東野圭吾『クスノキの番人』は超高齢社会・日本に適した作品? 3月期月間ベストセラー時評

想いを托す側の願望に寄り添った物語

 この作品では、人が托した想いが親族・血縁者に継がれていくこと、想いを後続が受けとめて振る舞うことが無前提で良いこととされている。言ってみれば托す側の願望に寄り添った物語であり、託されるより託したい側の多い超高齢社会・日本にフィットした価値観に基づいた作品だ。

 というのも、たとえ親から何らかの想いを託されたとしても、子はそれを継承しない自由もあるはずだが、そこには目が向けられないからだ。これは「子ども・若者は、親・年長者の価値観を受け入れて生きることがよい」と言っているようで、個人的には受け入れがたいものがある。ただ、前述のとおり、日本人の平均年齢はすでに50歳オーバーの超高齢社会であり、託される側より託したい側の方が多いことを考えれば、こういう価値観の作品に需要があることは非常によく理解できる。

 誰しも自分に近い人間、特に家族に対して「こうしてほしい」「こうであってくれたら」と思うことはある。現実には肉親といえども他人だから、自分の思い通りに振る舞ってくれることは少ない。だからこそ、それが叶う世界をフィクションで描いてくれたならば、多くの人にとって読んでいて気持ちがいいものになる。

 しかも、直接言葉をかけたり行動するのではなく、本作では、ある場所にその想いを預ければ、肉親があとで自発的にそれを受け取りにやってきて、その想いを叶えようと動いてくれるのだ。現実では、日々直接的に働きかけていてもなかなか子どもやパートナーの行動を変えられない。そういう人間からしたら、こんなにラクなことはない。言葉で表現できない想いを預け、親族がそれを受け取る、というエピソードが本作には登場する。

 一方で「それってわざわざそんな手段を取らなくても、直接話した方が早いし確実なのでは?」と思うエピソードもある。しかし、なぜ直接言わないかと言えば「想いを託す側が、わざわざ迂遠な手段を選んだにもかかわらず、託された側が十二分に汲んで動いてくれた」という感動を演出するためだろう。間接的な方法を選択したのに、直接言う以上に伝わった、ということによって、想いを託す側の満足は極まる。

 なんとも日本人らしい願望がこの作品には込められている。なかなか本音を直接ぶつけられないが、何も言わなくてもこちらの気持ちを察して振る舞ってくれることを望む――そんな日本人の心性をよく理解して書かれたヒューマンドラマである。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

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