朝井リョウが語る、小説家としての心境の変化 「不確定な状態が自然なんだと受け入れられた」
小説としての正解があるように思っていた
ーー世間では「価値観のアップデートが必要」みたいな風潮がありますが、むしろ価値観はすぐに変化してしまうものだっていうことでもありますか。
朝井:これも私個人の話ですが、特にこの数年は自分の考え方や価値観がコロコロ変化していて、こんなスピードで考え方って変わっていくの? と不安になるくらいなんです。これまでの私は人の目をとても気にしていて、世間的に”間違った”人間だと思われたくないみたいな思いから、積み上げ始める前から設計図を書きたがるというか、いろいろと逆算をして考える癖があったんです。だけど、数年前に自分が大切だと思っていたことがあったとして、それを基に「数年後にこうなっていたい」と人生設計をしたとしても、数年後の自分が大切にしているものは全然違っているんですよね。価値判断のものさし自体がどんどん変わっていくのだから、前のものさしで描いた設計図は役に立たないわけです。そういう実感は、小説にも活きていると思います。私はかつて直木賞をいただいたこともあり、自分はエンタメ作家でいなければという意識が強かったので、ちゃんと起承転結やカタルシスのある物語を書かなければいけないと考えていたのですが、最近は「どうでもいいのでは?」と思えるようになってきました。
ーー形式にこだわらず、書きたいテーマを書けるようになってきた?
朝井:小説という箱の中に収めなきゃいけないという感覚が薄れてきたというか、小説と名付けられないようなものになってもいいのでは、というか……きっと私は、小説としての正解があるように感じていたんだと思います。今までは、正解のなさやわからなさ、不確定要素みたいなものがすごく怖かったんです。だから設計図を書きたがっていたのですが、最近やっと不確定な状態が自然なんだと受け入れられた、という感じです。
ーー『正欲』の特設サイトで、本作は朝井さんにとってターニングポイントになった作品だとコメントしていましたが、やはりそういう心境の変化を踏まえてのことでしょうか。
朝井:そうかもしれません。私はもともとプロットを作り込むタイプだったのが、今回は物語の全体像がポンって出来上がっていて、それは10年間、小説を書いてきて初めての経験でした。そのうえで、書きながら小説の形が変わっていくという感覚も初めて味わえた。「こういう書き方もできるんだ」という発見がありました。その喜びがコメントにも表れていたのだと思います。
ーー本書に対する感想として「「みんな違って、みんないい」という謳い文句に、どれだけ思考停止をさせられていたかを思い知りました」(紀伊國屋書店 新宿本店 久宗寛和氏)といった声も寄せられています。そういう感想については、どう捉えていますか。
朝井:感想は読者の自由なので、どんな感想でも「そういうふうに読んでいただいたんだな」と捉えます。ただ、いつも思うのは、作家という肩書きにはなぜだか「わかっている感」が漂っていて、それが不釣り合いだな、ということです。
今回は書店員さんがたくさん感想を寄せてくださったのですが、「ハッとした」「思い知らされた」「気付かされた」という感想をいただくことに対しては、「私もなーんにもわかっていないんですよ……」と恐縮してしまう気持ちがあります。本当に、個人が感知できる範囲というのはあまりにも狭い。だからこそ、特に結末の周辺では、何かをわかったような文章になってしまうんですよね。私は今まで、これも自縛ルールのひとつなのですが、「社会を反映した広い視野で、できるだけ共感してもらえるものを、誰も仲間はずれにならない小説を」みたいに気負っていたきらいがありました。だけど最近は、「狭い視野を狭いまま書く」ことしか自分にはできないんだと実感しました。視野が狭いまま、わからないまま、社会を広く捉えることなどできないまま、そのわからなさを受け入れながら書く。沢山の人に共感してもらうよりも、このタイミングでこういう視点の小説が生まれたという事実を、私なりに刻んでいく。そういう気持ちが強いです。
サイン会をすると読者の方に「この本を読んで、暗い気持ちになりました」「落ち込みました」と言っていただくこともあるのですが、そのたび、共感だったり癒やしだったりを求めて本を手に取ってくださっていたならば申し訳ないな、と思います。コロコロ考え方が変わる私のことですので、きっと「読者に楽しい気持ちになってもらいたい」というような種類のものにモチベーションが変わるときがいずれ来ると思うんです。読者の方々には、そんな変化も含めて楽しんでいただけたらありがたいです。
■書籍情報
朝井リョウ『正欲』
発売中
出版社:新潮社
価格:1,870円(税込)
仕様:四六判 384ページ