伊坂幸太郎『逆ソクラテス』はなぜ小学生を主人公に? 伊坂ワールドの新境地を読む

 「逆ソクラテス」では「僕はそうは思わない」というフレーズが、なにかを守るための楯として用いられる。「スロウではない」では、2人組の一方が「ドン・コルレオーネ」と呼びかけて相談を持ちかけると、相手が「では、消せ」と応じる。映画『ゴッドファーザー』に登場した、邪魔者を始末するマフィアのボスのことを真似ているのだ。「非オプティマス」では、宇宙人が車に変身している『トランスフォーマー』のファンの少年が、やたらと同作を喩えに持ち出す。「私にいい考えがある」と同作の司令官のセリフを発し、「世を忍ぶ仮の姿」とかいいたがる。子どもたちは、面倒な状況をやり過ごしたり遠ざけたりするため、現実と自分の間に挟む一種のクッションとして言葉を使う。

 一方、「アンスポーツマンライク」の語り手・歩は、試合中の一瞬の判断を躊躇してしまう性格であり、「一歩踏み出せない歩君」という揶揄のフレーズが頭のなかから消えず、自縄自縛に陥っている。このように作中の言葉づかいが本人のキャラクターを浮き彫りにし、状況をどう受けとめているかも表現する役割を果たす。子どもだけではなく、先生や親も同様の手法で描かれる。例えば、「逆ワシントン」に登場する母親は掃除機をかけたあと、「はなはだ簡単ではありますが、これでわたしの掃除に代えさせていただきます」と我が子に軽く会釈するという。彼女のノリや生活感が伝わってくる場面だと思う。

 「僕はそうは思わない」、「ドン・コルレオーネ」、「ギャンブルではなく、チャレンジだ」など、作品ごとによく出てくるフレーズ、選ばれる言葉の傾向がある。各ストーリーに意外な展開が仕組まれているが、繰り返し出てくる同じ言葉が、局面の違いによって切実にもユーモラスにも響く。物語の進行に応じてニュアンスが変わることで、話の前後における人同士の力関係の逆転をいっそう印象づける。このへんの匙加減は絶妙だ。

 小学生ばかりを主人公にしたのは伊坂にとって初めてであり、その点は新境地といえる。同時に『逆ソクラテス』は、著者が自家薬籠中のものにしてきた力関係の描写、言葉づかいの妙があったからこそ書けた作品集である。伊坂幸太郎は、やっぱり面白い。

■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『ディストピア・フィクション論』(作品社)、『意味も知らずにプログレを語るなかれ』(リットーミュージック)、『戦後サブカル年代記』(青土社)など。

■書籍情報
『逆ソクラテス』
著者:伊坂幸太郎
出版社:株式会社 集英社
価格:本体1,400円+税
https://www.shueisha.co.jp/gyakusocrates/

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