ACE COOL『Haigamine』に宿る“物語”とは異なる文学性とは? 散らばった言葉の集積が生む、聴かせる力の凄み

 ジェイムズ・エルロイの“暗黒のLA四部作”のひとつ『ホワイト・ジャズ』には独特の文体があって、何度読んでもそのグルーヴに呑まれてしまう。ロサンゼルスという大都市の暗黒をパラノイアックに描いてみせたこの名作には、抗いがたい中毒性がある。まるで視点人物の頭のなかをそのまま覗いてるかのように、多くの単語が記号とともに散文的にばら撒かれる。具体的には、整合性を持った一文を堅実に引いていくのではなく、要所要所に短いセンテンス(=固有名、感情、主人公のヤバい状況)を散りばめるのだ。文章を刻んでいると言ってもいい。そこに生まれるリズミカルで感覚的な筆致は、音楽的とすら思える。ただ同時に、むしろ自分自身が普段からラップに親しんでいるからこそ、そう感じているのではないかとも思う。ともかく、ラップが“文学的”と表象されるときに、あるいはリズム的な文学を想像するときに、その関係性を考える上でまず自分の頭に浮かぶのがこの作品だ。

 ACE COOLのラップを聴いても例に漏れず、そういうことを考えさせられていた。広島県出身。KEN THE 390のレーベル「DREAM BOY」への加入や、ヒップホップユニット ASIENの結成を経て、1st アルバム『GUNJO』、2nd アルバム『明暗』をリリース。そこに連なるような形で2年ぶりに発表された新作が、3rd アルバム『Haigamine』だ。そこに映る彼のラップにもまた、変わらず人を惹きつけるような魅力がある。それは歌詞の内容も関係するが、まずは耳を傾かせる、つまり“聴かせる力”について話すべきだろう。これはエルロイの“読ませる力”とそう遠くもないはずだ。

 もちろんラップスタイルに関しては、本人が影響を公言する通りケンドリック・ラマーのラップをどうしても思い起こさせるし、日本語ラップの歴史で見れば、同じように文学との関係性を指摘されるILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB)、漢 a.k.a. GAMIらの従来とは違うタイプのフロウでラップの詩性、レトリックをアップデートしてきた文脈の延長線上に位置しているとも言える。言葉数や引用は非常に多いが、まずACE COOLのラップには言葉を音としてはめ込み、それをさりげない形で聴かせてしまうような技巧が存在する。たとえば〈納税義務 生きてれば死を当然知る〉(「Nakatani」)というラインは、〈納税義務〉と〈当然知る〉という部分で韻を踏み、あえてアクセントを合わせることで違和感なくサウンドとして聴かせる。それは極めて日本語ラップの歴史を感じさせるスキルだが、こういったことをACE COOLは時に高速に、毎秒とも言っていいようなテンポ感で繰り出してくる。彼のラップは、まさにスキルフルという言葉がよく似合う。彼のラップは、やはり音として聴かせるのだ。

ACE COOL - Nakatani (Prod by C.O.S.A.)

 さらに言葉のはっきりとした発声がリスナーの注意をひく。要は聴き取りやすさも担保しているわけだ。意味から解き放たれた次元で、楽器としての言葉、単語を鮮やかに聴かせながら、決して単なる記号として流させない。サウンドへの重きと言葉への意識、その両方を兼ね備える。そのさまは、手堅い構成やシンプルな押韻といったものを超越し、次の瞬間に吐き出される言葉を注視する緊張感、スリリングさにつながる。散らばった言葉の集積に宿るグルーヴ感は、簡単に我々を離してくれない。

 1st アルバム『GUNJO』では広島県から東京に出てラッパーとして活動する自身の半生を描き、続く『明暗』では、ダークな心象風景と現実世界を行き来するようなコンセプチュアルな様相を呈した。そもそも、そういったアルバムの作りは彼自身、書籍や映画から受けた影響も大きく、『明暗』ではイギリスの哲学者 バートランド・ラッセルの『幸福論』にインスピレーションを得ていることを公言している(※1)。さらに、ケンドリック・ラマーの『good kid, m.A.A.d city』からの影響を語っていることからも、アルバムのストーリー性を意図的に演出していることが窺える(ケンドリック・ラマーのこのアルバムは一本の映画というコンセプトのもと成り立った)。そういった過去作に比べると本作は、最もラフなラップアルバムと言えるかもしれない。コンセプチュアルなアルバムというよりも、本作におけるNosh、C.O.S.A.、ineedmorebuxらが紡ぐビートも多種多様に、彼のラップを際立たせる。

ACE COOL - Shakunetsu

 地元である広島県呉市の山である灰ヶ峰の名前を題した本作は、全体を貫くストーリー性は消えないものの、純粋なラップアルバムという点ではミックステープ的な質感すらある。ジェイムス・ブレイクから影響を受けたというムーディーなエレクトロサウンドの趣を塗し、孤高に自らに向き合うようなスタンドアローンな構成だった前作に対して、Bonbero、BFN TOKYOTRILL、Jinmenusagi、JC、Sieroなどを招いた客演陣とのアンサンブルもまた違う質感を与える。記憶や内省をメインに描いていた今までの作品を経て、本作でも過去を振り返る場面がありながらも、全体のスタンスは地に足つけた自身の現在地点をありのまま見せているようだ。何よりも、これまでにもあった「散らばった言葉から生まれるグルーヴ」と「ムードも含め展開するようなコンセプチュアルな構成」の両方を捨てず、具体と抽象を同等のものとして強固に共存させるところにリスナーを引っ張る力を感じる、そんな彼のラップの中毒性がより高い純度で極められている。物語性やレトリックそのものを評価する意味合いで使われがちな“文学的”という言葉だが、リズムを重視するという形式的な側面において、音楽と小説という異なったアートフォームを同列に並べてしまいたくなるような、そういった表現/芸術としての普遍が備わっている作品を作り上げているひとりがACE COOLだろう。

 エルロイのLA四部作ではないけれど、これはACE COOLの三部作だ。一度足を踏み入れたものを巻き込んで離さないこの音楽に、誰が抗えるか。

※1:https://fnmnl.tv/2025/03/04/163770

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