「刃牙シリーズ」本部以蔵はなぜ強くなった? 板垣恵介が提示した“競技”と“武術”の違い

 毒手と鎖鎌を駆使し、刃牙と渋川剛気を苦しめた柳龍光を、あの本部が、そう、あの本部が圧倒してしまったのである。リアルタイムで「週刊少年チャンピオン」を読んでいた当時の読者が驚きを隠せない中、その週の巻末の作者コメントで板垣先生があの名言を残すのである。

そう、

“本部が強くて何が悪い”

である。

   それを境に本部の評価は一転。のちに宮本武蔵から範馬勇次郎を含めた友を“守護(まも)る”などと言い出し、烈海王と互角以上の戦いを繰り広げ、刃牙の首筋に刃物を突きつけ、その後も八面六臂の活躍を見せ、最後にはなんと宮本武蔵から実質的な勝利を収めるに至った。なぜ本部はこんなに強くなったのか、そしてなぜあんなに弱かったのか? 少年漫画界屈指の出オチ、ネタキャラの解説者が、その強さを語られるほどに育ってしまったのか?

 その答えを、実は本部は自らの口で言及しているのである。曰く、「勇次郎を含めて現代格闘士は武器を使った本当の殺し合いに慣れておらず、武蔵に対抗できるのは唯一武芸百般を修めた自分だけ」。曰く、「自分の実力は格闘術に関してはいくら甘く見積もっても80点に満たないが、武器術も含めれば300点はくだらない」。“限られたフィールドの中で”“武器の使用以外の全ての攻撃を認める”という究極にノールールな地下格闘場の戦いですら、本部にとっては“ルール”の定められた“格闘技”にすぎなかったということであろう。ルールがある以上攻撃手段は限定され、そのルールの中で戦う戦術が重要になるし、そこでは本来の意味での命のやりとりは行われることはない。ルールに縛られた本部はただの弱小格闘家である。

 しかしルールを全て取っ払った、まさに実戦において、本部は圧倒的な実力を持つ、武術家になるのである。まさに本部以蔵、恐るべしといったところであるが、実は真に恐ろしいのは板垣先生、その人である。

 なぜなら今から20年ほど前に格闘技と武術の違いについて、本部以蔵を用いてすでに言及していたという事実があるからだ。そう、“キサマ等のいる場所はすでに板垣先生が30年前に通過した場所だッッッ"ということなのである。

 昨年から急激に流行り出した格闘家と武術家のコラボだが、それらを見るたびに武術の技術とその理論、精神に感銘を受けるとともに、MMAは競技としてこの数十年で急速に進化しているのだなということを思い知らされる。そしてなにより、板垣先生はそれらをずーっと昔から意識しており、それを踏まえた上で強さとは何かを追い求めていたのだということを改めて認識させられる。

 “本部が強くて何が悪い”、いまならこの言葉の本当の意味が理解できる読者も多いことだろう。本部以蔵は地下格闘家ではなく、武術家なのだ。だから実戦に近づけば近づくほど、むしろ実戦になればこそ、本部は強いのだ。

■関口裕一(せきぐち ゆういち)
スポーツライター。スポーツ・ライフスタイル・ウェブマガジン『MELOS(メロス)』などを中心に、芸能、ゲーム、モノ関係の媒体で執筆。他に2.5次元舞台のビジュアル撮影のディレクションも担当。

■書籍情報
『グラップラー刃牙完全版(8)』
板垣恵介 著
定価:本体1000 円+税
出版社:秋田書店
公式サイト

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