『鬼滅の刃』炭治郎がカナヲの心に起こした“変化” 童磨戦後の涙が伝える、人としての成長

 そして童磨戦の最中、しのぶが役目を果たして死に、カナヲ1人が立ち向かっている所に、同期の嘴平伊之助が登場する。「カナヲと伊之助は同期だから」「伊之助と童磨は実母をめぐっての因縁があるから」。そういった背景ももちろんあると思うが、カナエ・しのぶの弔い合戦のパートナーが伊之助だったのにはもう1つ、理由があると思う。

 カナヲが、尊厳ある一人の人間として生きていくための、最後の成長。それは、悲しいことがあったとき、心に傷を負うことだ。物心つく前から、心に傷を負わなくなっていたカナヲ。もちろん人生において、傷つくことはなるべく少ない方が幸せなのかもしれない。それでも、どんな人でも、悲しみにぶつかる瞬間はある。そんなとき、その悲しみに向きあい、自分なりの方法で克服する、いわば儀式が必要だ。カナエが死んだとき、カナヲは泣けなかった。あのとき彼女が抱くはずだった感情はどこへ行ったのか。「みんなは泣いていたのに、自分だけ泣けなかった」という罪悪感として残り続けていた。

 一方の伊之助は、いつも自分の感情に素直で、作中で泣いている描写も多いキャラクターだ。猪のかぶり物をしたままとはいえ、人前で豪快に泣き、それを恥じる素振りはない。童磨撃破後、伊之助は母を想い、カナヲはカナエ・しのぶ想い涙する。偶然かもしれないが伊之助がここだけ、猪頭をかぶらず素顔のまま泣いたことに、作者が何らかの意味を込めているとしたら……やはりここでカナエと共闘するのは伊之助でなければならなかったと思う。2人がそれぞれ喪失に傷つき、そして乗り越えるための、大切な儀式だったのではないか。他人を想って泣けなかったカナヲは、人前で他人を想って泣くことができる伊之助のおかげで、最後の一歩を踏み出せたのではないか。

 童磨討伐という悲願を達成するために、確かにしのぶの死は決定事項だったのかもしれない。けれどその死によって、カナヲは物心ついて以来、初めて心から傷つくことができたのである。

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