ナイツ 塙が語る、M-1論と芸人の辞めどき 「40歳くらいの芸人はみんな悩んでる」
今年8月、お笑い界を揺るがす革新的な1冊が出版された。『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』。著者は2018年の『M-1グランプリ』(朝日放送)で審査員席に座ったナイツ・塙。これまでに出場した本大会では3回も決勝に出場するが、優勝は叶わなかった。そんな塙からみた“M-1論”や“お笑い論”、そして”お笑い第7世代”の話まで、40年間ウケることだけを求め続けた男のインタビューを前編・後編に分けてお届けする。(編集部)
お笑い観を変えた兄からの言葉
――8月の発売からこれまで、大反響の一冊となりましたね。『アメトーーク!』(テレビ朝日)の「ツッコミ芸人が選ぶ このツッコミがすごい!!」や、『ゴッドタン』(テレビ東京)の「お笑いを存分に語れるBAR(漫才編)」なども、塙さんありきでの企画だったように感じました。
塙:いえいえ……そんなことないと思うんですけどね。たまたまですよ。
ーー芸人さんやテレビマンからの反響で、印象に残っているものはありますか?
塙:みんな「買ってます」って言ってくれるんですけど、具体的に「ここが面白かった」という感想はあまりないですね。でも、オール巨人師匠からは「読んだよ。俺は稽古したほうがいいと思う」と言われました(笑)。
――「練習しすぎない方がいい」という章についてですね(笑)。先に挙げた2番組には土屋さんも一緒に出演し、的確な指摘をされていました。コンビ間での漫才観、お笑い観の共有は日々されていると思うんですが、こうして本にしたことで、土屋さんが新たに気づいたこともあったのでしょうか。
塙:それは聞いたことないです。ただ、かれこれ10年くらい一緒にずっと横で取材を受けているので、俺がいつも喋っていることをまとめたな、とは思ってるんじゃないですか。直接ダメ出ししたりすると機嫌悪くなっちゃうから(笑)、取材を通してダメ出しするんですよ。
――なるほど(笑)。間接的といえば、この本は漫才論の顔をしながら、自己評価をかなり冷静にされていますよね。塙さん自身、幼少期から冷静に自分のことを分析できるタイプだったのか、芸人さんになってからそういう考え方になっていったのか、どちらなんでしょう。
塙:芸人になってから、ですかね。27歳くらいになったときに、急に思い始めました。
――具体的に何かあったんですか?
塙:僕の場合ちょっと特殊な環境で……2003年に兄貴(はなわ)が売れたじゃないですか。その時の兄貴の年齢が27歳なんですよ。だからなのか、27歳になった僕を中野に呼びつけて「売れること自体、すごく大変なことなんだ。売れる前の方が良かった。売れてからはネタを作るのも大変で、ここに円形脱毛症が出来たんだ。見ろ」と。立て続けに「作家とか、そういう道も考えた方がいいんじゃないか」なんて言われて。僕自身はすごく困惑して「ちょっと待ってよ……俺だってまだこれからだし」と反論しつつ、「そういう風に言われるってことは、やっぱり売れるって思ってないんだな」と自覚したんですよ。本当のこと言ってくれるのって兄弟しかいないので。
ーーお兄さんの言葉だからこそ、悔しくもあり、刺さる部分もあったと。
塙:そうなんです。兄貴が子どもの頃からクラスの人気者で、ウチの親も「尚輝は面白いからお笑い芸人になるよ」みたいなことを言ってたんですよ。みんなで夜ごはん食べてても「尚輝、今日何があった?」って聞いてたり。長男と、三男の俺はどちららかというとそれを聞いているタイプだったこととかを思い出して、「もしかしたら俺は表に出るタイプじゃないのか?」って考え始めたんです。そこから色々自分と向き合って、客観的に自分を見るようになりました。
ーーでも、それをポジティブに変えたからこそ、今のスタイルがあるわけですよね。
塙:そこに関しては、たとえば、アンケートに、「華がない」って結構書かれたりして、表では「こんなこと言うやつは頭おかしい客だ」って誤魔化していました。でも頭の中では「華がなくて、浅草で漫才協会入っちゃって、売れるわけね―じゃん」って思ったりもしていて。「ここからどうしたら売れるのか」と考えたときに「それを逆手にとるしかない。浅草の方から出ていくしかないから、とにかくネタだけは面白いっていわれるようにならなきゃ」と腹を括れたのは大きかったです。改めて思うと、26歳くらいまではそんなにネタを頑張ってなかったんですよね。
――お笑いと呼ばれるもの全方面にまんべんなく頑張っていたと。
塙:そうですね。今の若手も皆そんな感じだと思いますけど、なんとなく全方位で頑張って、合コンをやって、女の子とかと遊んで。そっちが芸の肥やしになると思ってる。でも、必死にネタを作ってるやつには勝てないって気付くんです。