【漫画】知識を武器に元奴隷少女が成り上がる物語『天幕のジャードゥーガル』が凄い

 歴史を動かしてきたのは常に“悪女”である、というのはいささかいい過ぎかもしれないが、クレオパトラ、アグリッピナ、マリー・アントワネット、呂后、則天武后、西太后など、洋の東西を問わず、いわゆる“悪女”と呼ばれた女性が一国の運命を左右した、というケースは少なくない(ちなみに、「日本三大悪女」は、北条政子、日野富子、淀殿の3人である)。

 だが、果たして彼女らに“悪”の意識はあったのだろうか。彼女らを“悪”と決めつけたのは、勝てば官軍――すなわち、後の世を作った“勝者”たちなのではあるまいか。

 むろん、かといって、いまに伝えられている彼女らの行いの数々を肯定するつもりなどないが、歴史の流れを変えるほどの力を持った女傑たちにまったく魅力はないかと問われたら、そんなこともない、と答えるしかないだろう。だからこそ、いまなお彼女らの人生を描いた“娯楽作品”(映画、ドラマ、小説、漫画など)が次々と作られているのである。

元奴隷の少女vsモンゴル帝国!?

 さて、今回紹介したいのは、そんな女傑のひとりを描いたトマトスープによる漫画作品、『天幕のジャードゥーガル』(秋田書店)である。

 主人公は、奴隷出身の少女・シタラ。西暦1213年、イラン東部の都市・トゥースにて、この物語は幕を開ける。

※以下、ネタバレあり。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)

 ある時、シタラは街で有数の学者一家に預けられることになるのだが、母を亡くし、自らの帰る場所(というよりも、生きる目的)を見失っていた彼女は、その家で久しぶりに人の優しさに触れることになる。とりわけ、母親のように優しく包み込んでくれる「奥様」ことファーティマと、その息子で、あらゆる知識を学び、真理に辿りつこうとしている少年・ムハンマドとの出会いが、天涯孤独だった少女を大きく変えていくことになる(後にムハンマドは、知識を学ぶ旅に出てしまうため、ふたりが接していた期間はそれほど長くはないのだが)。

 と、そんな矢先のことであった。平和なトゥースの街が突然何者かによって制圧されたのは。押し寄せてきたのは、“地上最強”といわれるモンゴル帝国(武装した遊牧民を率いていたのは、チンギス・カンの第四皇子・トルイである)。

 ここで再び、シタラの運命を大きく変える出来事が起きるのだが、(詳細は省くが)やがて彼女は、「奥様」の名――すなわち「ファーティマ」を名乗り、憎い敵国に仕えることになる。

少女の運命を切り開く武器は“知”

 凄い物語だ。本稿の冒頭で挙げた“悪女”たちと比べ、日本での知名度はやや劣るかもしれないが、このファーティマ(・ハトゥン)もまた、一国(それも史上最大級の帝国)の運命を左右した歴史上の人物のひとりである。

 そう、単行本第1巻のカバー裏の説明文にもあるように、彼女は、後に「巨大な帝国を翻弄する魔女」になるのだ(具体的には、第2代皇帝オゴデイ(オゴタイ)・カンの皇后ドレゲネの側近となって、辣腕を振るうことになる)。そしてその“魔女”のたったひとつの“武器”が、幼い頃にムハンマドが導いてくれた“知”であった――というのが、本作の作者、トマトスープの解釈である。

 初めて出会った日、「勉強イヤ!」と駄々をこねるシタラに向かって、ムハンマドはこんなことをいう。

でも
勉強して
賢くなれば

どんなに困ったことが
起きたって
何をすれば一番いいか
わかるんだ
〜『天幕のジャードゥーガル』第1幕より〜

歴史物のジャンルで最も面白いのは“成り上がり”のストーリー

 ちなみに、この『天幕のジャードゥーガル』、史実にかなり脚色を加えているため、主人公の運命が最終的にどうなるか、現時点ではまったく予想がつかないが、実在のファーティマ・ハトゥンについては、その最期はかなり衝撃的なものであったと伝えられている。また、サマルカンド人のシラというキャラクターが漫画にも出てくるのだが、これなどは、(その最期に向けた)ひとつの伏線になっているものと思われる。

 いずれにせよ、まだまだ物語は始まったばかりだ。木下藤吉郎(豊臣秀吉)の出世の例を出すまでもなく、歴史物のジャンルにおいて、何も持たなかった者が成り上がっていく物語ほど面白いものはない、ともいえるだろう。岩明均『ヒストリエ』や、魚豊『チ。』の愛読者はきっとハマる作品だと思うが、当面は、この“知”と美貌を武器に過酷な運命を切り開こうとしている少女の活躍から目が離せそうにない。

関連記事