柳美里『JR上野駅公園口』が世界で評価された理由とは? コロナ禍の現在をも照射する力

 天皇(現・上皇)と同じ日に生まれ、息子が生まれた日もまた同じだった。1964年オリンピックの競技場建設の土方としてオリンピックに関わったが、競技は何一つ見なかった彼は、ラジオで昭和天皇による「開会宣言」を聴いたことの印象ばかりが残っている。幼い頃にお召し列車を目の当たりにしたこともある。上野恩賜公園には、記念館や博物館が多いため、皇族の人々がよくお見えになる。そしてそのたび「山狩り」という、皇族が訪れる前にホームレスの人たちを公園から追い出す「特別清掃」によって、彼は住処の一時撤去を促される――。

 一人の男の人生に様々な歴史があるように、公園にも、様々な歴史がある。インテリのホームレスであるシゲちゃんの解説によって、公園の歴史が語られていくのも興味深い。公園の歴史は、そのまま日本の歴史であり、そこで思い思いの日常を過ごす人々の人生を感じさせるものでもある。そして、主人公たちの存在が全く目に入っていない、気づこうともしない、道行く人々の、他愛もない会話が淡々と描写されているのも印象深い。

 この本を読んでいると、自分がいかに世界を一部分しか見ていなかったのかを思い知らされる。終盤、駅のホームで男がぶつかりそうになる、三十代半ばぐらいの女がいる。「ホームレスだ、というような驚きが一瞬掠めた女の顔には、願いが挫かれたばかりのような陰りがあった(p.160)」。主人公の男は、死に向かう前に、その女の人生を一瞬思いやる。思い思いの夢や人生を抱えたたくさんの人々が通行する駅・公園において、すれ違う人の人生を思いやることはほぼない。きっと私も「ホームレスだ、というような驚きが一瞬掠めた」ような顔をして、彼とすれ違うのだろう。そこに「上野恩賜公園の外で生きた痕跡」を想像することもなく。

 ここには様々な日本社会の分断が描かれている。人々の無関心、「見て見ないふり」がその分断を拡げている。柳は、主人公と「共に苦しむ」ことによって、日本中に無数にいる居場所を失った人々に寄り添おうとした。だからこそ、『JR上野駅公園口』は、居場所を失くした人の、心の拠り所になり得る物語なのだ。

■藤原奈緒
1992年生まれ。大分県在住。学生時代の寺山修司研究がきっかけで、休日はテレビドラマに映画、本に溺れ、ライター業に勤しむ。日中は書店員。「映画芸術」などに寄稿。

■書籍情報
『JR上野駅公園口』(河出文庫)
著者:柳美里
出版社:河出書房新社
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