催眠術師・漆原正貴が語る”催眠の正体” 「肝心なのは“掛かる側”に集中力や想像力があること」

 目の前の相手が笑っているとつられて笑ってしまう。あの人のプレゼンはなぜかいつも引き込まれる。医者の白衣は無言の威力を感じてしまう……。

 これらはもしや“暗示”に掛けられているのかもしれない。私たちが気付かないところで“催眠”は日常に溢れている、と語るのは『はじめての催眠術』(講談社)の著者の漆原正貴氏。催眠術を学ぶことによってセルフコントロールやコミュニケーション能力が高まり、世の中の見方すら変わると話す。

 しかし、催眠術はまだまだ不可解で未知な領域、正直オカルト的な雰囲気すら感じてしまう人もいるだろう。催眠と認知科学や神経科学の関係をはじめ、催眠術とは何か、催眠をどう活かすか、話を訊いた。インタビュー後半で編集部が催眠術を実際に体験。

掛かる側の集中力

――直球ですが、催眠とはなんでしょうか? 催眠術師が言葉やしぐさで人を操っているイメージがありますが……?

漆原正貴(以下、漆原):今日の研究では、催眠のほとんどは掛ける側ではなくて、掛かる側の能力だと考えられています。催眠術師が何かすごい力を持っているわけではないんですよ。催眠術師の役割はあくまで“掛かる側”の自己暗示の能力を引き出してやるのに過ぎなくて、肝心なのは“掛かる側”に集中力や想像力があることなんです。

 私なりの催眠の定義は、「何かが起きるかもしれないと思っている中で、本当にその期待が実現してしまうような現象のこと」としています。たとえば「この水は苦いですよ」と言われて構えて飲んでみると本当に苦く感じたり、「今日のプレゼンは緊張しそうだ」と思っていると心拍数がガンガン上がっていったりします。このような「何かが起きるかもしれない」という期待によって自分の感覚や感性、感情が変化してしまうことは広く催眠の一種と捉えていいでしょう。

人の認知度は揺るぎやすい

――催眠を学ぶことによってセルフコントロールもできるとか。催眠を学ぶ意義や可能性について教えてください。

漆原:催眠を学ぶ意義は大きく3つあります。1つ目は自己催眠、セルフコントロールに使えるということ、2つ目は人の認知の脆弱性に気付けること、3つ目は日常のコミュニケーションにも活用できるということです。

 1つ目の自己催眠は、“自分の内側に集中することによって、自分の感覚をコントロール出来る技術”です。たとえばゴルフやバスケットボールの3ポイントシュートのように集中力が必要なスポーツや、試験やプレゼンなど確実に成果を求められる状況でも、自己催眠でセルフコントロールすることによってパフォーマンスを上げられるという研究結果があります。

 もちろん、ただ「集中する、集中する……」と内心で唱えてみても、本当に自分に暗示を掛けられているかは分かりにくい。自己催眠を習得するためのポイントは、まずは体感しやすい暗示を自分に掛けてみて、自分自身をコントロールできる感覚を持つことから始めることです。

 たとえば「手が温かくなってくる」とか、「身体から力が抜けて全身が重たくなる」といった暗示は多くの人が体験しやすいです。自己催眠はトレーニングによって能力が向上するので、繰り返し想像して練習を重ねていくと実感しやすくなるでしょう。自分で催眠を掛ける時に、前の日に掛けた自己催眠よりも上達したかどうか、たとえば「昨日より早く手が温かくなってきたか」と比べてみるとわかりやすい。自己催眠は様々なところで役立ちますが、特に緊張している状況のときに自分はこうすると落ち着くという自己催眠の方法を知っていたらすごく便利だと思います。

 2つ目に、人の認知はいかに暗示の影響を受けやすいかを知ることで、世の中の見方が変わることです。

 たとえば、暗示で何かを好きにさせるというのは簡単なんです。ある人に、“ペットボトルが好きで手放せなくなる”という暗示をかけるとします。すると、わずか2、3分言葉を交わしただけなのに、それまで何の興味もなかったペットボトルを好きになってしまう。他の人がそのペットボトルを取ろうとすると、ペットボトルを奪われたくない一心でペットボトルを強く握りしめたりします。

 日常生活の中で、なぜあんな人を好きになってしまうのか、欲しくもなかったものを欲しいと思ってしまうのかと不思議に感じることってよくありますよね。でも、「好きになる」暗示がわずか数分で掛かってしまい、またその効果が強力なことを知っていると、それも納得がいく。人間はそれくらい暗示に掛かりやすく、認知が揺るぎやすいものなんです。「暗示に掛かる」というのは人が本来備えている能力や特質なんだと知っておくと、他人から心理をハックされにくいと思います。

 3つ目はコミュニケーションのテクニックについて。催眠は、普通だったらあり得ないことを言葉一つで起こしてしまうもの。腕が曲がらない、椅子から立ち上がれなくなる、味が変わってしまう…。そのような催眠は、相手から警戒されていたら掛からないものです。催眠を成功させるためには相手とのラポール(信頼関係)を短時間で作らなくてはいけません。自分は相手に害を加えることはないと伝え、相手のプライドや承認欲求を否定せずに傾聴する必要があります。これは、他のコミュニケーションにも応用が効く技術です。目的を達成するためのプレゼンをより魅力的にしたり、相手の言葉を真っ向から否定せずに自分の言いたいことを通したりするときに、催眠のテクニックは非常に有効だと思います。

日常は催眠だらけ?

――催眠を掛けられるとわかっている場合もありますが、“つられ笑い”や“プレゼン”など、無意識のうちに暗示に掛かっているケースもある気がします。

漆原:日常的にあるでしょうね。たとえば今手に持っているブドウを「そこらのスーパーで売っていたブドウです」と言って渡されるのと、「このブドウ、一粒300円もして凄く美味しいブドウだから食べて!」って言われて渡されるのでは、本当に味が変わる可能性があるんですよ。

 また、威光暗示と言って、“何か凄そうな雰囲気”を醸し出すことも、暗示の成功率を上げます。催眠術師の中には妙な髪型をしたり、突飛な服装をしている人もいますが、そういった独特のオーラを出すのは、この威光暗示の効果を高めるためです。「すごそうな人」の暗示は、本当に効果が上がるのです。日常でも何かの分野の先生や有名人など“権威”を持った人の話を聞いているうちに、気づけばその世界に引き込まれている経験ってありませんか。自分が催眠と認識していないだけで、知らぬ間に暗示に掛かっている状況はたくさんあるでしょう。

―― 一方で催眠が掛かりやすい人と、そうでない人がいるとか。

漆原:喫茶店で隣の人の会話が入ってくるか、こないかでよく判断しています。人によって一つの事にどれだけ注意を集中できるかは異なり、たとえば注意のリソースのほとんどを目の前に注ぐことができる人もいれば、全力で集中したつもりでもどうしても周囲に目配せしてしまう人もいる。後者のタイプの人は、たとえばカフェで話をしていても店員さんの動きや隣の人の会話などに意識が散っていますが、前者のタイプの人は目の前の会話に集中してそれ以外のことに気が付かない。こういう人は催眠に掛かりやすいんです。なぜなら催眠は“集中力の技法”なので、自分の内側にどれだけ集中出来るかによって成功率が変わってくるんですよ。

 また、催眠が掛かりやすい人もそうでない人も、自分がどういう催眠に掛かりやすいか知っておくと役立つと思います。たとえばバリスタやソムリエなど味に対して正確性を求められる職業の人は、味覚に関する催眠に全く掛からない人のほうが合っているかもしれません。味覚の暗示は、25%程度の人が体験できると言われています。なので、このコーヒーはオレンジのような味がするとか、このワインにはチェリーの味が含まれていると言われて飲むと、本当はそのようなフレーバーが含まれていなかったとしても、4人に1人は実際にその味を感じてしまうんです。そういう暗示を体験しやすい人は、味に関わる職業は向かないかもしれない。催眠に掛かりやすいのも能力だし、掛かりにくいことが役立つ人もいます。

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