ブックストア・エイド発起人たちが語る、本屋を守る意味 「メディアとしての書店の強みがある」

 新型コロナウイルスによる外出自粛要請で、飲食店や映画館、小劇場、ライブハウスなど様々な実店舗が壊滅的な打撃を被っている。緊急事態宣言が発出された4月には多くの書店も休業をすることになり、経営危機にさらされている。

 そんな中、本と書店を愛する人々が書店を支えるためのクラウドファンディング「ブックストア・エイド基金(Bookstore AID:https://motion-gallery.net/projects/bookstoreaid)」が立ち上がった。いつ解除されるかわからない休業要請の中、少しでも書店に金銭的余裕を作り、これからの運営について考える時間を作ることに寄与できたら、との思いで5人の発起人が名を連ね、参加書店を公募した。現在までに(5月17日時点)2500人以上から2700万円を超える支援が集まっている。

 ブックストア・エイドはどう書店の助けになるのか、そしてネットでいつでも本を買える時代になぜ書店を守りたいと考えているのか、発起人の5人、阿久津隆(本の読める店 fuzkue店主)、内沼晋太郎(ブックコーディネーター)、大高健志(MOTION GALLERY代表)、武田俊(編集者・文筆家)、花田菜々子(作家・書店員)に本プロジェクトについて話を聞いた。

書店さんに考える時間を作ってあげたい

――ブックストア・エイドの公募で集まった書店さんから、今どんな声が上がっているのでしょうか。

阿久津:やはり先が見えないとおっしゃる方が多いです。

――いつ営業再開できるかわからないので、先が見えないと。

内沼:それもあると思いますが、営業していてもお客さんが来ていないんです。いつ営業再開できるかだけじゃなくて、いつお客さんが戻ってきてくれるかわからないので先が見えないんです。ブックストア・エイドに参加している書店さんの中にも休業しているところ、営業はしているところ両方混ざっていて、僕らはそこに線を引いていません。

 そもそも、すごく儲かっている書店は少ないです。ギリギリ運営していた状態から、いきなりこういう状況になってしまったので、明日お客さんが戻ってくるならなんとかなるけど、2カ月かかるなら持ちこたえられないというお店もあるだろうし、半年かかるならもう無理だけど2カ月で終息することに望みをかけている人もいると思うんです。

 僕の運営している「本屋B&B」も決して良い状況ではないですが、僕がブックストア・エイドの発起人として前に出ている以上、参加書店に名を連ねるのは決して気持ちいい話じゃないと思ったので不参加を決めました。オンラインでイベントを配信したり、デジタルリトルプレスというPDFをオンラインで売る仕組みを作ったりするなど、こういうことを頑張ろうというのは見えてきている。それに佐藤尚之さんがブックストア・エイドとは別に「#応援させて」のプロジェクトでB&Bのためのクラウドファンディングを立ち上げてくれました。

 でも、今なにかを考える余裕のない書店さんもあると思うんです。そんな書店さんにわずかでも心の余裕を作れるような取り組みになればいいなと思っています。

――心の余裕はやはりとても重要だと思います。阿久津さんの、本の読めるお店「フヅクエ」では「いつか行くフヅクエ券」がすごく売れていることは経営にとって大きいのでしょうか。

阿久津:そうですね。実際にお金が生まれるのを目の前で見ると考える時間をもらえた気がして心に余裕が生まれました。こういう状況でお金がどんどん減っていくと冷静に考え続けるのもすごく難しいと感じます。そのために一回立ち止まって、この先のことをしっかり考える時間を提供することが今回の基金の意義だと思います。 

なぜ本屋を守りたいのか

――書店はそもそもあまり儲からないという話も出ましたが、ではなぜ書店は社会に必要なのかが今改めて問われているのかもしれません。みなさんはなぜ書店を守るべきだと考えておられますか。

阿久津:僕は書店を守る「べき」とは言いたくなくて、これまでの僕の人生は本に支えられてきたし、書店という空間に何度も生き返らせてもらったので、今回のことで書店が無くなってしまったら嫌だという気持ちだけです。

武田:僕も一人の本好きとして書店には思い入れがあります。今はアマゾンでも本が買えるし、出版社もオンラインサイトを持っています。それでも、探していた本の延長線上に全く未知の本が見つかったり、あるいは全く出会ったことのない書き手の本がふと探していた本の隣に置かれていたりとか、検索では出会えない本に出会えるメディアとしての書店の強みがあると思うんです。

大高:参加書店の一つが「本屋に足を運ぶ習慣がなくなってしまうのが怖い」と書かれていました。あえて演劇や映画と比べると、本はネットで買っても書店で買っても同じものですし、読むのもそれぞれの個人の空間ですよね。それでも僕が本屋が必要だなと思うのは、武田さんがおっしゃったようなセレンディピティがあるからです。ネットでは個人の嗜好に合わせてエコーチェンバーが起きて、同じような本ばかりがレコメンドされがちです。そうなると、本は新しい扉を開いてくれるはずのものなのに、そうじゃなくなってしまう気がします。それと地方に行くと、書店がその地域の文化発信の拠点になっていることが多いことに気がつきます。僕はPOPcornという映画上映のシステムを運営していますが、地方でPOPcornを使ってくれるのは本屋さんが多いんです。ですから、書店が街からなくなると本だけでなく、いろいろな文化の発信拠点の喪失になってしまうのではないでしょうか。

花田:文化の起点としても書店は大切な場所ですが、好きなアイドルに課金するような気持ちで書店を応援しています。私は、かれこれ20年近く本屋に身を置いていて、様々なタイプの本屋で勤めてきましたし、人生の要所要所に本屋があったので、本屋に育てられてきたという思いがあります。本屋はどんな店にもそれぞれの個性があって、大型書店にも小さな街の本屋にもそれぞれの面白さがあり、用も無く立ち読みするだけでも自由だし、そこから意外な出会いがあったり、全ての本屋にそれぞれの底なしの魅力があると思います。

花田氏著作『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』書影

――花田さんは、3月下旬に新刊を出されたばかりで、その後すぐコロナによる営業自粛が始まっていますが、売上に関して書店が開いていないことの影響を感じますか。

花田:私の本は3月に出せたのでまだよかった、というのが率直な気持ちです。4月や5月に新刊を出された方は、店頭に自分の本が並ぶことを目指して発売日まで頑張ってきたと思いますし、今どれだけ悲しい思いをしているだろうと、想像しただけでやりきれない気持ちになります。電子の方が強いジャンルや、すでに特定のファンがついている著者もいると思いますが、デビュー作を刊行された方や、まだ知名度の低い著者は、書店で見つけてもらうことに希望を持っていたと思います。そういう意味でも書店は著者にとっても大事な存在です。

内沼:僕は人がそもそも本を好きになるには、日常の中に大きな本棚が必要だと思います。ひとが本を好きになるきっかけとして、両親が本好きで自宅に大きい本棚があったとか、学校の図書室の本を端から端まで読んでいたという話をよく聞きます。もちろん、一冊の本から始まることもあると思いますが、やはり大きい本棚の存在感、あるいはその全体感のようなもの、世の中にはこんなにたくさんの本があり、色々なことについて書かれていて、一生かけても読みきれないんだと圧倒される体験ができる場所がたくさんあってほしい。そういう環境がなく、生まれた時からネット書店しかなかったとしたら、その人が本を好きになるための重要な回路がひとつ絶たれているという感じがします。

武田:過去に内沼さんが著書の中で「書店はフィルターバブルを洗い流す」ということを書かれていたことがあって、その感覚はすごくよくわかります。検索ワードの向こう側を本屋が持っているから、そこに足を運ぶと出会いがある。それが自分にとっての書店の強さですね。

――そうした偶然の出会いはアマゾンなどではなかなかできないわけですね。

内沼:偶然の出会いということばは書店の利点としてわかりやすく、よく使われる気がしますが、実はやや違うのではないかと思っています。例えば、アマゾンのオススメとかTwitterでたまたま流れてきた本の紹介も、偶然の出会いだといえますよね。今、本屋に行きたくてうずうずしている人は、本との偶然の出会いだけを求めているかと言うと、違う気がするんです。本棚に囲まれていて、気になる本を次々手に取ることができる、その空間が持つ独特の高揚感だったり、そこで時間を過ごす楽しみを奪われていることにダメージを受けている。そうしたプロセスのほうに魅力のかなりの部分があって、偶然の出会いというのはその結果にすぎないというふうに感じます。

武田:確かに僕も未知の一冊に出会いたいと思っていつも本屋に行っているわけではないですね。そこに所蔵されているものたちが少しずつ変わっていき、そこを回遊すること自体に意味があるというか、それをしていると偶然の一冊に出会えることがあるという感じかもしれません。

阿久津:最近僕が感じているのは、本棚というのは限りなく自然物に近い人工物じゃないかということです。本棚には無限のパターンがあって、それを眺めるのは木々の葉っぱを眺めたり、川面を見ていて飽きないというのに似ている気がするんです。書店に行くのは日光浴みたいなものなんじゃないでしょうか。

内沼氏単著『これからの本屋読本』

内沼:そうですよね。ぼくがさっき言ったのはまさに、日光浴したいのであって必ずしも日焼けがしたいわけではないとか、川を眺めたいのであって魚を獲りにきたわけではないとか、そういう本屋の楽しみかたもあるよね、みたいなことです。自分の本では、「本屋は日常にある最も身近な世界一周旅行」という書き方をしています。本屋にはこの世界についてのあらゆる本が存在しているので、ぐるっと回っただけで世界一周旅行に出かけたような気持ちになれると思うんです。しかも、本屋ごとにその世界の構成要素が少しずつ違っている。そういう場所の扉が日常の中に開いているのはすごく豊かなことだと思います。 

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