majiko×木下哲、衝撃の出会いから新作EP『GOLDEN JUNKIE』ができるまで 10年で共に磨き上げた楽曲制作のクオリティ
majikoのデビュー10周年を記念し、関わりの深いアーティストを招いた対談シリーズ第三弾は、プロデューサー・ギタリストの木下哲が登場。ストレイテナーのトリビュートアルバム『PAUSE〜STRAIGHTENER Tribute Album〜』(2017年)に収録された「冬の太陽」のアレンジに木下が参加。以来、「パラノイア」「声」をはじめ、majikoの楽曲制作に数多く関わってきた。さらにライブのバンマスをつとめるなど、彼女の音楽活動に欠かせない存在となっている。
この対談では、両者の出会い、お互いの変化や成長、そして、新作EP『GOLDEN JUNKIE』の制作についてたっぷりと語り合ってもらった。(森朋之)
majikoとの出会いと衝撃「最初からすごいセンスの塊」(木下)
ーー木下さんはmajikoさんの楽曲制作、ライブに深く関わっていらっしゃいます。出会いのきっかけは何だったんですか?
majiko:ホリエ(アツシ/ストレイテナー)さんだよね。
木下哲(以下、木下):そうだね。当時、僕が働いていたライブハウス(下北沢ERA)の店長がホリエさんと仲が良かったんですよ。ホリエさんがmajikoちゃんの楽曲をプロデュースすることになって、「バンドを探してる」という話があって。その縁があって、ストレイテナーのトリビュートのときにmajikoちゃんが誘ってくれたのかな?
majiko:そこから何回かライブで演奏してもらって、アコースティックライブで「冬の太陽」をカバーしてたんですよね。で、私が簡易的にアレンジしたものを哲ちゃんに渡して……というのがはじまりだったと思います。
木下:そこからずっと関わらせてもらってます。ライブについては、最初はサポートミュージシャンの一人だったんですけど、majikoちゃんが事務所を移籍するタイミングで「哲ちゃんがバンマスになって、バンドを組み直してほしい」と言われて。
majiko:哲ちゃんは曲の理解度がすごく高かったし、私の性格も良く分かってくれてたので。バンマスをお願いするなら哲ちゃんしかない! という感じでした。
木下:極度の人見知りだったしね、majikoちゃん(笑)。ドアとか柱の後ろから、顔半分だけ出して話してたり(笑)。
majiko:人間が怖かったんですよ(笑)。ライブのリハーサルが初対面だったんですけど、哲ちゃんを見て「だりぃ。なんで俺がこんな曲やらなきゃいけねえんだ」みたいなオーラを感じてしまって。
木下:そんなわけないでしょ(笑)。
majiko:その頃は被害妄想女子だったんで(笑)。でも、すぐに「そんな人じゃなかった」とわかって。
ーーよかったです(笑)。楽曲制作についてはどんな感じだったんですか?
majiko:まず私がデモ音源を作ってたんですけど、これまでの対談でもお話したように、デモのクオリティが……。
木下:(笑)。最初からすごいセンスの塊なんですけど、デモの音が歪みまくってたんですよ。それを聴きながら、「ここはこうしたほうが、もっと聴きやすくなるよね」みたいなことをやって。
majiko:いろいろ助けてもらいました。
木下:ただ、アイデア自体はほとんどmajikoちゃんなんです。僕は「こうしたらより良いんじゃないか?」という感じで。僕も自分のバンドを辞めて、サポートやアレンジャーの仕事をはじめたばかりだったから、妙に気合いが入っていたんです。majikoちゃんのチューニングが狂ったギターやベースとか全部拾ってMIDI音源でピアノにしたりしてホリエさんにちょっと引かれたり(笑)。あとからわかったんですけど、majikoちゃんが使ってたギター、1弦のナットのところが割れてたらしいんですよ。
majiko:そりゃチューニング合わないわ(笑)。最初にお願いしたのは確か「end」だったかな。
木下:ギターの音程の揺れがすごくて。もう一人のギタリストと「どうやったらこれを再現できるか?」と試行錯誤してました(笑)。でも、すごくセンスを感じたんです。majikoちゃんは意識してなかったかもしれないけど、カッコいいオルタナだなと思ったんだよね。バンドメンバーもそういう音楽が好きだったから、「すごいね」って話してました。僕はmajikoちゃんがやっていた歌い手のシーンもニコニコ動画も通ってないから、まったく予備知識がなかったんですけど、「こういう音楽を作る子がいるんだな」と感動してましたね。
majiko:ありがとうございます。もう10年くらい前かな。
木下:そうだね。