萩尾望都『トーマの心臓』が少女漫画界に与えた影響 “心の痛み”を描いた名作を再読
この漫画には、主要人物の他にも様々な少年が登場する。読者に最も近い存在は、トーマの同級生アンテではないかと筆者は考えている。アンテはオスカーが好きだ。ただそれはトーマがユーリに抱いている愛情とは種類が異なる。初恋のようなシンプルな気持ちで年上のオスカーに憧れているのだ。だからこそアンテは、オスカーのルームメイトでいつも一緒にいるユーリや、オスカーと仲良くなったエーリクに嫉妬し、いやがらせに等しい行動をとる。よく読み返すと、彼の性格は序盤から表れている。アンテとトーマは仲良しで、トーマの死を知ったときアンテは涙を流すが、他の生徒から影でこうささやかれる。
アンテなぞ泣いてるわりには喜んでんじゃないの
じっさいライバルが消えてさ!
これは後に伏線となる台詞だ。アンテは悪人ではない。ただ幼く、先のことまで考えられない。
時に残酷さを伴う幼さはアンテだけが持っているものだろうか。行動にうつさなくても、思春期に誰しもが心のうちに秘めているものなのではないだろうか。読者である少女たちも例外ではない。
だから序盤、私たちはトーマの死の意味をアンテや他の人物と同様に理解できない。ところが後半、いろいろな事実が明かされ、登場人物のキャラクターが明確になるにつれてユーリの苦しみを救うためのトーマの「死」がすとんと心に落ちるようになる。アンテもまた、物語の終盤でかすかな成長を見せている。私たちが『トーマの心臓』を読むときに持っている目線は、アンテに近いものだったのかも知れない。
『トーマの心臓』は、読みながら人の心の深みを知れる漫画だ。エーリクに感情移入し、オスカーに憧れ、ユーリの気持ちを想像することで私たちもまた救われ、人の心の痛みを知る感受性を蓄えることができるはずだ。
■若林理央
フリーライター。
東京都在住、大阪府出身。取材記事や書評・漫画評を中心に執筆している。趣味は読書とミュージカルを見ること。
■書籍情報
『トーマの心臓(文庫)』
萩尾望都 著
価格:本体600円+税
出版社:小学館
公式サイト