ストリートピアニスト Friqtao、ジブリやアヴィーチーからの影響 デビューEP『Lifestream』へと繋がった夜の出来事も明かす
TikTok発のストリートピアニストとして注目を集めるFriqtao(フリクタオ)が、待望のデビューEP『Lifestream』をリリースした。フランスで生まれ育ち、デンマークとベトナムにルーツを持つ彼は、ジャズやクラシック、EDMなど多彩な音楽を吸収しながらも、“ピアノ一台で世界を描く”独自のスタイルを確立してきたアーティストだ。久石譲やアヴィーチーからの影響を自身の感性で昇華した本作は、タイトルの通り“人生の流れ”を音で綴った作品集となっている。ジブリ映画に着想を得た「Woke up in Japan」など、繊細な情緒と構築的な美学が交錯するサウンドスケープは、リスナーの心を静かに揺さぶる。今回リアルサウンドでは、彼のルーツから音楽哲学、そして初来日で撮影されたMVの舞台裏までを語ってもらった。(黒田隆憲)
“人が音と出会う瞬間”が確かにある その多様さこそが、ストリートピアノの魅力
ーーデンマークとベトナムのハーフだと伺いました。そのルーツが、ご自身にどんな影響を与えていると思いますか?
Friqtao:ベトナムの影響に関しては、実はあまりないんです。というのも、父はベトナム出身ですが、幼い頃にフランスの家庭に養子として迎えられたんですよ。だから文化的な要素はほとんど受け継がれていなくて、血筋としてはベトナム人でも、育った環境は完全にフランス。アイデンティティとしては、「ベトナムの血を引くフランス人」という感覚が近いですね。
一方で、デンマークの文化には少し影響を受けていると思います。北欧の文化は、日本とどこか似ている部分があるんです。たとえば「個人よりもコミュニティを大切にする」という考え方。だからなのか、音楽を作るときも自分の感情だけで完結させるのではなく、「この音が聴く人にどう響くか?」を常に意識しています。自分のためだけでなく、誰かと感情を共有するために書くーーそういう意識が自然と身についているのではないかと。
ーーフランス文化の影響についてはいかがですか?
Friqtao:「どこの出身?」と聞かれたら、いつも「フランスです」と答えます。生まれ育ったのもフランスで、最初のピアノレッスンを受けたのもパリでした。フランスーー特にパリの街では、音楽が本当に身近な存在。いたるところにジャズバーやオープンマイクがあって、通りを歩けばサックスやハーモニカの演奏が聞こえてくる。そんな環境で育ったので、音楽は日常そのものでした。家でも父がいつもピアノを弾いていて、僕や兄も自然と「自分たちも弾いてみたい」と思うようになったんですよね。
だから日本に来て、街で楽器を演奏している人がほとんどいないことには正直とても驚きました。日本では「大きな音を出す=迷惑」と捉えられてしまうことがあるのでしょうか?
ーー確かに、日本では公共スペースのルールがかなり厳しいと思います。以前、とある商業施設に置かれたストリートピアノの使用方法をめぐって大きな議論がありました。運営サイドがSNSに、「練習してから演奏をしに来てください」といった趣旨の投稿をして騒動がさらに大きくなり、最終的にピアノは撤去されてしまったんです。
Friqtao:なるほど、環境の違いを感じますね。ロンドンでも苦情が出ることはありますが、公の場にピアノを置くということは、そこに“誰でも触れていい”という前提があるんです。上手い人もいれば、楽しんで弾く人、ただ音を出してみたい人もいる。でも僕は、それこそが素晴らしいと思います。音楽は本来、誰にでも開かれているものですから。たとえそれが少し騒がしくても、そこには“人が音と出会う瞬間”が確かにある。その多様さこそが、ストリートピアノの一番の魅力なんだと思います。
ーーおっしゃるとおりです。
Friqtao:音楽学校に行ける人ばかりじゃないし、そうなるとピアノに触れる機会そのものがとても少ない。もし「上手じゃないから弾かないで」と言われてしまったら、子どもたちはどうやってピアノを好きになれるんでしょう? 完璧じゃなくても弾いてみる自由がないと、情熱なんて生まれないですよね。僕自身も、子どもの頃はめちゃくちゃな弾き方をしていました。でも、もしその時に「そんなふうに弾くな」と言われていたら、きっと今のようにピアノを続けていなかったと思います。もし誰かがピアノを弾いていて「うるさい」と感じるなら、その人が別の場所に移動すればいいのではないかと。
ーーそう思います。そういう意味では「ここでは演奏していい」「ここは静かに」というふうに、日本ではゾーニングが海外よりも厳しくされているのかもしれません。
Friqtao:喫煙スペースみたいなものですよね。それはそれで秩序があって素晴らしいことだとは思います。でも、パリは全く違う。街全体が“自由に過ごす空間”という感覚で、みんな好きな場所でタバコを吸っている(笑)。音楽も同じように、街中で自由に奏でている人もいれば、それを楽しんでいる人も通り過ぎる人もいる。誰もが自由に自分の時間を過ごせる、そういう寛容さがフランスにはある気がしますね。
ピアノ音楽は“高まり”の設計こそが肝
ーー様々な音楽に慣れ親しんだあなたが、あえてピアノを選んだ理由を教えてください。
Friqtao:ピアノって、他の楽器に比べて“自由度”が圧倒的に高いと思うんです。たとえばサックスやフルートなどの管楽器は、同時に低音と高音を鳴らすことはできませんよね。でもピアノなら、最低音から最高音までを同時に扱える。つまり、ひとりで“オーケストラ”のような表現ができるんです。
たとえばトランペットやチューバのような管楽器だと、一度に出せる音は基本的にひとつですよね。もちろん特殊な奏法もありますが、基本的には単音の表現になります。でもピアノは、同時に複数の音を鳴らせる。Fの音を弾きながら、同時にD♯を加えることだってできる。そうすることで、響きに新しい“色”を足していけるんです。
ーー昔の作曲家も、ピアノでシンフォニーを作曲していました。
Friqtao:そのとおりです。弦も管も打楽器も、すべてのパートをまずピアノで書く。それができるのは、ピアノがあらゆる音域とハーモニーをカバーできるからですよね。ピアノは演奏するだけでなく、“音楽を設計するための道具”でもあるんです。メロディ、リズム、コード、ダイナミクス……すべてを一人で試すことができます。
しかも、僕にとってピアノはただの楽器というより「感情を翻訳するためのツール」なんです。ドラマチックな感情も、静かな哀しみも、すべてこの一台で描ける。もちろん他の楽器にも魅力はありますが、ピアノほど感情の幅を直接的に表現できるものはないと感じています。
ーーマイケル・ジャクソンやアヴィーチーからも影響を受けたそうですね。
Friqtao:ピアノの弾き方そのものに直接影響しているかというと、そうではないかもしれません。でも、メロディや曲作りの感覚には大きく影響していますね。子どもの頃はマイケル・ジャクソンやThe Beatlesをよく聴いていましたし、ティーンエイジャーの頃にはアヴィーチーをかなり聴いていました。アヴィーチーは当時、ピアノやギター、チェロ、ボーカルといった生楽器を積極的に使う、数少ないDJのひとりでした。そういう点がすごく好きだったんです。
僕の曲「Run Away」も、実はEDM的な構成を意識していて、ビルドアップしてドロップに入るーーあの高揚感のある流れをピアノで表現しています。マイケル・ジャクソンについては、音楽家としての姿勢そのものに強く影響を受けました。彼は常に完璧を追い求めていて、ステージでも音でも動きでも、一つひとつに意図があった。無駄な要素がひとつもない。僕もできる限りそうありたくて、曲の構成にもすべて意味を持たせるようにしています。
ーーということは、即興で演奏することよりも、構築的に作っていくほうが好きなんですか?
Friqtao:即興は大好きです。でも僕の場合、即興は“アイデアを見つけるための手段”ですね。ピアノを弾きながら自由に音を探っていく中でメロディが生まれることもありますし。ただそこから先は、しっかりと構成を考えて組み立てていくのが好きなんです。僕にとっての理想は、“即興の自由さ”と“構築の緻密さ”の両方があることなんです。即興で得たインスピレーションをどう形にして、どうやって曲の頂点、クライマックスまで導くか。そこを考える時間がとても好きですね。ただ強いメロディやサビがあるだけでは不十分で、そこにどう辿り着くかが重要なんです。静かなパートから少しずつ盛り上げていくーーピアノ音楽の場合、その“高まり”の設計こそが肝だと思っています。
ーーその構築的な感覚は、アヴィーチーの音楽からも影響を受けているのでは?
Friqtao:間違いなく影響はあります。特にエレクトロニックミュージックってダンスのための音楽でもあるから、構造がとても重要なんです。クラブミュージックの場合、次の曲にどうつなげるか、BPM(テンポ)をどう合わせるかといった要素が大事で、自然と“構成を意識する耳”が鍛えられるんですよね。だから僕も、ピアノ音楽を作るときでも、そういうリズム感や流れの作り方を意識しています。要は、アヴィーチーの音楽にある“構築の美学”が、自分の曲作りの中にも無意識に息づいているんですよね。
ーーたしかに、ダンスミュージックは構成の緩急がすごく大事ですよね。
Friqtao:そうなんです。同じテンションのまま曲が続くと、聴いている人も踊っている人も疲れてしまう。緊張と解放のバランスが必要です。静けさや余白があるからこそ、サビや盛り上がりの瞬間がより強く響く。僕はピアノ曲を作るときも、そういう「緩急の設計」をすごく意識しています。ちょっと変な例かもしれないけど、オペラみたいなものです。最初から最後までずっとクライマックスでは聴いているほうも疲れてしまうし、感情の起伏がなくなってしまう。強い音や盛り上がりがあるからこそ、その前後の“静けさ”や“ささやき”のような部分が活きる。音楽って、常に叫んでいるわけじゃなくて、囁きや沈黙も含めて全体で語るものなんですよね。
ーー表現スタイルとして「ストリート」を選ぶまでの経緯も教えてもらえますか?
Friqtao:父がピアノを弾いていたのがきっかけで、僕も5歳くらいのときに兄と一緒にピアノを始めました。でも兄はすぐに上達して、自分で曲を書いたり、コンサートで演奏したりしていて。それがすごく悔しくて(笑)、僕はピアノをやめてギターを始めたんです。たぶん8歳くらいから、2018年頃までずっとギターを弾いていました。ただ、家にはピアノがあったので、練習の合間につい触ってしまうことも多くて。コロナ禍で家にいる時間が増えたとき、自然とピアノを弾くようになりました。ジャスティン・ビーバーやアヴィーチーなどの好きな曲を耳コピして、自分なりに弾いてみる感じでしたね。
当時はイギリスの大学で美術史を専攻していて、3年目に海外留学できる制度があったので、生まれ育ったパリに戻りました。パリには街中にストリートピアノがあって、駅やショッピングセンター、時には通りの中にも置かれているんです。通学や通勤の途中にピアノを見つけると、つい弾いてしまうようになって。弾き終わると、いつも誰かが「今の演奏すごくよかった」「YouTubeやInstagramに動画はないの?」と声をかけてくれました。でも当時はSNSもやっていなくて、「いや、何もないよ」って答えていたんです。
ーーなるほど。
Friqtao:でもある日、「なんでやらないんだろう」とふと思って。スマホを置いて、ワンボタンで撮影して投稿するだけなら簡単だし、もし誰かが気に入ってくれたら嬉しいし、そうでなくても構わない──そう思ってTikTokのアカウントを作りました。最初に投稿したのが、ハリー・スタイルズの「As It Was」。仕事に行く前に録ってアップしたのですが、その日のうちにバズったんです。一晩で2~3万人がフォローしてくれて、「次はQueenを弾いて」「アヴィーチーを弾いて」「アデルを」「ブルーノ・マーズを」って、コメントがどんどん届くようになりました。
それからは毎日のように投稿を続けて、少しずつ撮り方や演奏の見せ方も工夫していきました。街で演奏することにも慣れてきて、今ではビーニー帽とヘッドフォンのスタイルで歩いているだけで「あ、Friqtaoだ」と声をかけてもらえることもあります。でも、そのうちにカバーだけじゃなくて自分の曲を書きたいと思うようになりました。もちろん誰かの曲を演奏するのも楽しいけど、僕が本当に残したいのは“自分の音楽”なんです。自分が死んだ時に「あの、ピアノカバーでお馴染みのTikToker」と思い出されるのではなくて……“Friqtaoという音楽家”として記憶されたい。今はそのためのステップを踏んでいる最中なんです。