松岡正剛が語る、日本文化に必要な心意気と長い文章の強み 「過激な表現があってこそ、中道も見えてくる」

自分が傷つくことも覚悟した方が良い

――最近の「千夜千冊」だと、カール・ジンマーの『ウイルス・プラネット』西山賢一の『免疫ネットワークの時代』の回で、コロナ禍の社会に対する考えも記しています。

松岡:今回、僕が思ったのは、新型コロナウイルス騒動で急にパンデミックとかロックダウンといった言葉が出てきて、自粛しよう、テレワークをしようとなっていったのは仕方がないことだけれど、人々の接触を抑えたら社会がどうなっていくのかという構想も何もないまま物事が進んだから、社会が混乱しているということです。でも、以前から手紙や電話やFAXはあったわけで、テレワークのような働き方はやろうと思えばできたわけです。だから、働き方を変革するのにまず必要だったのは、テレプレゼンスを考え直すことだったはずなのですが、変革していこうとする側は単に「テレワークを推奨しましょう」というだけで、演出もプランも独特のプロトコルも何もない。例えばオフィスで、他の人に来た封筒を勝手に開けたりしないけれど、FAXの方は部下が上司に届けるときに書いてあることを見ることもできるでしょう。そういうことをもう一度考え直すチャンスなのに、何も提案されていないと感じていました。

 もうひとつは「感染」とは何かということですね。感染というのは呪いのようなところがあって、かつてのシャーマニズムとかアニミズムが持った影響力も感染と呼ばれています。例えば、トランプ大統領が誰かの悪口を言ったら、その内容は人々に感染していくものだし、SNSでの悪口が人を死に追いやることもある。その感染にはポジティブな力もあって、本当は良し悪しの両面があるのだけれど、社会にはそういうことを考える間もなくなっている印象を受けています。

ーー松岡さん自身は、あまり過剰に自粛すべきではないと考えていますか。

松岡:僕自身はコロナ禍になってからも、休まずに毎日仕事場に来ていました。自粛をしないと人に迷惑をかけるという考え方も理解できるけれど、こういう時は何かを大きく失うものであって、ある程度は自分が傷つくことも覚悟した方がいい。ぐさっと突き刺さる棘を、あえて残すような。リアリティも何もなく、考えなしに「自粛すべき」では、さらに大きなものを失うでしょう。これから先、もっと世の中はダメになっていくと思います。

組み合わせてアソシエーションさせることが編集の目的

――改めて、松岡さんが考える書籍の価値を教えてください。

松岡:本にはタイトルがあり、表紙があり、著者があり、版元があり、目次があり、最低でも100ページ、長いと300から500ページの長丁場のコンテンツです。この単位が重要だと思います。音楽や映画よりずっと長い場合が多い。その中に起承転結や5W1Hや文法、プロトコルがあって、街を歩いている風景も、廃墟も、エロスですら著者によって一冊の本になりうる。つまり、我々は日々の生活の中で、無意識的に未完の図書館を歩き、様々な影響を受けているわけです。そういうところも含めて、本には魅力があると思います。

――読む本の選び方に、松岡さんならではのコツはありますか?

松岡:例えば、サイエンスの分野ならまずは3冊、古典のもの、最新のもの、そして自分のフェティシズムに合うものを選ぶといいと思います。アリストテレスやエピクロスなど古代の哲学者の思想について書かれたもの、ヒッグス粒子やダークマターなど最近の研究について書かれたもの、真ん中に鉱物とか昆虫とか自分が好きなものについて書かれたものを置く。テクノロジーの分野なら、なぜ歯車やレンズや半導体が必要となったのかなど、技術の歴史のスタートについて書かれたものと、最新の認知科学と認知技術について書かれたもの、そして自分の好きな時計とかメガネとかについて書かれたものを置く。自分が関わりたいジャンルについては、3冊くらいの本は常に読んでいますね。

――最後に、これからの編集者の役割はどうなるか、松岡さんの考えを教えてください。

松岡:編集者は、文明、文化、哲学、技術、芸術など、あらゆるものをエディティングできる立場にある職業だと思います。WEBであれ紙媒体であれ、何かを組み合わせてアソシエーション(連想)させることが編集の目的で、その量と質を最大化していくことが、これからはより求められるのではないでしょうか。そのためにも、新聞も雑誌もリトルマガジンもWEBも、記事を短くわかりやすくするということを一度、やめてみてもいいんじゃないかな(笑)。読者に「何が書いてあるのか、さっぱりわからなかった」と思われるような記事があってもいい。むしろ、そういう記事があることで、読者の記憶に「あの記事は何だったのだろう?」と残ることもある。もちろん、全部が長くて難解な記事では誰も読んでくれないかもしれないけれど、そういう記事を勇気をもってやるのも編集者の仕事だと思います。

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