GANG PARADE THE LAST ROAD Vol.5:キラ・メイ「誇れる人生にしないといけない」 “誰かのため”になること、これからの支え
2026年、GANG PARADEは解散する。その事実を前にして、彼女たちは今何を思うのか――。「信じたくない」といまだに思っているかもしれない。もうずっと前から終わりを覚悟していたと思っているかもしれない。あるいは、ただ静かに、胸の奥に何かが積もっていくのを感じているだけかもしれない。その最後の心の機微をリアルサウンドは全力でキャッチしようと思う。最初で最後のGANG PARADEメンバーのソロインタビュー連載をここに始める。撮影のために、メンバーにはいちばんお気に入りの衣装、いちばん思い出深い衣装をそれぞれに選んでもらった。インタビューの最後には、GANG PARADEの衣装をすべて手がけてきた外林健太のコメントも掲載する。最後の道を歩く11人の声、思いをここに刻んでいこうと思う。
第5回目は、キラ・メイだ。突出した才能も、燃えるような夢も、強い意志も、「何もなかった」と彼女は言う。「なんとなく生きてきた」という言葉がいちばんしっくりくるような日々のなかで、その「なんとなく」が終わったのは、テレビの向こうにいると思っていたアイドルが、もしかしたら手の届く場所にあるかもしれないと気づいた瞬間だった。そこから人生をかけてWACKで生き続けてきたのが、キラ・メイという人間である。
キラ・メイは、「この人のために頑張ろう」「このグループのために頑張ろう」ということを、純度高く思える人である。インタビューをさせてもらってあらためて思うが、キラ・メイの立ち居振る舞いには、“キラ・メイ”という人の価値観とメッセージが高い純度で込められている(兄の宿題をかわりにやっていたというエピソードも含めて)。誰かの“ため”、何かの“ため”ということが、思考回路のいちばんにある人なのだ。「会いに行きたい」と思われる自分でいること。その日がやってくるまでの生きる希望になること。最初は衝動によって選んだアイドルの道のり。そのなかでも“誰かのため”をまっとうできる、とても稀有なアイドルだと思う。WAgg、PARADISES、そしてGANG PARADE。コロナ禍の無観客ライブも、グループの分裂も、メンバーの脱退も、思い描いていた未来とは何度もすれ違いがあっただろう。それでも、ここまできた。その源にはやはり、“誰かのため”という願いがあったのだと思えてならない。GANG PARADEで過ごした時間と事実が、これからのキラ・メイの支えとなっていくのだ。
キラ・メイがアイドルであり続ける理由とはこれなんだなと納得させられる、たしかな確信をもったインタビューになったと思う。今、“解散”というカウントダウンのなかで、彼女は、GANG PARADEは、ツアーをまわり続けている。何者でもなかった少女がキラ・メイとなり、そして人生をかけて“誰かのため”になり続けた話を聞かせてもらった。(編集部)
小学1年生から3年生くらいまで一回も宿題をしなかったです
――5月23日生まれ、岐阜県出身ですね。WACKに入るまで、ずっと岐阜ですか?
キラ・メイ(以下、メイ):はい。両親も岐阜育ちなので生粋の岐阜人です。山とか川があるのどかな場所で育ちました。
――家族構成は?
メイ:両親と6人兄妹。私は兄妹のなかの5番目。お兄ちゃんが3人、お姉ちゃん、妹がひとりずつです。
――生まれてからの最初の記憶として思い出すことは?
メイ:赤ちゃんの妹がこっちに向かって歩いてきたのを覚えてます。あとは喧嘩して泣いたこととか。
――幼少期はどんな子どもでした?
メイ:外で友達と遊んで帰ってきてからもお兄ちゃん、お姉ちゃん、妹と遊んでました。日が暮れるまで家の前で遊んで、日が暮れてから帰って、ごはんを食べて、そして寝るという繰り返し。みんな、やんちゃだったのかもしれないです、兄妹の誰かしらがどこかの骨を折ったり、縫うとか、いつも怪我をしてたので(笑)。私も家のなかの階段と家の外の階段で一回ずつ転んで、おでこと口の下を縫いました。両親は大変だったと思います。
――(笑)。小さい頃は、どんなことが好きでした?
メイ:お兄ちゃんの単行本の漫画とかを小さい頃から読んでました。雑誌も大量に家のなかに置いてあって、よく読んでましたね。年少さんくらいから文字が読めるようになってたんです。『ジャンプ』(『週刊少年ジャンプ』/集英社)とかはフリガナがふってあるので、読みやすいのを適当に見つけて読んでた気がします。
――好きだった作品は?
メイ:幼い頃に読んでいた本だと、『こち亀』(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)です。眉毛がつながってるおまわりさんが変なことをやらかすお話がわかりやすくて。あと、1話完結なので読みやすかったんです。『ジャンプ』を開いたらまずは『こち亀』を読んで、ほかにも読みやすそうなのをパラパラ読んでました。
――小学校に入ってからの生活は、どんな感じでした?
メイ:低学年の頃から宿題とかを全然しなかった(笑)。休み時間とかにさせられてたのを覚えてます。1年生から3年生くらいまで一回も宿題をしなかったです。あ、でも、お兄ちゃんの宿題をよくさせられてました。
――お兄ちゃんの!? 習ってない内容の宿題ですよね。
メイ:はい(笑)。漢字の書き写しみたいな、簡単なやつだったんですけど。幼稚園の頃からひらがなの書き写しをやってました。私も楽しいから、そんなに苦ではなくて。それで、早いうちからひらがなの読み書きができるようになったんだと思います。漢字を書いて覚えるのも好きでしたね。
――読書も好きでした?
メイ:はい。小説とかもよく読んでました。週一冊だったか月一冊だったか忘れちゃいましたけど、「図書室で本を借りましょう!」みたいな運動があって、それでいろいろ読んでたんです。読めない漢字は調べて、どんどん覚えて、それで読めるものが増えるのも嬉しくて。
急に上手くいかないことが出てきちゃって、いろいろめんどくさくなっちゃった
――絵も得意だったんですよね?
メイ:絵は得意なわけじゃなくて、こだわりが強いというか。習字も授業の時間内で終われなくて、ギリギリまでやって片付けが遅れてました。絵は時間をかけたぶん、評価してもらえて、一度賞をもらったこともあって。
――こだわりを貫きたいというのは、アーティスティックなところがあるということかも。
メイ:そうなんですかね? だけど、こだわりは強いのに全然楽しくないんですよ。「ここが上手くできなくてやり直しだ!」みたいなことの繰り返しで、授業以外では描かなかったですし。好きで描いてる子たちのほうが上手でした。
――クラブ活動とかは、何かやっていましたか?
メイ:小学校の時は毎年ひとつクラブに入らないといけなくて、手芸クラブと運動クラブに入ってました。希望のクラブの抽選に外れて入ったクラブだったので、情熱はなかった(笑)。
――(笑)。中学に入ってからは?
メイ:中学では卓球部に入りました。お姉ちゃんが合唱部だったので、なんとなく私も入ろうとしてたんですけど、友達が「卓球部に入りたいんだよね。そんなに大変じゃないらしいよ」と言って、「じゃあ私も入ろうかな」って。入ってみたら、練習がめっちゃキツかったです(笑)。たくさん走らされたり、筋トレを1時間くらいしたり。でも、なんだかんだありつつも楽しくて、卓球部は続けました。
――子ども時代は、積極的に何かに打ち込むことはあんまりなかったですか?
メイ:そうかもしれないです。部活は与えられたものを順当にこなすだけでしたし。それに、中3の時に学校をドロップアウトしたんですよ。それまでは平凡な学生生活だったんですけどね。
――ドロップアウトした理由は?
メイ:私はそんなに目立つ感じじゃなくて、目立つことが好きでもなかったんですけど、進学を考えたら評価が高いほうがいいですし、「授業に精力的に参加しましょう!」みたいな熱血な感じの中学でもあったので、それに感化されちゃったんです。だから、「学級委員をやってみよう!」「応援団にも入ってみよう!」とかいろいろやっていて。でも、どこかで限界がきたんでしょうね。中2の最後くらいの頃、朝起きれなくなって遅刻するようになりました。中3になってからはクラス替えもあって、友達が全然いなくなって。あんまり上手くいかなくなったのもあって、「もうやーめた」って。修学旅行には行ったんですけど、あまりにもはみ出し者すぎて、耐えられなくなりました。
――居場所を見つけたい気持ちになりました?
メイ:なんか……どうでもよかった気がします。それまでずっとなんとなく生きてきた感があって。それなりに友達もいて、部活もやって、勉強の成績もそんなに悪くなくて。何か突出したものはないけど、特に何か外れたことをしていたわけでもないし、それなりに平凡にやってきたんです。その結果、急に上手くいかないことが出てきちゃって、いろいろめんどくさくなっちゃった、みたいな。そんな感じでした。すごく行きたい高校があったら頑張って(学校に)行ったのかもしれないですけど、それもなかったので、「もういいや」となってましたね。
――中学を卒業したあとは、どうしたんですか?
メイ:通信制の高校にしました。岐阜では基本的に公立高校を目指す子が多いんですけど、中3から学校に行かなくなったから出席日数が足りてなかったですし、先生と話をして「通信制の学校が合ってるんじゃない?」ということになって。入ってみたら、結構合ってました。
――将来の仕事とかは、何か考えていました?
メイ:食べることがすごく好きだったから、栄養のバランスとかを考えなきゃいけないというふうに考え始めていて。中学くらいの頃に栄養士という仕事があることを知って、「いいかもなあ」とは思ってました。