藤本タツキが挑んだ短編漫画「ルックバック」 込められた切迫感と“漫画でしか描けない現実”

以下、ネタバレあり。

 物語は小学校からはじまる。学年新聞に4コマ漫画を書く藤野は隣の組の不登校の生徒・京本に4コマ漫画の一枠を譲ってほしいと教師から言われる。

 「学校にもこれない軟弱者に漫画を描けますかねえ?」と京本を見くびっていた藤野だが、学年新聞に掲載された京本の漫画「放課後の学校」は学校の精密な背景が4枚並んだもので、藤野の絵とは比べ物にならない上手さだった。

 隣の席の男の子に「京本の絵と並ぶと藤野の絵ってフツーだな」と言われて悔しいと思った藤野は漫画を描くために絵の勉強をはじめるのだが、その見せ方が実に素晴らしい。漫画を描く藤野の姿を背中越しに捉えた時間と場所の違うカットを無言で並べることで時間経過を表現し、人体デッサンや遠近法といった漫画を描くための本が本棚に少しずつ増えていく。黙々と漫画を描く藤野の服装と部屋の内装がゆっくりと変わっていく流れには静かな迫力があり、細かく書き込まれているのに白く儚げに見える背景が美しい。

 レイアウトとコマ運びこそが藤本タツキ作品の最大の魅力で、文字による説明は最小限に抑えられている。極論を言うなら、2コマあれば世界の本質を表現できてしまう漫画家である。

 週刊連載だった『チェンソーマン』と比較すると絵柄は丁寧で落ち着いたものになっており、個人的には近年の望月ミネタロウが描く、静かなテイストの文芸漫画を連想した。おそらく連載が終わった後、ゆっくりと時間をかけて描いたのだろう。構図はもちろんのこと、本棚に並ぶ漫画や足元に散らばっているDVDなど、全ての画に意味が込められているため、何度も読み返したくなる。

 物語はいわゆる漫画家モノで、藤本タツキ版『まんが道』(作:藤子不二雄A)とでも言うような作品だ。藤野と京本の名字が作者と一字違いなので自伝的な要素も込められているのだろう。

 小学校の卒業式に、卒業証書を届けるようにと教師から言われた藤野は、初めて京本と対面。その後、二人は藤野キョウのペンネームで漫画を描くようになる。13歳の時に応募した作品が準入選となって以降、二人の漫画家生活は順調だった。しかし、京本が美大に行きたいと言ったことでコンビは解消。藤野は漫画を書き続け『シャークキック』という『ファイアパンチ』と『チェンソーマン』を一つにしたような漫画を連載するようになっていた。

 2016年1月10日、山形県の美術大学に住所不定の男が侵入し、斧のような物で学生らを斬りつけ、12人が死亡する事件が起こる。死者の1人は京本だった。

 その後、物語は分岐し、漫画家にならなかった藤野と美大生になった京本の人生が描かれる。犯人を偶然見かけた藤野は空手で犯人を倒し、襲われていた京本を助ける。それはありえたかもしれないもう一つの世界だったが、藤野の現実は変わらなかった。彼女が再び漫画に取り組む姿を“背中越し”に描き、物語は終わる。

 本作が掲載された前日の7月18日は、2019年に京都アニメーションで放火殺人事件が起きた日だった。また劇中で事件が起きる日は、2007年に京都清華大学マンガ学科1年生の男性が通り魔に刺殺された事件が起きた日とも近い。この事件の犯人はまだ捕まっていない。おそらく「背景を描くのが上手い」京本の名字は「京都アニメーション」と「京都精華大学」の“京”から取られたのだろう。

 実際に起きた殺人事件を漫画の題材とすることに対し「悪趣味」だと感じる人も少なくないだろう。だが、筆者が一番に感じたのは、一歩間違えれば「自分がそうなっていたかもしれない」という作者の切迫感だ。これは被害者だけでなく犯人の側に対しても同じことが言える。「オレのをパクったんだろ!?」と言って、京本に怒りをぶつける犯人はきっと、もう一人の藤野であり京本だ。おそらく、藤本タツキは被害者だけでなく加害者の鬱屈した感情も同時に掬い上げようとしたのだろう。その結果「漫画でしか描けない現実」を紡ぎ出すことに成功した。今年一番感銘を受けた漫画である。

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