『鬼滅の刃』のテーマとはなんだったのか? 炭治郎が伝えたメッセージから読み解く

 『週刊少年ジャンプ』での連載が最終回を迎えた吾峠呼世晴の『鬼滅の刃』(集英社)だが、単行本の方は、まだまだ盛り上がりを見せている。5月13日に20巻が発売され累計発行部数は電子書籍も含めて6000万部を突破。新作アニメ映画『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』の公開も10月16日に控えており、まだまだ人気が衰える気配は微塵もない。

 大正時代を舞台に鬼舞辻無惨と十二鬼月を頂点とする鬼たちと、柱と呼ばれる剣士たちを頂点とする鬼滅隊の戦いを描いた本作は、鬼となった妹・禰豆子を元に戻すために鬼滅隊で戦う竈門炭治郎の生長譚として連載をスタート。16巻からは、無限城を舞台に、鬼と鬼滅隊の最後の戦いが描かれている。

『鬼滅の刃』 16巻

 

 以下、20巻のネタバレあり。

 20巻では、19巻に引き続き、十二鬼月の上弦の壱・黒死牟VS風柱の不死川実弥&岩柱の悲鳴嶼行冥の戦いが繰り広げられる。先に黒死牟と戦った霞柱の時透無一郎は瀕死の重症を負い、実弥の弟・玄弥も両腕を斬り落とされ、胴体を真っ二つにされる。しかし時透は戦線に復帰し、玄弥もまた、鬼食いの力で黒死牟の髪の毛を取り込み、力を回復する。そして黒死牟の刀の破片を飲み込んだ玄弥は、時透が黒死牟に斬りかかる一瞬の隙を狙い、血鬼術の込められた南蛮銃で黒死牟を撃つ。

 今まで無限城で展開された上弦の鬼たちと鬼滅隊の戦いが、それぞれの感情のスパークする壮絶なものだったのに対して、黒死牟との戦いは剣豪同士の技の読み合いを軸に、淡々と進んでいく。六つ目という不気味な形相が印象に残る黒死牟だが、彼はもともと、鬼狩りの継国厳活で、鬼滅隊の基盤を作った日の呼吸の剣士・継国緑壱の兄である。

 その佇まいはとても落ち着いており、今まで登場した鬼たちの中で一番理知的に見える。しかしその戦闘力は圧倒的で、鬼でありながら呼吸の力を操り、間髪入れずに攻撃してくる姿は、まさに上弦の壱(ナンバー1)にふさわしい王者の貫禄である。黒死牟の「月の呼吸」は一振りの斬撃の周りに不規則で細かな刃が付いており、その刃先の長さと大きさが常に変化するというもの。劇中では巨大な一太刀の周辺に三日月状の無数の刃が回転しているという絵で表現されている。

 剣士としてお互いに技と技をぶつけ合う黒死牟VS悲鳴嶼&実弥&無一郎の戦いは、黒死牟の圧倒的優位で絶体絶命の大ピンチだったが、その状況をひっくり返すのが、呼吸が使えないことにコンプレックスを抱いていた玄弥だというのが面白い。玄弥は、かつて炭治郎に言われた「一番弱い人が一番可能性を持ってるんだよ」という言葉を思い出す。

 上弦の陸と戦った時、炭治郎は「俺が弱かったからこそ状況を変えられた」と言う。これは精神論に聞こえるが、実戦論としても説得力を持つのが以下の台詞である。

「敵がこちらを警戒できる絶対数は決まってるんだよ」
「だからあとはそれを敵がどう割り振ってるかなんだ」
「敵は強い人をより警戒していて壁が分厚いけど」
「弱いと思われている人間であれば警戒の壁が薄いんだよ」
「だからその弱い人が予想外の動きで壁を打ち破れたら」
「一気に風向きが変わる」
「勝利への活路が開く」

 この言葉を思い出した玄弥は、覚悟を決める。そこから鬼滅隊の形勢逆転がはじまるのだが、この「一番弱い人が一番可能性を持ってるんだよ」という台詞は『鬼滅の刃』における戦闘論であると同時に、本作が描いてきたテーマそのものだと言えるだろう。同時にこれは本作が繰り返し描いてきた兄弟(あるいは姉妹)というモチーフとも密接につながっている。

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