下層から“ざわめき”のように生まれたギリシャ音楽を描く、傑作バンド・デシネ『レベティコ-雑草の歌』

 表紙に描かれた自分の額にグラスを叩きつけている男性の姿、力強さを纏うA4変形判という大きめの造本、そしてページをめくると目に飛び込んでくる柔らかな陰影の美しさ。本を前にしてこれほどまで興奮したのは久しぶりだ。

 『レベティコ-雑草の歌』は第二次世界大戦の前夜、ギリシャを舞台にしたバンド・デシネ(フランス語圏のコミック)だ。エーゲ海に面したギリシャという我々の素朴なイメージを著者ダヴィッド・プリュドムは冒頭で柔らかな陰影をもって街並みや人々を描き読者を巧みに物語に導いてくれるものの、一転して描かれるのは木漏れ日や柔らかな陽射しの下ではなく夜の帳がおりたテケース(ハシシを吸引するためのたまり場の店)で反抗の音楽を奏で歌うやくざ者たちの話なのだ。

 本書の“レベティコ”とはギリシャの大衆音楽のことで、今でこそギリシャではポピュラー音楽となってはいるものの、その誕生は1923年にギリシャとトルコの間で始まった希土戦争によってトルコから移り住んだギリシャ人たちから始まった。移り住んだ人々はギリシャでは蔑まれ差別の対象となりギリシャ社会では下層として貧しく生きる人々が多かった。その下層から“ざわめき”のように生まれたのが“レベティコ”という音楽なのである。

 また社会の底辺で暮らす人々の苦悩や不満、犯罪や暴力を歌う“レベティコ”は権力者からは忌み嫌われ、政情不安であった本書の舞台当時のギリシャでは“レベティコ”を歌う者、演奏するものはブズーキやバグラマといった“レベティコ”の楽器を持っているだけで取り締まりの対象にまでなっていた。

 不思議なことに本作で描かれるギリシャの人々からは鏡を覗くように現代が見えてくる。貧困、差別、移民、音楽、西洋と東洋の交わり……。時代が変わらないのか、それとも人間が変わらないだけなのか。

 また時代が変われど音楽は変わらないと思っていた自分の考えもそれが間違いだったと『レベティコ』かは気づかせてくれた。

 『レベティコ』はまだ音楽が“奏でる者、歌う者と耳を傾ける者”が一つだった頃の話なのだ。音楽が包み込む世界はまだ僅かな範囲でしかなかった時代。歌われるのは幼き頃の物語、思い出、敵意、挑発、その全てが目の前にいる人々の歌なのだ。時代とともに変容した歌と音楽の性格についても考えさせてくれるのが『レベティコ』なのである。

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