島本理生『2020年の恋人たち』が描き出す、30代女性の強さ 経験の積み重ねで得たものとは

 ただ、彼女を強くしたのは、傷ついた過去だけではないと思う。「2020年の東京を、このお店で一緒に作りましょう。」という張り紙を見て飛びこんできた松尾とともに、ゼロから店をたちあげていく姿を描いた本作は、島本さんにとって初の本格的なお仕事小説でもある。精密機械の営業という昼間の仕事にも一切の手を抜かず優秀さを見せる彼女は、母を失っても、恋をしていなくても、社会とかかわり、自分の手で居場所をつくりあげている。その能力をかっている部長や松尾は、葵を「女」としては見ず、ただ「前原葵」個人として扱ってくれる。いけすかない義兄とは異なり、複雑な関係ながらも慕ってくれる義妹の瑠衣と息子の波瑠。突如離婚問題が浮上し、葵と同居することになった伯母の弓子。貸し借りのない、対等な人間同士として支え合う彼らとの関係は、いつか道をわかち、疎遠になっていくのだとしても、その人たちと過ごした時間は、葵がひとりで生きていくための励みとなってくれるのだ。

 国立競技場のある千駄ヶ谷にかまえる、オリンピックに向けて盛況となる見込みのワインバーが舞台というだけあって、コロナ禍の状況もラストに少しだけ描かれる。店舗にかかわるすべての人の、思いと努力が一瞬で水の泡となる……。飲食店の苦境も感じさせる、まさに今を象徴するお仕事小説ともいえるのだけど、どんな状況にあっても人は、出会いと別れ、選択を重ねながら生きていくのだと力強く描かれている本作は、読み手の私たちが生きていくための励みとなる。

 恋をしても、しなくても。ともに生きていく相手がいても、いなくても。人はいつだって一人だし、孤独ではないのだと感じさせてくれる、ラストの数行を噛みしめるのだ。

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■立花もも
1984年、愛知県生まれ。ライター。ダ・ヴィンチ編集部勤務を経て、フリーランスに。文芸・エンタメを中心に執筆。橘もも名義で小説執筆も行う。

■書籍情報
『2020年の恋人たち』
島本理生 著
価格:1600円(税抜き)
出版社:中央公論新社
https://www.chuko.co.jp/tanko/2020/11/005279.html

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