野村萬斎×三谷幸喜ドラマ化『死との約束』 アガサ・クリスティーの原作はどんな作品?

「いいかい、彼女を殺してしまわなきゃいけないんだよ」

 あまりに血生臭い台詞から始まることに、不安と好奇心が身体中を駆け巡る。アガサ・クリスティーが1938年に発表した長編推理小説『死との約束』は映像化によって再び注目を集めることになる。三谷幸喜脚本、野村萬斎主演のスペシャルドラマとして生まれ変わった本作は、フジテレビのSPドラマシリーズの第3弾として3月6日に放送される。

アガサ・クリスティー『死との約束』

 小説版から舞台と時代設定を移し、見事“日本版”『死との約束』として描かれた本作。これを機に多くの視聴者がクリスティーの小説に興味を持ち、その読者として戻ってくることを期待したい。今回はその一助となるべく、両者の比較を通して見えてくる小説の魅力に言及する。

 『死との約束』の小説としての最たる魅力は、なんといっても強烈なボイントン一家の存在だろう。この家族はアメリカから中東に旅行にやってきた際に、偶然にもソロモン・ホテルにて名探偵のエルキュール・ポアロや医師であるサラ・キング、ジェラール博士などと一緒になる。さらにボイントン一家は、その後ヨルダンの古都・ペトラで起きた殺人事件での中核を担う人物となっていく。物語の前半ではボイントン家の面々の立場や心理、細かな所作などが、丁寧に描写される。この一家には、支配的でサディスティックな一面を持つボイントン夫人をはじめとし、長男のレノックス、その妻のネイディーン、次男のレイモンド、長女のキャロル、次女のジネヴラがおり、それぞれが夫人の支配下で神経をすり減らしながら暮らしていた。

 特に綿密に描かれたのは「ボイントン夫人がいかに常軌を逸して家族を支配し続けていたのか」である。ボイントン夫人の様相は、時に恐怖を与える存在の象徴として蛇やコブラを引き合いにだし、時に子供たちを調教する猛獣使いになぞらえながら語られる。加えて彼女の人となりは、様々なキャラクターから多面的に語られることで、その輪郭が次第にはっきりと浮き上がり、残酷でおぞましい人物であることが読者に植え付けられるのである。小説でのボイントン夫人の描写部分の残忍さと綿密さは、ドラマでの本堂夫人(松坂慶子)以上にシビアな印象を与える所以となるだろう。

 さらに小説ではローズレッド・シティをはじめ、ボイントン家やポアロが旅した中近東の地が非常に魅力的に描かれている点にも言及したい。ドラマでは物語の舞台を“巡礼の道”として世界遺産にも登録されている熊野古道に置いたため、草木が生い茂る青と緑に埋め尽くされた大変美しい場所で話が進行する。これに対し原作では高い段崖に挟まれ、その岩肌は赤い色調が刻々と変化するローズレッド・シティを舞台にしている。どちらも神聖なる背景を持つことと神秘的な自然の魅力に満ちている点では共通しているが、こうした“色彩や対象物の違いから受けるイメージの力”に目を向けるのも面白いだろう。

 ドラマでは事件の舞台は大変涼しげな場所のように感じられたが、小説の方では暑さにフォーカスした描写が多いなど、『死との約束』の世界を彩るエッセンスは小説とドラマで大きく異なる。この違いは、ボイントン家または本堂家の人々の感情にも反映され、両者の間にはどこか違った種類の“焦燥感や苦しみ”が感じられた。

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