で刺激がないように思うかもしれませんが、僕はクリエイティブな瞬間だと思う。実際、凪には朝凪と夕凪があって、ただの無風状態ではなく、陸風から海風、海風から陸風に切り替わる瞬間の無風状態のことをいうんです。

 さらにいうと「あるべきもの」にするためにはユーモアが必要で。ちょっと目線をずらすことで、物事がいつもと違って見えてきたりする。そうやって言葉を獲得することにより、世界に親しみを持てるようになると僕は信じています。

ーー言葉の獲得といえば、宮崎さんはマンションの管理人さん2人を「いい管理人さん」「悪い管理人さん」と呼んでいました。まるで昔話みたいで親しみが湧きました。

宮崎:言葉にした瞬間に親しみが湧くことは本当にありますね。「悪い管理人さん」のほうは、いつもニヤニヤしてガムをクチャクチャ噛んでいて、でも可愛く見えるんです。ちょっと話はズレるけど、カップルの間で独自の言語を作ったりしませんか。そういうのって面白いなと思います。

日常の「歓喜」を捉える随筆

ーー随筆という形式については、どう捉えていますか?

宮崎:学校で教わる文学史では、近代以降はほとんどが小説、批評、詩歌に偏っていて、随筆が後景に追いやられているイメージがあります。

 一方で(近代以前では)日本三大随筆として『枕草子』、『方丈記』、『徒然草』が知られています。吉田兼好の『徒然草』が最後で、それが中世の鎌倉時代なんですよ。

ーーそれから教科書に載るようなものはあまり更新されていないんですね。

宮崎:そうなんです。生前は随筆家として人気があった薄田泣菫や吉田健一も、文学史においては、薄田泣菫は詩人だし、吉田健一は批評家・小説家だし。でも随筆はもっと幅広く読まれるジャンルだと思うんです。

 ただ今の出版界を見ると、エッセイ本を出せるのは有名人、もしくはものすごく変わった体験をしたような人が多いですよね。僕みたいに特別に有名でもない著者で、しかも刺激的でもないものが出版されたというのは、これは日本文化の奇跡だと思うんです。随筆というジャンルを復興したいという思いがあります。

ーー今、ご関心のあるテーマはありますか?

宮崎:単著を出すとしたら、平熱、モヤモヤときて、次のテーマは「歓喜」です。歓喜といったら、ものすごく素晴らしい瞬間だと思うかもしれないけど、わりとちっぽけなところでも見つけられるような気がしていて。それは文学に触れたり、花に触れたり、犬に触れたり、日常の中で楽しみながら見つけていくものだと思っています。そういうものを言葉で捉えて、結晶させるような随筆を書きたいですね。

ーーモヤモヤと歓喜はかけ離れているようで繋がっているんですね。

宮崎:一気通貫している思想はあります。ガソリンを入れるように歓喜するんじゃなくて、花を見て「万葉集でいうとこうだ」など考えたりする中で、「あながち世界って悪いものじゃないな」と思える瞬間が「歓喜」かな。子どものときの夏休みの午前中って、めちゃめちゃ歓喜だったじゃないですか。今日何しようとドキドキしてますよね。

 『モヤモヤの日々』を読み返してみたら、歓喜の瞬間がちょっとずつあったと思いました。僕も40歳になりましたが、感覚を鈍らせずに研ぎ澄ませたいという気持ちがあります。

ーー『モヤモヤの日々』のような随筆を読むことで、自分の生活を見直して明るい気持ちになるということもありますよね。

宮崎:そう思います。Twitterとか見てるとみんな本当につらそうで。だからちょっとでも、この世界に親しみを持てるようになればいいなと思います。

ーー書くことの効能、みたいなものもあるでしょうか。

宮崎:効果はありますよ。言葉にできるようになれば、自分のモヤモヤや感情がわかるようになる。悲しいことって意外と言葉にできないじゃないですか。そういうことも言葉にできるようになれば、もっと悲しめる。ちゃんと悲しむって大切だと思うんですよね。

 それに、文章は書けば書くほどうまくなります。僕はあと100倍ぐらい上手くなる自信がありますから(笑)。うまく自分の世界を表現できるようになると気持ちがいいですよ。文章が上達することで、さらにその精度が上がってくるというか、さらに面白いものになると思います。

ーー最後に『モヤモヤの日々』を通して読者に願うことはありますか?

宮崎:とにかくこの世界に対してもっと親しみを覚えてほしいなと思います。なぜなら僕が親しみを持てなくなったタイプだったからです。昔みたいに綺麗なものが綺麗に見えなくなった感覚があって、それを悲しんでいた人間なので。

 でもちゃんと世の中を見れば、もっと楽しいことがいっぱいある。言葉にすれば親しみが湧いてくるだろうし、「この世界はめちゃめちゃ素晴らしいものではないけど、あながち悪いものでもないな」と思ってもらえたらいいなと思います。

関連記事