いま最もぶっ飛んだ漫画『チェンソーマン』 「わかりやすさ」から逸脱する、前衛的な表現を考察

 藤本タツキの『チェンソーマン』の単行本(現在8巻まで刊行)の累計発行部数が、300万部を突破したらしい。といってもこれは8月上旬に発表されたデータであり、現時点ではさらに増えているものと思われる。

 『チェンソーマン』は、悪魔の心臓を得ることによって生きながらえた少年・デンジが、悪魔を狩る公安の「デビルハンター」になって活躍するダークファンタジーだが、少年誌のコードすれすれといっていいような過激な暴力表現や、「次」がまったく読めない謎めいた(そしてスピーディーな)展開が話題になっている。

 掲載誌である『週刊少年ジャンプ』では、いま、デンジにとっての最大の理解者が最大の敵だったかもしれないという、永井豪の『デビルマン』以降の、この種のダークファンタジーの定型といっていいような、つまり、主人公から見た世界がひっくりかえるような展開が描かれているが、それについてはこの藤本タツキという油断のならない著者のこと、この先どうなるかはまったく予想がつかない。

 さて、今回、私が採り上げたいのは、同作の前衛的なビジュアル表現についてだ。もともと映画的なカット割り(モンタージュ)を多用し、説明的なナレーションやセリフは極力排除して、絵の力で物語を伝えようとしてきた『チェンソーマン』だが、最新刊の8巻ではその表現が突き抜けている。特に注目すべきは、主人公たちが「地獄」へ召還されてしまう場面だ。

 突然、デパートの上空に出現する巨大な手。握りしめられる手。地獄に召還される主人公たち。空を覆い尽くす無数の扉、扉、扉……。地面に散乱する指。扉のひとつが開き、「闇の悪魔」が落ちてくる。闇。手を合わせた複数の宇宙飛行士の上半身と、それと向き合うかたちで並んでいる下半身。その列の先には異形の「闇の悪魔」。「ゲコ」と鳴くカエル。両腕を切断されるその場にいる面々……。

 何を書いているのかまったくわからないかもしれないが、一切の説明もなしに描かれるこうした自動筆記(オートマティスム)の詩にも似た悪夢的なイメージの寄せ集めは、ともすれば独りよがりの陳腐な表現になりがちである。だが、ギリギリのところでそうなっていないのは、作者が読者の想像力を信じ、また、頭の片隅に、あくまでも本作はエンターテインメントの作品であるという意識があったからだろう。

 残念ながらここでその悪夢的な場面の図版を引用することはできないので、興味を持たれた方は実際に8巻の該当場面を見ていただくほかないが、そこで展開しているのは、ほとんど「漫画のシュルレアリスム」といっていいような、極めて実験的・前衛的な表現である。

 これは、どちらかといえば「わかりやすい表現」を求められがちなメジャーな少年誌での連載作としては、異例の、そしてかなり大胆な「挑戦」だといっていいと思う。

 さらには、同じ巻の終盤に出てくる「宇宙の魔人」による「本気のハロウィン」の場面も見られたい。そこで描かれているのは、「宇宙の魔人」の脳内にある「森羅万象」――すなわち「全て」が収められた図書館だが、ここの描写もかなりぶっ飛んでいる。無限の高さを持つ書棚に収められた無数の書物。映画『インターステラー』の某場面とか、ボルヘスの『バベルの図書館』とか、比較可能な隣接ジャンルの作品もないわけではないが、ここで描かれているのもやはり、コマとコマの連なりが生み出す漫画ならではの超現実的なビジュアルだといっていいだろう。また、これは絵的な表現ではないが、図書館で「全て」を知ってしまった者が最終的にどういう境地に辿り着くのか、そのオチもブラックな笑いを誘う。

関連記事