大森元貴、「催し」で立ち返った“視点”とは 矛盾を抱えながらも生きる飾らない意志――「風と町」との対照性も紐解く

 大森元貴が新曲「催し」を4月27日に配信リリースした。

 今年1月1日にMrs. GREEN APPLEのフェーズ3が開幕した一方で、大森はソロとしては初となるミニアルバム『OITOMA』を2月24日にリリース。ここで大森は、『OITOMA』=“おいとま”という言葉でソロとバンドの関係性を定義した。大きなキャリーバッグを携えての旅行のように、あるいは手ぶらでの散歩のように。音楽性や形態がミセスからかけ離れた曲も、近い空気感を漂わせる曲も、軽やかに形にしていく。今年に入って示されたのはそんなスタンスであり、今回の新曲「催し」は、『OITOMA』からわずか2カ月ほどでリリースされた。

大きな視点を経て歌われる、「催し」の生々しい心根

 「催し」は、『news zero』(日本テレビ系)のテーマソングとして3月30日よりオンエアされている。同じ日の朝には、Mrs. GREEN APPLEの楽曲「風と町」が主題歌を務めるNHK連続テレビ小説『風、薫る』の放送もスタート。ミセスの楽曲とともに一日を始め、大森の楽曲とともに一日を閉じる――そんな生活を送っているユーザーも少なくないだろう。興味深いのは、ほぼ同時期に発表されたこの2曲が、対照的な視点を持って響いていることだ。

 改めて振り返ると、「風と町」はとても“大きな”曲だった。もとより大森の書く曲には、葛藤しながら生きる個人の視点と、人間全体を俯瞰するような高次な視点が共存していたが、「風と町」では後者の感覚が“風”というモチーフを通して鮮やかに立ち上がっていた。ミセスの背負う役割が大きくなるなかで、大森の書く言葉の語り手はもはやいち個人の輪郭を超えている。それでも、あるいはだからこそ、〈風はただ知っている〉と歌われるその風は、走り続けるミセスや大森自身のことをも包み込んでくれる。そのことに彼ら自身もいつか気づくのではないだろうか(いや、すでに気づいているから書いたのかもしれない)。

Mrs. GREEN APPLE「風と町」Official Music Video

 そうした大きな視点のモードを経て聴くと、「催し」の〈もうわかんないよ〉という声はとても生々しい。ここで歌われているのは、世界を見渡す視点からの言葉ではなく、地べたを歩きながら惑い続ける一人の人間の心根だ。報道番組で届けられるのは、政治、紛争、災害、事件といった出来事で、その多くは人の手によって引き起こされる。そこに向けられる〈もうわかんないよ〉という言葉は、聖人でも賢者でもない、ニュースを見て途方に暮れるいち視聴者の正直な本音とも重なる。

 楽曲は重心の低いギター&ベースのリフから始まる。詞の切実さに引っ張られるように、バンドサウンドは緊張感を孕みながら激しく鳴っている。オートチューンのかかったボーカルは、その歪みの質感で感情を表現しているのか。それとも、リスナーとの間にガラス一枚を挟んだ距離感を体現することで、ニュースと視聴者の構造をなぞっているのか。中盤で訪れる転調も、カタルシスには向かわない。むしろ混沌が深まっていく印象だ。見ようとしても、追いつかない。わかろうとしているのに、わからない。その受動的な混乱が、この曲の通奏低音として流れている。

Motoki Ohmori -「催し」Official MV

大森元貴、楽曲とMV双方で描き出した“矛盾を抱えた人間像”

 ただ、Cメロでは違う視点が入ってくる。〈善良な生き物ね/明日が来るって/当たり前だもんね/そうだもんね〉というフレーズは、正常性バイアスへの言及だろう。続く〈都合良い人ね/私も含めて/誰かの傷を見落としてね〉にも批評的な眼差しが滲む。わからないと途方に暮れながらも、それを自分を棚に上げるための材料にはしない。自分自身もまた、誰かを見落としてしまう可能性があることがここで自覚的に歌われている。

 そんな混沌の中で、大森はこの曲に「催し」というタイトルをつけた。この単語には「行事」「イベント」という名詞的な意味と、何かを「催す=促す、起こす」という動詞的なニュアンスが同居している。世界で日々起きる出来事も、報道という行為も、受け取った一人ひとりの内側で湧き上がる感情も、「催し」という一語の中に折り重なっている。

Motoki Ohmori –「催し」Behind the Song & the Scenes

 曲のラストでは、〈たのしいかな/明日の催し〉と歌われる。その少し前には〈かなしいかな/打つ 夜の鼓動〉というフレーズもある。生きているうちに不安や困惑が解消されることや、なにか決定的な答えが与えられることはほとんどない。惑う心も乗せながら世界は明日も回り続け、人は新たな“催し”の中へまた足を踏み入れていく。その円環の中で私たちの心は〈かなしいかな〉と〈たのしいかな〉の間を揺れ続ける。そしてこの曲では、最後の一歩を〈たのしいかな〉の方へ踏み出そうとしている。揺れている状態も是とし、答えを出さず、救いを約束しない。明日も生きるという確かな意志が、綺麗事を経由せずに歌われている。

 MVは、大森が構想・コンセプト立案・共同監督/振付・主演を務めたセルフプロデュース作品。何やら“催し”が行われた後の街で、その余韻を楽しむ人たちには目もくれずに歩く大森の姿が、ワンカット撮影で捉えられている。冷めた眼差しを浮かべる大森は、途中、カメラが楽しげな人々へ向いた瞬間、自身へ引き戻すようなしぐさを見せる。こちらを見ろと求めながら、自分自身は周囲に目もくれない。そんな矛盾を抱えた人間像が、ここに映し出されているように感じた。ラストには、大森にぶつかってきた人々が突如同じ方向を向き、ともに踊り始める。別々の温度感で存在していた身体が、ほんの少しの間だけ同じリズムを共有する。束の間の祝祭とも不穏な熱狂とも言いきれないその光景は、“わかり合えなさ”を抱えたまま、それでも同じ時代を生きようとする人々の肖像なのかもしれない。

Motoki Ohmori –「催し」MV Behind The Scene

 「風と町」で世界を包み込むような視点を歌った大森は、「催し」では再び、地に足をつけて歩く一人の人間の視点へと立ち返った。エンターテインメントの只中に身を置きながら、そこで生まれる熱狂や虚構だけに回収されることなく、世界の複雑さや、自分自身の矛盾から目を逸らさない。その姿勢こそが、今の大森元貴の表現を強くしている。

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