マイケル・ジャクソンは天賦の才だけでは語れない 栄光と孤独の表現に宿る文化的DNA――高橋芳朗が5つのキーワードで紐解く
“キング・オブ・ポップ”は、いかにして生まれたのか。マイケル・ジャクソンの伝記映画『Michael/マイケル』が映し出すのは、栄光の軌跡ばかりではない。踊りに見惚れ、喜劇に笑い、絵本のページを繰る――幼い少年が何を浴び、何に憧れて、あの無二の表現者へと育っていったか。その文化的なDNAを丹念にたどる点にこそ、本作のもう一つの見どころがある。マイケル・ジャクソンは、天賦の才だけで完成したのではない。彼が心から愛したポップカルチャーの数々が、時間をかけてあの存在を形作っていった。
ここでは劇中に登場する人物や作品のなかから5つのキーワードを選び、その成り立ちを読み解いていきたい。
1. ジェームス・ブラウン
劇中、幼いマイケルがテレビ画面のジェームス・ブラウンに食い入り、その動きを盗み取ろうとする場面が描かれる。これこそマイケルの原点だった。“ゴッドファーザー・オブ・ソウル”のステップを一つ残らず習得しようとした少年は、カメラが彼の足元を映さないと本気で苛立ったという。1968年のモータウンのオーディションで9歳のマイケルが「I Got the Feelin'」を歌い踊る映像には、その成果がはっきり刻まれている。シャウト、フリーズ、スピン、マイクスタンドを背後へ放り投げる仕草――ブラウンの所作がそっくり乗り移ったかのようだ。歌とダンスを切り離さず、肉体ごと楽曲を体現するという発想。観客を煽り、誘惑し、ねじ伏せる圧倒的なショーマンシップ。これらはすべて、マイケルがブラウンから受け継いだ財産である。1983年にはブラウン本人にステージへ呼び込まれて共演を果たし、2006年の葬儀では弔辞に立って彼を「最大のインスピレーション」と呼んだ。“キング・オブ・ポップ”の背骨を形作ったのは、紛れもなくこのファンクの帝王だったのだ。
2. フレッド・アステア
「Thriller」のショートフィルム撮影中、ゾンビの群舞のさなか、マイケルが一度カメラを止める場面が劇中に出てくる。スタッフにカメラを下げられないかと確認し、彼はこう言う。「足が映っていないと思う。フレッド・アステアは全身を映せと言っていた。そのほうがダンスを感じられるんだ」。アステアに学んだのは、ステップだけではなかった。ダンスをどう見せるかという美学までを、マイケルは血肉にしていた。タキシードやステッキを小道具に変えるエレガンスは、「Smooth Criminal」の端正なダンディズムへと流れ込む。
だが、2人を結んだのは作品の上だけではない。それを象徴するのが、あの電話だ。1983年5月放送の『Motown 25: Yesterday, Today, Forever』でムーンウォークを初披露した翌日、84歳の老巨匠が電話をかけてきた。のちの回想によれば、アステアはこう告げたという。「君は怒れるダンサーだ。私と同じだよ。私もステッキを使って同じことをやったものさ」。マイケルはこれを「生涯で最高の賛辞」と記し、1988年の自伝『ムーンウォーク』をアステアに捧げている。付け加えれば、劇中で映画『雨に唄えば』(1952年)に釘付けになる一幕が示すとおり、アステアと並ぶ銀幕の名手 ジーン・ケリーもまた、マイケルに伸びやかな身体性を授けた師の一人だった。黒人音楽の躍動と、ハリウッドミュージカルの気品。その両極を一身に束ねたところに、マイケルの唯一無二があった。
3. 『ピーター・パン』
本作でもっとも胸を突く場面のひとつが、父の虐待に苦しむ幼いマイケルが『ピーター・パン』の絵本に救いを求めるシーンだ。ページに描かれたのはピーター・パンと宿敵フック船長。マイケルはそのフックの隣に、父 ジョセフの名を書き込んでいる。永遠に大人にならない少年への傾倒が、いかに切実な逃避から生まれたかを、この一場面が雄弁に物語る。幼くしてスターになり、ふつうの子ども時代を奪われたという思いを、マイケルは生涯抱え続けた。だからこそ彼は自邸をピーター・パンの理想郷にちなんで“ネバーランド”と名づけ、観覧車を備えた広大な庭園に、取り戻せなかった少年時代をまるごと再現しようとしたのだ。1995年の楽曲「Childhood」では、その失われた幼年期を切々と歌っている。2003年にドキュメンタリー番組『Living with Michael Jackson』のインタビューで「僕はピーター・パンだ」と言い切り、否定されると「心のなかではピーター・パンなんだ」と返したエピソードもよく知られる。“大人になりきれなかった天才”の渇望――それを読み解く鍵が、この少年の物語なのである。