新進作家・くどうれいん「人生ってどうなるか分からない」会社員との両立から専業作家への道程

二足のわらじで駆け抜けた日々


――仙台の大学を卒業後は、地元の盛岡に戻られて会社員をしながら作家活動をされていましたが、書くことを辞めなかったのはなぜでしょうか?

くどう:もともと作家になりたいとかは、思っていなくて。卒業後は営業職に就き、とても忙しい毎日だったのですが、働きながらも書きたい時に書ける環境はずっと持っておきたいと思っていました。集中して書いて、書き終わった瞬間「私、天才かも!」って肯定的に読み返している時間ってやっぱり楽しいんですよ。私にとってのストレス解消が書くことだったので、すごく忙しくて、しんどいなっていう時に何かを書きたいと思うことが多かったです。会社員時代は、自分の書いたものに癒されている時間がありましたね。

――新刊の『虎のたましい人魚の涙』を書くことになったきっかけは?

くどう:『わたしを空腹にしないほうがいい』を「群像」の編集長さんが見つけてくれて、お声をかけてくださり『日日是目分量』の連載が始まりました。『空腹本』は原稿用紙2、3枚分の量だったのに、この連載は10枚分だと言われて、最初はどう書けばいいかわからなかったですね。テーマは特に決めませんでした。連載が長く続くことが決まっていたので、あまり無理をしない方がいい。そして、せっかく書きながら会社員としても働いているので、同じように働いている人たちが読んで疲れを分かち合えればいいかもなと。おしゃべりが好きなので、書きたいことはいくらでもありました。

――収録作品のいくつかは、くどうさんの昔の話が多く書かれていますが、その解像度の高さに驚きました。まるで自分がその場にいると錯覚するかのような感覚に陥りました。

くどう:私は主に自分のことについて書いているのですが、自分と向き合おうとすると昔の話になるんです。今の自分の話をしたいはずなんだけど、「それでね、それでね」って話していると昔話が出てきちゃう。読者の方に言われたんですけど、この連載を読んでいると、キューブ型の飴が2色入った「キュービィロップ」を思い出すって。それがすごく嬉しくて。なんだかそういう気持ちで書いている気がします。あの飴って、緑と黄色の組み合わせでも、それぞれが何味かわからない。私の文章も一つの話をしようとすると他の話が出てきて、それが一つになって混ざり合っている感じですね。

――実際に一冊にまとめられた本書には、くどうさんの2年間の出来事が凝縮されています。ご自身で読み返されてみていかがでしたか?

くどう:意外とちゃんと辛そうだったかもって(笑)。元気に明るくやっていたはずなんだけど、読み返してみたら、ちゃんと働いているし、ちゃんと辛そう! って思いましたね。

 連載当初は、「なんで私が『群像』に?」っていうくらい他の仕事でほとんど書いたことがなくて。ずっと会社員をやりながら、楽しく書いて少し原稿料をもらえたら嬉しいな、と思っていたくらいだったので。まさか作家という職業になると思っていなかったし、小説を書いて芥川賞の候補になるとも思わなかったし、まして仕事を辞めるとも思っていなかった。「人生ってどうなるか分からない」っていうのが、ぎゅっと詰まった2年間を伴走してくれたエッセイ集になりました。

会社員と作家、生活なき両立の先に見えた独立


――くどうさんは会社員と作家を両立した生活を続けてこられましたが、会社をお辞めになりましたよね。そのきっかけを教えてください。

くどう:身体が一つしかなかったからです。それと、実は私、“生活”というものをしてこなかったんです。会社員としての4年間は、仕事が二つある代わりに生活のすべてを両親に頼り切っていた時間でした。よく、働きながら執筆もしてすごいですね、という文脈でインタビューされることもあったのですが、私はみんなが当たり前のようにしている“生活”を蔑ろにしてきたので。パートナーと同棲することになり、より原稿の仕事も増えるかもしれないってなった時に、すべてが中途半端になるのが嫌になり、ちょっと集中しようと思って会社を辞めました。

――専業作家として独立されての生活はいかがですか?

 原稿一本の生活は楽しいです! 今までは、芸能やエンタメなどは自分とは全然違う世界の人たちの仕事だと思っていたんですけど、いざ自分が作家という立場になった時、「どれも同じ仕事なんだな」と実感しました。私はどこかで、作家さんの仕事は、ものすごい才能によってできているとか、センスで生み出されていると思っていたのかもしれません。

――これからも盛岡で暮らし続けていくのでしょうか?

くどう:暮らす場所として盛岡を選んでいるわけではないんです。たまたま盛岡に生まれ育ったから盛岡にいるだけで。1週間に7日間あるうち、4日以上を会いたい人がいる場所で暮らしたいと思っています。だから今のところ、家族やパートナー、好きな喫茶店の店長などがいる盛岡に住んで、あとは仙台と東京にも会いたい人がいるという感じです。盛岡は自分にとってちょうどいい規模の街で、盛岡にいるとちゃんと自分で選んだ暮らしだなと感じることができるんです。だからといって、地元愛が強いですね、と言われると、そういうわけじゃないんだよ、ってなっちゃうんですけどね(笑)。

――最後に、私(インタビュアー)はこのエッセイ集を読んで、自分の昔の記憶が呼び起こされて、自分もアウトプットしてみたいと感じました。読者にはどのように届いてほしいですか?

くどう:『空腹本』を出した時も、日記をつけ始めましたと言ってくださる方がたまにいて、それが私にとって結構嬉しいことでした。「くどうさんみたいに面白い日常じゃないし……」と言われることもあるけれど、私は自分の特別な日常を見てほしいとはまったく思ってないんです。みんな同じくらい、いろんなことが日々起こっていて。その中でたまたま私が変なことばかり覚えていて、書かないともったいないと思って書いているだけなんです。

 あえてどういう風に読まれたいという思いはないのですが、私が会社勤めをしていたように働くすべての同世代の方々に届いてほしいですね。辛い時に、なんとかドリアを食べて、元気を取り戻してやり過ごす20代後半ってきっといるだろうし。

 私にとっての連載中の2年間は、作家になるまでの2年間だったようです。でも、もし文章を書くことに対して特別なセンスが必要だとか、選ばれた者にしか書けないと思っている人がいるのであれば、このエッセイを読んで、私でも書けるかもしれないと思ってほしい。私も面白いから書いているわけじゃなく、書いていたら面白くなっていったんです。だから、「あなたの日常も書いていくうちに面白くなるんじゃないのかな?」と伝えたいですね。


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