羽田圭介が考える、初体験の価値「”チャレンジしてハッピー”は幻想。その先に行き着くために」
芥川賞作家の羽田圭介が、31歳から34歳までの4年にわたってさまざまなことを「初体験」する姿を記録したエッセー集『三十代の初体験』(主婦と生活社)が刊行された。
「自分はこういう生活を送る人間だ、と決めつけてしまっている部分があるのではないか」という羽田の思いから雑誌での連載がスタート。猫レンタルやラップ教室といった羽田自身が関心を寄せていたものから、YouTuberやVRアトラクション、サウナフェスといったその時々の話題のものまで、ジャンルは幅広い。「初体験」というワクワクする言葉の印象とは裏腹に羽田のテンションが高くない回も多いのだが、冷静な姿はどこかユーモラスでもあり、前のめりではないゆえ予定調和にならず、思ってもみない展開が生まれている。
さまざまな初体験を繰り返す中で、羽田は何を得たのか。初体験の価値について、語ってもらった。【記事の最後にサイン入りチェキプレゼント企画があります】
猫をレンタルし、ラップ教室でギャングスタラップを披露
——50近くの初体験に挑戦しています。改めて一冊にまとまってみて、いかがですか?
羽田圭介(以下、羽田):挑戦といっても小ネタが多いですけどね。実際には雑誌の連載エッセイで70ほど体験していて、その中から選んで収録掲載しました。いつかやろうと思いながらなんとなく機会がなかったことと、連載を通して偶然体験したことがありますが、やってみるとどちらも意外な感想を抱くことが多かったです。
やろうと思ってやっていなかったことって、やるまでが独自の時間なんですよ。最中はそんなに新しくなくて、「なんでやってなかったんだろう……」と疑問ばかり感じてしまう(笑)。ただそういう体験をすることで、次に新しいことをする抵抗感が薄れますよね。他のこともやったらいいんじゃないかと思えます。
——何か印象に残っている体験はありますか?
羽田:そうですね……(ページをめくりながら)猫レンタルとか。ペットを飼ったことがなかったので、3日間も一緒にいるのが新鮮でした。散々かわいがった挙句、自分でも予想外のラストを迎えましたけど。
——なかなかケージから出て来ず「気難しい大御所」のようだった猫のリクくんと仲良くなったと思ったら、別れはあっさりだったという……。羽田さんも「むこう数十年は、自分が猫と暮らすことはないだろう」と書いています。
羽田:動物がかわいいことと、それを人間が飼うことは全然別の話だと思いました。ペット好きの人に言うと喧嘩になりそうですけどね。
——ラップ教室ではかなり強気のギャングスタラップを作詞して歌っています。ヒップホップユニットのキングギドラについても触れていましたが、もともとヒップホップが好きだったのでしょうか?
羽田:2000年代はじめの頃にCHEMISTRYやゴスペラーズのような日本のR&Bをよく聴いていたのですが、同時期にキングギドラの『最終兵器』が出て、局所的にハマりました。恋愛や日常をテーマにしたポップなラップが嫌いだったので、そういったものを批判した歌詞には「よく言ってくれた!」と思いましたね。
ただ今回ラップ教室に通ってみたら、お手本として見せてくれたのがKREVAのライブ映像だったんですよ。高校時代から十数年が経って、改めて韻の踏み方を理解して聴いたら「KREVAすげー!」ってなりました。当時はキングギドラが自分の気持ちを代弁してくれていると思ったけど、キングギドラだけじゃなくてKREVAもすごかった。若い時は視野が狭かったなと思いましたね。
——体験するテーマはどう決めたのでしょう?
羽田:気になったことを箇条書きにしたネタ帳を編集者に送って、その中から選んだり、派生した提案をもらったりして決めました。十二単を着た回なんかもあります。
——法王のようになっていた回ですね。羽田さんが「これは絶対にやりたい」と思っていたものはありますか?
羽田:ダンスは「やらなきゃいけない」と思っていました。28歳ごろから習いたかったんですよ。ものにするにはそれなりの時間がかかるでしょうし、40代になれば体力的にも衰えるはずなので。ヒップホップダンスを2年半ほど続けて、一時期は仕事終わりで疲れていても通っていましたね。
——一度きりじゃなく、その後も続いたものもあるんですね。
羽田:そんなに多くはないですけどね。ダンスも今はコロナで中断して、そのままになっていますし……続いているものだとYouTuberとか。あと、瞑想は最近たまにやっています。といっても、迷いながらなんですけど……。やると雑念が消える気がするけど、雑念が消えたら小説家として書くことがなくなりそうじゃないですか。でも瞑想で深みが出たら、ものすごいものができそうな気もするし……なんか、うまく瞑想できていないかもしれません。
——かなり迷いながら瞑想しているんですね(笑)。反対に、あまり乗り気ではなかったものは?
羽田:トランポリンエクササイズは、最初は「どうせちゃらちゃらしたエクササイズでしょ」とナメていたかもしれません。「根性ない人が跳ねてるだけ」なんて思っていたら、曲や手本のリズムに合わせてジャンプし続けるのが難しい。45分間のペース配分を考えなければいけないし、めちゃくちゃキツかったです。先生に「メークサムノーイズ!」と煽られるんですけど、他の生徒が「イェーッ」と声を出すところ、ひとり「ウワーーーーー!!」とスパルタ風の雄叫びをあげて乗り切っていました。
初体験に期待してもしょうがない
——パーソナルカラー診断の体験記では、「主観と客観」という、羽田さんの小説のテーマでもある問題と深く繋がっていると書かれていました。
羽田:パーソナルカラー診断はわかりやすくこのエッセイの本質が出た体験だと思います。自分はファッションにこだわりがないと思っていたんですけど、講師の方に今までの自分と違う色やデザインを勧められるなかで、実はめちゃくちゃこだわってたんだと気づいて。診断を受けたあとも選ぶ服は変わっていないんですけど、クローゼットを見たり洋服を買いに行ったりする時、内面が少し変わっている。プロセスが全然違うんです。自分のこだわりを自覚するのは普通に暮らしていたらできなかっただろうと思いますし、まさに主観と客観について考えるきっかけになりました。
——小説のテーマや、羽田さん自身の考えと結びつくような体験は他にもありましたか?
羽田:ボルダリングは今読み返しても、自分がここ数年考えていることを書いていると思います。というか、体験を通して自分の考えに磨きがかかりました。ボルダリングは体力勝負に見えるかもしれませんが、どういうルートをどう進むか、体をどう使うか考えなければいけない。そしてただ頭を使えばいいわけではなくて、時には力任せの野蛮さも必要になる。それは体力がある序盤にしかできないんですよ。
「人間は若いうちは体力があるけど経験や知識がない。年を取ると体力は衰えるけど賢くなるから成長していくんだ」みたいな文言が巷にあふれていますけど、年を取って賢くなっても行動する気力や体力がなければ何もなし得ない。そのことに改めて気づきましたね。
最初から全部できなきゃいけないというのは厳しい考えだし、自分自身も戒められます。ただ、それと近い話ではあるんですが、実際に面白い小説を書ける期間だって限られていると思うんですよ。読者のニーズと自分が考えていることが釣り合うのって、50代くらいまでなんじゃないかな。もしそうだとしたら自分もあと20年くらいしかないので、のんびりしていられない。年齢を重ねて達観することで失われるものもありますし、未熟なうちにたくさん書いておかないとダメだなと思います。
——「おわりに」では、連載期間の31歳から34歳まででものごとの考え方が変わっていると書いています。31歳の文章を「焦燥感も滲み出ていた」と評していますが、当時はどんな気持ちだったのでしょう。2015年に『スクラップ・アンド・ビルド』で芥川賞を受賞してから約2年後ですよね。
羽田:20代の頃は地味に家でずっと小説を書いていたので、30代になったばかりの当時は「世間にはたくさん知らないことがある。いろんなことを今から全部体験しないとダメだ」と焦っていたんでしょうね。でも、この企画で初体験を繰り返すうちに落ち着いていきました。どの体験も似ているよな、少なくとも自分の感じ方は同じだな、と気付いていったんです。
ある意味、それは逃げ場がなくなることでもあります。「初体験に過剰な期待をしてもしょうがない」と気づくことになるわけですから。初体験って実は簡単なんですよ。初めてやったことで失敗しても、誰からも咎められないし傷も浅い。自分がずっと考えているけど答えが出ないことに向き合うとか、そのほうがずっと難しいんです。
だからこの連載も、「出口は普段の自分が考えていることの延長線上にしかない」と気づくためのものになりました。