吾妻光良 & The Swinging Boppers、45年間続くバンドの美学 馴染みの仲間が集結した『SPECIAL BANQUET』を振り返る

吾妻光良、45周年公演を振り返る

 結成から45年にわたり、日本のジャズ/ジャンプ・ブルース・シーンを独自のスタンスで走り続けてきた、吾妻光良 & The Swinging Boppers。今年の1月11日にLINE CUBE SHIBUYAにて開催されたライブ『SPECIAL BANQUET』が、映像作品として発売された。

 ステージで繰り広げられる痛快な演奏の裏側にはどんな思いと美学があるのか。そして、長きにわたってバンドを続けてきたからこそ見える景色とはーー同作品を手がかりに、バンドの現在地から音楽への向き合い方、ライブへのこだわりまで、吾妻光良にじっくりと話を聞いた。(編集部)

昔からの仲間が集結した『SPECIAL BANQUET』

吾妻光良 & The Swinging Boppers『SPECIAL BANQUET』ライブ写真
吾妻光良(写真=山本佳代子 Kayoko Yamamoto)

ーー今年1月にLINE CUBE SHIBUYAで開催されたワンマンライブ『SPECIAL BANQUET』が映像パッケージ化され、6月24日にリリースされました。結成45周年を記念して行われた公演を改めて振り返っていただけますか。

吾妻光良(以下、吾妻):もう遠い昔のことのような気がしますねぇ。まあ、普段あまりしない練習とかもしちゃいましたから。でも、しといてよかったですけどね。どうしようもなく、ぐしゃぐしゃに破綻することはなかったです。それが良かったかな。

ーーステージ上では「感無量です」とおっしゃってました。

吾妻:あれは次に進行させるためのセリフでございまして。

ーーえぇ! そうなんですか!?

吾妻:すいません、汚いじじいの事情です。「この後、どうすんだよ」って言って、俺が何も言わないっていうのを演出するために「感無量だ」ってことにしとくかっていう。

ーーゲストを呼び込むためのきっかけのセリフだった?

吾妻:まさに、それ。まあ、ゲストを呼べたのは嬉しいなっていうのはありました。古くからの知り合いばっかりですけどね。

吾妻光良 & The Swinging Boppers『SPECIAL BANQUET』ライブ写真
写真=田辺龍一郎 Ryuichiro Tanabe

ーー5組のゲストミュージシャンが登場しました。

吾妻:男3人は昔からの知り合いですね。そもそも渋公でやるってなった時に、安全第一がありました。 普段、呼ばないようなゲストを呼んでガタガタになって、覚えきれなくて止まっちゃったらやだし。慣れてるやつを呼ぼうぜって言ったら、もう古い人がドドドと来て。ほんとに昔からの仲間ですから。渋谷公会堂っていうきらびやかな小屋だと、ゲストもそれなりの有名な人を呼んだ方がいいんじゃないか、みたいな話もなくはなかったんだろうけど、俺は別にそうじゃなくて。昔からの仲間をみんなに見てほしいなと思っていたら、(本公演を主催した)クアトロさんもレーベルのソニーさんもいいんじゃないですかと言ってくれて。もっとビッグな人を呼ばなきゃダメだ、みたいなプレッシャーがあるとやだなと思ったけど、そういうのは一切なくて良かったです。

ーー最初のゲストである藤井康一さんとはどんなゆかりがありますか。

吾妻:この中で一緒にやり始めたのが、一番早いのは藤井君かな。ウシャコダというバンドで出てきた人で。彼らがデビューした1978年当時、ブルースブームがあったんだけど、ちょっとねじ曲がった方向からブルースを捉えてるようなところがあって。そこが気が合ったところだったんですよね。彼がウシャコダをやってたところに、僕の大学のサークルのコンサートに呼んだんですよ。「2万円で来てくれ」って言ったら、「行く行く」って来てくれて。その頃からですからね。

ーー47年くらいの付き合いになりますね。

吾妻:学生の頃からだからね。次のゲストのLeyonaはそれよりはだいぶ後だけど、それでももう20年くらいじゃないかな。Leyonaは最初、もっとちっちゃいコンボかトリオで呼んだら、度胸がすごかったんだよね。リハは生煮えな感じだったから大丈夫なのかなと思ってたら、パッと歌っちゃって。歌の度胸がすごいねってなって。で、バッパーズでも呼ぼうよって話になって。

ーーMCで「うちの持ってるゲストの譜面の中でLeyonaの譜面が一番多い」と言ってました。

吾妻:そうそう。「L-O-V-E」にしたのは、Leyonaの明るさがうまく出てる曲だし、最新アルバム『Sustainable Banquet』にも入れてるからいいのかなと思って。同じ盤にEGO-WRAPPIN'も入ってますしね。男性ゲスト3人のうちでアルバムに入ってるのは二部に呼んだ松竹谷清だけなんだよね。

吾妻光良 & The Swinging Boppers『SPECIAL BANQUET』ライブ写真
写真=田辺龍一郎 Ryuichiro Tanabe

ーー松竹谷さんとはいつ頃からの知り合いですか?

吾妻:松竹谷に会ったのは大学3年ぐらい。松竹と藤井君は俺より2学年下で。日本のブルース業界は彼らの年代が多いんですよ。俺の2学年下、1957年生まれがものすごく多くて。亡くなった小出斉(早稲田大学理工学部軽音楽サークル「ロッククライミング」出身のブルースギタリスト)もこの世代ですね。

ーーどうしてその世代にブルースブームが来ていたんですか?

吾妻:日本全体で74年から75年ぐらいがすごくブームだったんですよ。みんなその時にブルースにつかまっちゃって、そこから抜けられなくなった。だってAMラジオでブルースの番組がありましたからね。『中村とうよう ブルースの世界』(TBSラジオ)をリアルタイムでラジオにかじりつくようにして聞いてましたもんね。あれは大きかったなぁ。みんなその頃からの知り合い。清とやるようになったのはいつかな。武蔵大学の「白雉祭」に呼ばれたときにゲストとして出てもらって、この曲(「You Brought a New Kind of Love~知らぬ間に心さわぐ~」)を歌ってもらった気がしますね。86年とか87年とか、それぐらいですよ。

ーーそれも40年前になりますね。

吾妻:この曲は清もいいんだけど、トランペットの冨田(芳正)のアレンジが素晴らしくて。これはやりがいがある。まあ、他はやりがいねえのかって言われちゃあれだけど、これはやってて楽しくて。清らしい、いい訳詞だし。あとは、福嶋“タンメン”岩雄。福島タンメンはファッツ・ボトル・ブルース・バンドっていうのをやってた1975年に京都から東京にやってきて。その時に見に行ってるから、知り合ったのが一番古いですね。「Nobody Knows You When You’re Down And Out」の歌詞を日本語で書いたのはすごいなと思っていて。なかなかここまで共感を呼べる歌手っていうのは、そんなにいないんじゃないかなと思う。もっとちっちゃい編成、トリオプラスワンかなんかで、大阪のアズールっていうライブハウスでやった時、アンコールでこれをやったら場内総立ちになったのは覚えてますかね。みんなズシリとくるもんがあるんですかね。

ーーそして、一転して、EGO-WRAPPIN'が。

吾妻:よっちゃん(中納良恵)の弾けるような声と、森(雅樹)くんもロックテイストで面白いソロを弾いてくれて。

ーー最新アルバム収録の「Boogie-Oogie」ではなく、「Misty」でした。EGO-WRAPPIN'の主催ライブ『Midnight Dejavu』にバッパーズが出演した時の打ち上げの席で即興セッションして盛り上がったと聞いてます。

吾妻:その前にもう譜面にしてたんだけど、打ち上げでもその場でよっちゃんが俺のギターで歌い始めちゃって。それが結構、すごかった。みんなも、すげえってなって。忘れられない一夜ですけど、どんな飲み屋だったか覚えてない。ただ、ちゃんとした飲み屋だったことだけは覚えてる。俺たちの仕切りだと、飲み放題何千円ってとこ行っちゃうからね。そうすると評判悪くてね。一度福岡で、「みんな弁当も食ってるから、あんまり食い物なくてもいいよな」って聞いて。二千八百円飲み放題の店を見つけたんですよ。そしたら、枝豆とポテトフライと昆布しか出てこない。「おい、これで終わりか!」みたいな暴動が起きたことがあって(笑)。あのセッションはちゃんとした居酒屋だったから、EGOさんの方に出た時だってことだけは覚えてます。

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