『パリピ孔明』から考える「失敗しない男」諸葛孔明誕生の背景とリアルな失敗遍歴
モンスター孔明の史実が露見した『正史 三国志』
三国志はここまで物語だったから、孔明無双でよかったのだ。物語であるため、視点は固定される。蜀漢視点であれば、誰も文句はなかった。
でも、三国志はゲームになった。ゲームはユーザー独自に視点(自分で操作する勢力)が選べる。物語で悪役とされた曹操でも、脇役扱いの孫権でも、負け役の呂布(りょふ)や袁紹(えんしょう)も選べるのだ。
それに加え、三国志のゲームはおもしろすぎた。いろんな武将に思い入れが湧く。
たくさんの人がゲームをプレーする。敵側になった孔明にヒドイ目に遭わされる。ときには、被害者が激怒する。
「孔明、無双すぎやろ!」
さらに、この当時、本来の歴史を描いた史書が邦訳される。『正史 三国志』(ちくま学芸文庫)だ。ゲーム上で孔明にボッコボコにされてしまった曹魏、孫呉ファンのユーザーも史実を知る。
「孔明、戦争弱いやんけ!」
まあ、そうなる。こうして、諸葛孔明は死後1800年近くにして、強大なアンチを生む。
「魏の荀彧(じゅんいく)や郭嘉(かくか)の方がエライのだ!」
そりゃそうだと思う。わかってるよ。だって、荀彧も郭嘉も勝った国の人だもん。そりゃあ、立派だよ。
奇策はできず統治型と評された孔明
それに比べ、孔明なんか、所詮は弱小国の負け組の宰相だ。『三国志』の著者、陳寿(ちんじゅ)にも「軍隊の統制には向いてるけど、奇策はできず、統治型の人間でした」と評されているくらい。
実際、人材活用がうまかったとされる劉備は、蜀を制圧するときには龐統(ほうとう)を、曹操と漢中を争奪するときには法正という切れ者をいわゆる軍師格に選んでいる。本来、孔明はその後方支援役なのだ。
だが、龐統は事故的に死んでしまい、法正も長生きできなかった。孔明はディフェンダーなのに、フォワードもやるしかなくなった。これは「演義」であっても同様だ。
孔明なんて、そんなもんだ。しかも、彼は大きな失敗もしている。ぜんぜん「失敗しない男」ではない。
実は孔明率いる蜀漢が魏に勝つ最大のチャンスは、1回目の魏への出征だったといわれる。でも、孔明はそのチャンスを逃している。
大事なところに自分の親友だった馬良(ばりょう)の弟、馬謖(ばしょく)を置いてしまったのだ。孔明にとって、愛弟子のような人物だった。
しかし、結果的に馬謖は判断ミスをして大敗。蜀漢は退却せざるをえない。
こうなると、孔明は馬謖を罰せねばならなくなる。そして、この時代の罰は重くなるほど死罪の方向を向く。でも、孔明が馬謖を殺したいわけがない。
若く有能な馬謖だった。許す道もある気がする。だが、蜀漢という国の構造がそれを阻む。
この国は元々いた蜀の人たちのところに、荊州という地にいた劉備や孔明がやってきて成り立った経緯がある。孔明が馬謖ら荊州出身者に甘いと、蜀の人はどう思うだろう?
「えこひいきだ」
どんなに孔明や馬謖が清廉潔白であっても、そう思う人は必ず出てくる。
弱い国なのだ。人間関係の齟齬を生んではいけない。孔明は厳罰で臨むことを決める。
賢い馬謖もわかっていた。史書の注に彼が孔明へ送った最後の手紙が引かれている。
「あなた(孔明)は私をわが子のように扱ってくれ、私はあなたを父のように思っておりました。なんの心残りもありません」
孔明の悲痛はどれほどだっただろう。だが、その甲斐もあって、孔明の生前にこの国の政治が乱れることもなかった。彼は何もかも捨てて、この国のために生きていたのだ。
こうして、規律のためには愛する者にも厳罰で臨む「泣いて馬謖を斬る」という故事成語が生まれる。
ね、孔明なんか、そんなもんなんだよ。
でも、なんかわかんないけど、涙が出てくるね。どうしてだろうね?
失敗しない孔明は痛快で楽しく、頼もしい。でも、失敗してしまう孔明もまた、切なく、哀しく、それでいて清らかだ。実は、どっちも魅力的なのだ。