BMSG TRAINEE ソロインタビュー Vol.11:KANTA、最後の挑戦と自己との戦い 「『自分が音楽をする理由はこれだ』と思った」
BE:FIRST、MAZZELに次ぐ、3つ目のボーイズグループを誕生させるべく行われた、BMSGによるオーディションプロジェクト『THE LAST PIECE』。その参加者でもあった面々が多く揃った今のBMSG TRAINEEは、最強の原石が揃っている。その強さとは、一体何なのか、どこからやってきたのか――。
リアルサウンドでは、3月18日、19日に行われる『BMSG TRAINEE SHOWCASE 2026 〜 Graduation Party for REN, YUTA, RAIKI, TAICHI, and ISANA 〜』を記念して、出演するBMSG TRAINEE 18名のソロインタビュー連載をスタートさせる。まっすぐに自分の理想を追い求めて、今この瞬間もひた走っているこの若き才能たちに、リアルサウンドは全力でベットしたいと思う。
第11回目は、KANTAを特集する。思えば、いつもKANTAは何かと戦っていた。もちろん、『THE LAST PIECE』に挑戦した10代全員が何かと戦っていたのだが、KANTAは何よりも“自分”と戦っていた。KANTAは最後の挑戦として『THE LAST PIECE』に参加したという。それを聞いて、あまりに早い“最後の挑戦”ではないかと思った。参加を決意した当時が16歳。その年齢で挑戦を“最後”にするというのは、以降はもう何も望まないということである。人生を賭けるという言葉、そのままの意味である。しかし、これまでのKANTAの苦悩を聞かせてもらった今、なぜ“最後の挑戦”と決めたものだったのか、納得のいくものがある。期待通りになれないことが幾度もKANTAを苦しめた。他人が決める“らしさ”ほど無責任なものはないだろう。
KANTAは、その“最後の挑戦”でBMSG 4番目のグループとしてのデビューを掴み取った。あらためて、覚悟の人だと思う。ここから本当の意味でKANTAがKANTA自身をまっとうしていく――今回は、そんな過程の話をじっくり聞かせてもらった。生きるとは戦うことである。究極の自己との戦いの手段として、KANTAは今全身で呼吸をしている。その意思をぜひ受け取ってほしい。(編集部)
「最後に何か挑戦したい」――運命を変えた『THE LAST PIECE』
――まずは生年月日から教えてください。
KANTA:2008年5月21日生まれの17歳で、高校2年生です。
――KANTAさんのいちばん古い記憶はなんですか?
KANTA:2歳か3歳くらいの頃、地元から離れた公園に行って遊んでいる時の記憶が鮮明に残っています。ビデオカメラで親が撮ってくれていたので、その時の映像が残ってるんですよね。お母さんとお父さんと一緒に遊んでいました。
――子どもの頃は外で遊ぶことが多かったですか?
KANTA:そうですね、小学生の時はずっと外遊びしてるタイプでした。放課後に校庭が開放されると、友達とずっとサッカーをしてましたね。今も試合を観たり、ゲームでやるのも大好きです。
――ご両親からは、どんな子だったといわれますか?
KANTA:僕は5歳上にお姉ちゃんがいるんですけど、電車のなかで泣くこととか一切なかったみたいで、姉弟ふたりとも全然手がかからない子だったと言われます。あ、でも、家のなかでは結構うるさかったらしくて。小さい頃から家のなかと外で顔を使い分けてたのかな? 「ずる賢い子だった」ってお母さんに言われたことがあります(笑)。
――はははははは。じゃあ家族のなかでは、KANTAさんがムードメーカーのような存在?
KANTA:そうかもしれないです。今も結構うるさいと思います。僕、お母さんと性格が似てるんですよ。だから、普段からふたりでテンションが高いです(笑)。お父さんとお姉ちゃんは、ちょっと落ち着いている感じですね。
――じゃあお母さんと特に仲がいいんですね。
KANTA:仲よしでもあるんですけど、トムとジェリーみたいにすごい勢いで喧嘩する時もあります(笑)。でも、すぐに仲直りしますね。お姉ちゃんからも「なんであんなに言い合ったあと、そんなすぐ普通に話せるの?」ってよく突っ込まれるんですけど。
――微笑ましい関係性ですね(笑)。最初に抱いた将来の夢は何でしたか。
KANTA:ダンサーでした。5歳からダンスを習っていたんですけど、一度ステージに上がったら「すごく楽しい!」って思って、そこから地域のスタジオに通い始めて、小学1年生くらいの頃から、コンテストや大会に出るようになりました。一年中ずっとコンテストに出ている時期もありましたね。
――ダンサーという夢を抱いたきっかけは?
KANTA:三浦大知さんの後ろで踊っているs**t kingzさんを観たことですね。三浦大知さんに対しても「こんなに歌って踊れる人がいるんだ!」って衝撃を受けましたし、s**t kingzさんたちも本当にかっこよくて。それから三浦大知さんの曲を手当たり次第コピーしてみたり、s**t kingzさんの動画を観て真似して踊ったりして、ダンスの楽しさに目覚めました。
――「プロのダンサーとしてやっていける」と思うタイミングはありましたか?
KANTA:今あらためて振り返ってみると、「やっていける」と思ったことはないのかもしれません。小学6年生まで地元のスクールに通っていたんですが、さらに視野を広げるために都内のレッスンに行き始めたら、外の世界の広さや壁に打ちのめされたりもして……。アーティストのスタンドインやバックダンサーのお仕事をいただけるようになったんですが、それでも自分がプロダンサーになっている姿は想像できなかったです。同年代でもっと上手い人なんてごまんといますから。
――なるほど。そんななかで『THE LAST PIECE』に応募したのはなぜだったのでしょうか。
KANTA:小学6年生の頃、BTSさんに憧れていろいろなオーディションを受けたんですが、ことごとくダメだったんですよね。ダンスや歌のスキル不足もあったと思うし、人前で話すのが苦手だったことも合格できなかった原因のひとつだったと思います。そんな時に『THE FIRST』を観たんですけど、当時中学生のRUIくんとTAIKIくんが出ていて、「ひとつ上にこんなに輝いている人たちがいるんだ」って驚きました。そのあとBE:FIRSTさんの音楽もすごく好みだったのでBMSGのことを調べて、日高(光啓)さんの存在も知って。高校1年生の終わりに、お母さんと進路を話し合っているなかで、「最後に何か挑戦したい」と思って見つけたのが『THE LAST PIECE』でした。
――ダンスやアーティスト活動へのラストチャンスとして応募したんですね。
KANTA:はい。あと、今だから言えることなんですが、僕に目をかけてくれていたダンスの先生が開催する世界大会のメンバー選出オーディションと、『THE LAST PIECE』の2次審査の日程が完全に重なっていて、どちらを選ぶかで実は迷っていたんです。でも、そこでお母さんから「SKY-HIさんにダンスを見てもらえる機会なんてめったにないよ」って背中を押されて、最終的に『THE LAST PIECE』を選びました。こうやって振り返ると、本当にいろいろ重なった末に選んだ道だったんだと思います。
――KANTAさんの人生と『THE LAST PIECE』がちょうどフィットしたんですね。オーディションを今振り返ってみてどうですか?
KANTA:もともとBMSG TRAINEEのレベルが高いことはわかってたんですが、実際目の当たりにするとすごかったですね。最初のチーム分けで、今まで見てきたTAIKIくんやYUTAくんと同じチームになったんですけど、もうダンスがヤバくて。今までの人生じゃ考えられないくらい、合宿では一日中音楽に囲まれて過ごしていたので、すごく不思議な気持ちにもなりましたし、純粋に幸せだなと思いました。
――大変さよりも成長する喜びのほうが大きかったですか?
KANTA:3次審査の時は日に日に上達しているのがわかって、本当にいい環境だと思いました。でも、4次のクリエイティブ審査くらいから、“さらに上を目指す”という道がすごく困難に感じられて。険しくて高い坂を登っているような感覚で、本当にツラかったですね。放送では、日高さんから言われたこともバンバンこなしているように見えたかもしれませんが、実際はかなり苦しかったです。先生方からの指導もすごくありがたかったですが、それ以上に精神的なダメージが大きかったというか。初めてのことだらけだからこそ、「何もわからないけどやるしかない」っていう感覚でした。
――苦しいなかで心の支えになったものはありますか?
KANTA:純粋にパフォーマンスを見てくれる日高さんにすごく救われました。2次審査終わりに、スタッフの方から「KANTAくんのダンスを大絶賛してたよ」って聞いたんですが、その時は「きっとみんなに言ってるんだろうな」って素直に受け止められなくて(笑)。でも、実際に放送を見て、日高さんが本当に褒めてくれていたことを知って、「こんなに自分のことを真正面から見てくれる人がいるんだったら、もっと頑張らなきゃ」と思いました。