柳美里『JR上野駅公園口』が世界で評価された理由とは? コロナ禍の現在をも照射する力
2014年に刊行された小説を、今、多くの人が手にとっている。柳美里による『JR上野駅公園口』(河出書房新社)である。
2020年、『Tokyo Ueno Station』(翻訳:モーガン・ジャイルズ)が、アメリカで最も権威のある文学賞の一つである、全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞した。受賞をきっかけに火が付いたことは間違いないが、それだけではないことは一読すればわかる。
福島県相馬郡(現在の南相馬市)出身、1933年生まれの一人の男の人生を通して、日本の戦後史が浮かび上がってくる。出稼ぎ労働者として上野駅に降り立ち、一度は帰郷するも再び上京し、ホームレスとなった彼の人生は2006年で終わる。その人生を通して、また、上野公園という空間が持つ歴史を通して描かれる、東京大空襲、1964年東京オリンピック。そして、男の脳裏に最後に浮かび上がる情景として示される、後に彼の故郷を襲うことになる2011年の東日本大震災。さらには、物語の終盤、2020年東京オリンピックの誘致を巡って、彼らホームレスの人々がより片隅に追いやられていく姿が描かれていることにドキリとさせられる。
柳は単行本版あとがきに「多くの人々が、希望のレンズを通して6年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます(河出文庫,p.170)」と書いていた。2006年当時の過去現在未来を2014年に描いたこの小説は、その先にある、もはやほとんどの人が「希望のレンズを通して」2020年東京オリンピックを見ていない、コロナ禍にある2021年の日本の現在をも照らす。コロナ禍で失業者は増え、大切な人を、自分の居場所を理不尽に失う経験をした人が増え、自殺者が急増する現在を。渋谷区で64歳のホームレスの女性が殺害されるという痛ましい事件が起きたことも記憶に新しい。
この本は、「人生には過去と現在未来の分け隔てはない。誰もが、たった一人で抱えきれないほど膨大な時間を抱えて、生きて、死ぬ―(p.161)」という本文中の記述通り、過去現在未来が渾然一体となった一人の男の人生と、日本の姿を描く。東京オリンピックを通して戦後史を描いた大河ドラマ『いだてん』(NHK)や、2020年東京オリンピックの開催に向かう日本社会において、見て見ないふりをされ「存在しない」ことにされた人々に焦点を当てたドラマ『MIU404』(TBS)よりも前に描かれた『JR上野駅公園口』という傑作を、今こそ読むべきだ。
上野恩賜公園のホームレスは、東北出身者が多いそうだ。「高度経済成長期に常磐線や東北本線の夜行列車に乗って、出稼ぎや集団就職でやってきた東北の若者たちが、最初に降り立った地が上野駅で」、50年の歳月が流れて、様々な理由で帰る場所を失ってしまった人々が、そこで日々を過ごしている。他のホームレスたちと緩やかな連帯を築いていても、決してそれ以上の深い関係を築こうとしない、「いつも居ない人のことばかりを思」っている、「人生に不慣れ」な主人公もまた同様だった。
不運な彼の人生には、いつも雨という形で「死」がつき纏った。一方、人生のハイライトは、常に「天皇」という光によって照らされていた。照らされるからこそ、その影は一層目立つ。