葛西純自伝連載『狂猿』第12回 アパッチプロレス軍入団と佐々木貴・マンモス佐々木との死闘

“尊敬している”本間朋晃とのタッグ

 この年の夏くらいに、CZWの頃から日本に来ていたマッドマン・ポンドが「俺の団体でデスマッチトーナメントをやるからアメリカに来てくれ」って誘ってきた。俺っちは「行く」と二つ返事で引き受けることにした。それがIWAイーストコーストという団体が主催した「マスターズ・オブ・ペイン」という大会で、この時が記念すべき第一回。デスマッチだけのワンデイトーナメントをやるという。俺っちにとっては久しぶりのアメリカ遠征で、知り合いの英語のできる男の子と一緒にウエスト・バージニア州のサウス・チャールストンという街まで行った。

 大会前日にちょっとリングでもチェックしておこうと、会場まで行ってみた。リングはまだ出来てなかったけど、若いレスラーやスタッフが一生懸命デスマッチアイテムを作ってたりして、独特の熱気があった。その会場の裏口あたりに人が集まってワイワイやってるから、何やってんだろうって覗きに行ったら、みんなでマリファナ吸ってたりして、これはヤバいところにきちゃったかも、と少し思った。

 しかし、この大会は意外にもグレードが高くて、当時のアメリカのインディー界隈で活躍していた名だたるデスマッチファイターが参戦していた。俺っちの初戦はミスター・インサニティことトビー・クラインとの「ノーロープ有刺鉄線 レッドロブスターデスマッチ」。リングに散らばったロブスターの上にジャーマンを決めて勝ちあがった。

 2回戦は主催者のマッドマン・ポンドとの蛍光灯デスマッチ。これにも勝って、決勝の相手はJCベイリーだった。有刺鉄線と釘板ボードが設置されたリングで、かなりハードな試合になったけど、なんとか勝利をもぎとって、優勝を果たした。JCベイリーはイカれた奴で、見どころのある選手だったけど、この試合の4年後に27歳の若さで亡くなってしまった。

 それもあって、マスターズ・オブ・ペインは俺っちにとって思い出深い遠征になった。マッドマン・ポンドは、愛すべきバカというか、子供みたいなところあるので、俺っちとは気が合った。最近は何やってるかわからないけど、いつかまた狂いあいたいね。

 優勝を引っさげて帰国してからも、俺っちはデスマッチで暴れまくった。この頃のアパッチのリングは混沌としていて、新日本プロレスから真壁刀義が参戦していたり、リキプロの「LOCK UP」と対抗戦をやったりしていた。

 そんなころ、マホンこと本間朋晃がアパッチにやってきた。マホンは大日本プロレスをランナウェイしてからいろんな団体を転々として、全日本プロレスに所属。それも辞めてアパッチに流れ着いた。

 あの人もバカというか、いろんな場面で「バカだな」とは思うことはいっぱいあるんだけど、プロレスラーとしてリスペクトしてる部分の方が若干上回ってる。俺っちにとっては大事な先輩だ。マホンは、久々にデスマッチに参入したんだけど、本人としてはやりたくなかったみたいだった。すでに少し潰れかけてた声で「俺は大日本にいた時は無駄にデスマッチアイテムに突っ込んでたけど、いまはもう逃げまくるよ!」と豪語していて、デスマッチに対する熱意はもう無かった。でも俺っちは大日本にいた頃から、マホンとはいつかは組みたいと思ってたから、まさかこのタイミングで一緒になると思ってなかったし、タッグを組んでWEWのベルトを取れたことは素直に嬉しかった。

 年末が近づいてきた頃、アパッチにフロントとして関わっていた伊藤豪さんから「葛西くんも人気出てきたから、そろそろプロデュース興行でもやっちゃおうよ!」と突然声をかけられた。俺っちも「いいっすね」みたいな軽い感じで答えてたら、12月25日に新木場ファーストリングで「葛西純プロデュース興行 STILL CRAZY」が行われることになった。いまだから言うけど、この時の「葛西純プロデュース」は名ばかりで、実際にはほとんど内容にタッチしていない。

 ただ、この頃のアパッチは金村さん、黒田さんがツートップで、ハードコアマッチ程度の試合が多かったから、もっと激しいデスマッチに特化した別ブランドを立ち上げたいという構想はあった。名ばかりとはいえ、俺っちにとって初めてのプロデュース興行は8人参加のデスマッチトーナメントとなった。俺っちは1回戦でマッドマン・ポンド、2回戦ではBENTENと化したGENTAROとの画鋲デスマッチに勝って決勝進出。相手は本間朋晃、佐々木貴を下して勝ち上がってきたジ・ウインガーだった。

 ウインガーさんは、いつも飄々としてて、最初にこのトーナメントにエントリーが決まったときも「デスマッチなんかやりたくないよ」なんて言ってたんだけど、いざ参加したら、すごい粘りをみせて決勝まで登りつめてきた。これだから、この人の言うことはいつも信じられない。

 決勝の試合形式は「有刺鉄線スパイダーネット ガラスクラッシュ+αデスマッチ」。ガラスデスマッチは、大日本で本間とザンディグがやってたのを覚えてるけど、久しくやってなかったから、ここに投入してみた。試合は凄惨になるし、派手だし、お客さんも熱狂する。これ以降、葛西純プロデュース興行といえば、ガラスデスマッチが定番になった。

 試合はお互いにガラスに突っ込みながら一進一退。俺っちはウインガーをテーブルに寝かせて、会場の看板の上によじ登り、ダイブを敢行した。しかし、最後はウインガーのダイビング・セントーンを食らってしまい、3カウントを聞いた。あれだけ「やりたくない」って言っていたウインガーに優勝をさらわれてしまった。結果は優勝できなかったけど、このプロデュース興行はお客さんもパンパンに入って評判も良くて、引き続きやっていくことになった。

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