角田光代×Aマッソ加納が語り合う、使命と才能「一つのものを信じ続けられるということは強い」

みんながみんなやりたいことをやれる社会ではない

Aマッソ 加納

角田:漫才やコントもそうですが、エッセイ『イルカも泳ぐわい。』を読んでいても、感性の独特な方だなあと思いましたよ。なんていうのかな、一つひとつは確かに突飛ではないかもしれないんだけれど、発想が新鮮で、ハッとさせられる。人がふだん閉ざしている回路が、加納さんの提供するアイディアや言葉によってぱっと開かされて笑ってしまうんだと思うんです。ただ、何をしてもその回路が開かない人もいるだろうから、全然ウケないなんてこともあるんじゃないかなあ、と。

加納:独特かどうかはわからないですけど、さっきも言ったように、死ぬほど滑ることはありますね……最悪の気分になります。ただ、笑いに着地するまでの段階をすっとばしていたり、逆にくどくなりすぎていたり、単純に表現力が足りていなかったり、理由はいろいろなので、素材だけが悪いだけじゃない、ということもありますね。だからこそ台本を練らなきゃいけないんですが……笑いに着地すればいいお笑いと違って、小説はいろんな感情が詰まっているじゃないですか。それを一人の人間が書こうと思ったときに、いったいどういう軸足で進めるものなんだろう? 小説を書くっていったいどういうことなんだ? と、文章を書く仕事をさせてもらうようになって、よけいに感じるようになったんですが……。

角田:人によって違うと思うんですが、私の場合は、考えたいから小説を書くんだと思うんですよね。これはどういうことなんだろう、と思っていることを、自分と切り離して、まったく別の世界をつくりあげたうえで、文字にしながら考えていく。

加納:考える……。

角田:『タラント』でいうと〝命を使って生きる〟とはどういうことか、ということ。たとえば太平洋戦争では、お国のために、天皇のために、命を捧げることが第一と言われて、みんなそれに倣ったわけですよね。でも戦争が終わったらその価値観がまるきりひっくり返って、今は、自分のために生きなさいと声高に叫ばれるようになった。個性を伸ばせ、やりがいを見つけろ、みたいなことを大人たちがもろ手をあげて言い始めているけど、やりたいことに打ち込むということが本当に自分の命を生かすということなんだろうか、実際はみんながみんなやりたいことをやれる社会ではないのに……というのを、考えたかったんだと思います。

加納:作中でみのりは、自分には何かに突き動かされるような使命感も正義感もない、って葛藤し続けるじゃないですか。自分の身の回りの人のためなら頑張ろうって思えるけど、それ以上はできないと悟って、ボランティアに関わることもやめる。刺さる人、めちゃくちゃいると思うんですよ。でも実際は、登場する人たちみんな、どんなに使命感を背負っているように見えても、けっきょく自分が「やりたい」と思えることを見つけて一歩踏み出している。そのことに、ものすごく納得するものがあって……。私も、人を笑わせたいというのは、ほんまは自分が動く動機の3位くらいかもしれないなと思いました。「これを言ったらどうなるのか」「考えた先で自分の感情がどこに辿りつくか」というような、自分自身に対する欲求が1位、2位で、仕事として成立することでどうにか、人を笑わせたいという他者への気持ちと結びつけることができているのかもしれないな、って。

角田:お笑いは、笑う以外の要素……見ている人に何かを考えさせたり、疑問を投げかけたりということも、なさるんですか?

加納:ラジオとか、舞台を離れた場所でのトークではそういうこともありますけど、ネタを見せる場では、笑わせる以外のことはしませんね。ちょっとでも考えさせてしまったら、笑いが遅れてしまいますし。たとえば熱く持論を語るキャラクターを出して「熱量高すぎやろ!」って見せ方をすることはできますけど、その持論に聞き入らせるのが目的ではない。どこをおもしろがるか人によって違うのは当然ですが、そもそもとらえ方がたくさんあるようなネタのつくりかたをしていたら、笑ってもらえなくなるので……。

角田:厳しい世界ですね。笑いと言う明確な評価点があるというのは。小説は「何だったんだこれは?」と思われたとしても、それも価値のあることとみなされる向きがあるので。

加納:ただ、ある番組でMCをなさっていた方が……その方はお笑い芸人ではなかったんですけれど、ゲストで芸人がくると笑える話ばかり進行してしまって、奥に入っていけないのがいやだった、とおっしゃっていたんです。なるほどなあ、と思いました。芸人は、場を盛り上げることが自分たちの仕事だと思っているから、笑わせることばかりに一生懸命になって、まじめに深く語る、ということをあまりしない。それが番組の趣深さを削ることもあるのかあ、と。

角田:ああ……その人の奥、人間性みたいなものとか、エピソードの核心みたいなところになかなか触れられないわけですね。

加納:文章も、一文一文、全部をおもしろくしてやろうと思って技巧をこらしても、全体像としていいものになるかというと、そうとは限らないですよね。おもしろい文章を書けたからと言って、作品としておもしろくなるわけではない。コントやテレビでウケたことをそのまま文章にしたからといって、笑えるわけでもないし。

角田:文章で、泣かせるのは、わりと簡単なんですよね。でも、読み手を笑わせるのはとてもハードルが高い。

加納:だからこそ、小説からはたくさんの感情をもらえるんですよね。お笑いにはない〝考えさせる〟ということもできる。『タラント』では、才能とは、みたいなことについても描かれていますけど、読みながら「羨ましい」って感情が長引くのはしんどいだろうなあと思いました。「悔しい」とか「あいつ、ムカつく」とかも、もちろんいややけど……。たとえば賞レースで負けたとき「目指していた場所にたどりつけなくて、悔しい」より「あいつら、ええなあ」って感情のほうが、はやく払拭したくなります。でも、人と関わって生きる以上、誰かを羨む気持ちは避けて通れないじゃないですか。めざましい成功を遂げていなかったとしても「あんな生き方できていいなあ」と思う人はいますし。でもしんどいからって、諦めるのもちがう。そういう葛藤から、30代になってようやく少し抜け出せたような気はしますけど。

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