福嶋亮大が語る、平成文学の負債と批評家の責務 「灰から蘇ってくるものも当然ある」

 福嶋亮大氏は昨年9月、『らせん状想像力 平成デモクラシー文学論』を刊行した。「私―異常な主観」、「世界-ディストピア」、「言語-俗語化の浸透」といった傾向のみられた平成30年あまりの文学について考察した内容だ。舞城王太郎、川上弘美、村上春樹、多和田葉子、高橋源一郎、阿部和重、高橋源一郎、村上龍などなど……。ナラティヴ、内向、政治と文学、私小説、犯罪、歴史と虚構などのテーマに沿って多くの作家、作品が論じられている。昭和から平成、そして令和の今に至るまで日本の文学はいかに変わったのか、あらためて著者の見解を聞いた。(円堂都司昭/4月16日取材)

意識のもつ不安定さや空虚さを、平成文学はかたどっていた

福嶋亮大氏

――『らせん状想像力』は、まず「はじめに」で問題群を提示した後、第一章の「舞城王太郎と平成文学のナラティヴ」に入ります。福嶋さんは2004年に東浩紀氏が発行していたメールマガジン「波状言論」へ投稿した舞城王太郎論で批評家デビューしたわけですが、今度の本でも舞城を語ることから平成文学論を始めている。2001年にデビューしたこの作家にもともと思い入れがあったのですか。

福嶋:今となっては思い出すのが難しいのですが、それまでの文学とは違う変な作家が出てきた印象はありました。たんにマンガとかアニメの上辺だけを吸収して書いたのではなく、異種交配を通じて文学を荒々しく引き裂くことによって、もう一度文学の表現技術を書き換えようとする。そうすると当然、穴だらけで壊れやすい文体になるけれども、それが平成の日本社会の崩壊過程とシンクロしていた。当時は「綺麗事ではもう済まない」という気分が、文化にいちばんストレートに出ていた時期だと思います。逆に、震災以降の出版界では平気で綺麗事を言う人が増えて、困ったものですが。

 1つポイントになるのは「象徴的貧困」です。明治から昭和まで100年近くかけて築いてきた文化的な資産から、舞城の世代は切断されていた。しかし、その貧しさを逆手にとる形で、暴力にまつわる概念的な問題をとらえようとしていた。舞城王太郎だけじゃなくて、同じくメフィスト賞から同時期にデビューした佐藤友哉もそうで、2000年代前半の作品は荒々しくて暴力的である半面、概念的な自己言及がそこかしこに入っていたのがよかった。抽象度を上げた言葉でなければいえないことが彼らにはあったのだろうし、初期の佐藤さんなんて「信頼できない語り手」しか信頼しないぞという、がけっぷちの風情もあって、しかもその悲惨な境遇から不思議と思弁的な時間論を語ったりする。そのねじれ方は面白かったですね。

――福嶋さんは1981年生まれですから、平成が始まった1989年にはまだ10歳になっていなかった。舞城作品を読んだ時は20歳くらいですか。

福嶋:20代前半ですね。

――それ以前に最初に出会った文学はなんでしたか。そこから過去にどうさかのぼり、自身にとっての文学史をどう再構成していったんですか。

福嶋:なんといえばいいか……。僕は特定の小説家、特定の作品に影響を受けたことはあまりないんです。どちらかというと、文学という営みそのものに興味があった。普通は好きな作家がいてそこから自分の好みを拡大していく形でなにかを書いていくんでしょうけど、僕は作家からスタートしていない。そこはちょっと特殊なところかもしれません。つまり、象徴的貧困ってのは舞城さんや佐藤さん以前に、要するに自分自身のことですね(笑)。生きることに中身がなくて、骨組みだけで支えている感じ。そうなると、趣味とか快楽ではやる気が持続しない。自前のプログラムを組んで難問を解析していくようなチャレンジがないと、自分を鼓舞できない。僕にとっては「文学」と「中国」がそういう不透明な謎でした。

 僕は十年以上こういう仕事をしていますが、小説とはなんなのか、文学とはなにかをずっと考えています。平成について書いている時も、裏側ではそういう問題意識があった。

 単純に定義すると、小説とは意識に浮かんだ世界を定着させていく技術のことだと思います。ただ、意識というのは回線が不安定なもので、例えば今、僕はコーヒーを飲みながら円堂さんの顔を見ながら自分の過去を想起しつつ喋っています。そうすると、意識が3つくらいの方向を持ってしまっている。だけど、この意識のステータスはじきに消滅してしまって、もう二度と取り戻せない。意識は常になにかに接続している回線の束みたいなものですが、接続環境自体はよくないので、つい5秒前まで覚えていたことをすぐ忘れてしまうとか、そんなことが頻発する。意識のなかでいろいろな仕事を実行するんだけど、その「場」自体が不確定かつ不安定な回線だということを前提に作られているのが、僕は文学だと思います。その不安定な意識の回線を少しでも太くして、エネルギーを集中させていく作業が、おそらく小説を書くということなのではないか。というのが、僕がこの1年くらいにたどり着いた暫定的な結論です。

 これはフッサールの現象学に近いヴィジョンですが、僕は現象学がやろうとしたことが小説の本質に一番近かったんじゃないかと考えています。志向性を持った意識のアンテナが、いろんな電波を拾ってしまう。しかも、フッサールを読んでも、意識そのものが何なのかは分からない。意識は意識以外の何かにアクセスして、意識の場を満たしているだけです。

 こういう意識のもつ不安定さや空虚さを、平成文学はかたどっていた面があります。昭和の文学は、意識の回線がわりと太い状態で動いていた。なにか狙いがあって、それをきちっと形にしていく技術があった。一方、平成になると接続不良そのものが作品のテーマになっていく。結果として、円堂さんがお書きになっていたディストピアの問題(円堂都司昭『ディストピア・フィクション論』)も出てくる。社会が不安定である以前に、意識状態そのものの本質的な不安定さが上昇してきて、それゆえにディストピアに強く反応したんだと思います。そう考えると、平成文学のなかにも、小説のもつ一番本質的な部分があらわれていたのではないか。

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