元祖マゾヒズム小説、令和の時代に蘇るーーマゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』新訳が示す多様な快感

 縄で縛り、鞭で打てばOKというわけではないのだ。

 「マゾヒズム」の語源となった作家である、ザッハー=マゾッホ。1836年にオーストリア帝国領レンベルク(現在のウクライナ西部リヴィウ)で生まれ、19世紀後半に活躍した彼の代表作『毛皮を着たヴィーナス』の新訳が、光文社古典新訳文庫より8月9日に刊行されている。訳者曰く〈もっと軽やかで、遊戯やゲームの匂いがする翻訳〉を目指したという訳文で本作を読むと、痛みや苦しみから快感を得るだけではない、空想で楽しめたりもするマゾヒズムの多様な在り方に気付かされる。

 物語の舞台は、東欧の小さな温泉地。親のすねかじりで夢想家の青年である〈僕〉は、そこでヴィーナス像のように美しい女性ヴァンダと出会い心奪われる。美と愛をテーマに〈僕〉が書いた詩文を偶然彼女が目にしたのをきっかけに、知り合いとなった2人。互いの恋愛観を話してみると、ヴァンダは奔放な性格の女性だった。知性的な父の影響で神話や小説に出てくる英雄や悪漢たちの生き方に親しみ、進歩的だった亡き夫の影響で自由な恋愛を肯定するようになった。ゆえに一人の男に尽くす慎み深い生き方など、彼女には考えられなかった。

 対する〈僕〉は、尽くしたい人間だった。〈自分が女を支配するか、あるいは女に隷属させられるか、私自身が選ぶことができるのなら、美しい女性の奴隷になるほうが自分にとってはずっと魅力的だと思えます〉と語る。その根底には、少年時代に妖艶な叔母に突然縛られ鞭で打たれた経験があった。〈厳しく支配する術を知っている女はいったいどこで見つかるのでしょうか?〉という〈僕〉の問いに、身を反らせて威厳たっぷりにヴァンダは答える。〈私には、専制君主になる才能があるわ〉。

 恋愛談義の中で、〈僕〉は自らを「肉欲を超越した人間」と定義する。想像や苦悩・苦痛に官能を見出せるから、セックス抜きでも浮気されたとしても、死ぬまで愛する女性への情熱は衰えない。そんな肉欲を超越した者の愛を表現する方法として、〈僕〉は奴隷になることを提案し、彼の考えに興味を持ったヴァンダは女王さまとなることを承諾するのだが……。

 本書の面白さの肝は、〈僕〉、さらには読者の想像力を刺激する細部へのこだわりにある。たとえば、主従関係を結んでからヴァンダが必ず着ている毛皮。それは権力と美を象徴するとされ、〈僕〉にとっては子供の頃から女性への畏怖の念を呼び起こされるアイテムでもある。叩くための鞭はヴァンダが〈僕〉をお供に連れ、わざわざ市場で調達してきたもの。品定め中に店員に〈ブルドック用ですかね?〉と聞かれ、〈ロシアでは言うことを聞かない奴隷を打つために使うようなものよ〉と、言い放つ女王さま。このように道具にも文脈を与えて、興奮材料としているのだ。

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