日本の広告史を変えた佐藤雅彦と真心ブラザーズの幸福な関係 才能の快進撃「1分でもう『天才!』って感じ」

 横浜美術館にて11月3日まで開催中の『佐藤雅彦展 新しい×(作り方+分かり方)』が、連日大盛況になっている。

 50代以上にとっては、小泉今日子出演のJR東日本、「♪コーンコーン湖池屋スコーン」の「湖池屋」、「NEC バザールでござーる」等のCM制作者として。40代にとっては、プレイステーションのソフト『I.Q』等を作ったクリエイターとして。20代、30代にとっては、NHK教育テレビ(NHK Eテレ)で『だんご3兄弟』や『ピタゴラスイッチ』を生んだ大学教授として――佐藤雅彦を知らなくても、その仕事をひとつも知らない人いないだろうし、才能を認めない、という人もいないだろう。

 そんな佐藤雅彦とデビューの頃から幾度も手を組んできた真心ブラザーズのふたりに、彼の仕事、彼の表現について、話してもらった。(兵庫慎司)

桜井秀俊「『モルツ』の頃から、佐藤雅彦さんのクリエイターとしての快進撃が始まった」

YO-KING

――佐藤雅彦さんと真心の最初の接点は、サントリーモルツのCMの「モルツのテーマ」?

桜井秀俊(以下、桜井):最初は、学生時代……1990年ぐらいだと思うんですけど、JR東日本の山手線のキャンペーンCMがあって。山手線を巡る若者、みたいな感じで、何人もいるなかに我々ふたりも。東京少年の笹野みちるさん、吹越満さん、渡辺真起子さんとかと一緒に山手線に乗ってわちゃわちゃしてるコマーシャル。

――うわ、それ知らないです。当時、僕は東京にいなかったからかも。

桜井:山手線だから、関東ローカルのCMだったんだろうね。その時、佐藤さんは電通のクリエイターでいらっしゃったはず。

YO-KING:あれねえ、当時は真心が、事務所に入るか入んないかという時期で。そのCMのオファーがあったのは事務所に入る前だったんだけど、CMの契約をする時は事務所に入ったあとで。入る前だったら直でがっぽりもらえたのに、って思った(笑)。

――バブル全盛の頃ですしね。

桜井:大きなロケ現場でさ、たくさん大人の人がいて、まだ学生だから「こんなに大変なんだ」と思いながら。そんななかで、紫のダブルのスーツ着てる人たちが何人かいて、「なんだろう?」って思っていたら、それが電通の人たちだったっていう(笑)。(自分たちのことは)佐藤さんが呼んでくださったと思うんだけど。ちゃんと佐藤さんと対話しながら仕事をしたのは、「モルツ」の時から。「モルツ」の時も紫のダブルのスーツのような人たちはいたけど、佐藤さんだけ異彩を放っていて。

――もっと普通だった?

桜井:今のみんなが知ってる佐藤さんの感じ。でも、普通ということでもないか。喋ってることとか、1分でもう「天才!」って感じだった。

――「モルツ」の時はどんな話を?

YO-KING:最初の打ち合わせの時、佐藤さんがストップウォッチを首から下げてて。「それ、何ですか?」って言ったら、「人の動作を測るんですよ」って。飲み物を取って飲んで置くまで何秒かとか、そういうのを測ってるんだ、って。「変わってんなあ、この人」と思って。Public Enemyのフレイバー・フレイヴが、首から時計下げてたじゃない? あれとイメージがかぶって、「日本のフレイバー・フレイヴ、いた!」と(笑)。

桜井秀俊

桜井:佐藤さんは「音が大事だ」ってすごく言っていて。「♪モルツモルツモルツモルツ」って15秒聴かせて、それが視聴者の頭にまだ残ってる。ほかのCMに変わっても、頭のなかでまだそれが流れていれば、そのぶんのコマーシャルになる。それは映像にはできなくて、音の力なんです、それを踏まえておふたりに歌ってほしい――みたいなことをおっしゃっていて。「キテる声」っていう表現をしていて。「声がキテるから、オファーしました」と。で、我々みたいな大学生を呼ぶのは、スポンサーとかを説得するのが大変でした、という話も聞いたかな。

YO-KING:佐藤さん、その場でもう「♪モルツモルツモルツモルツ」って歌ってたと思うんだよね。コードこそないけど――。

桜井:「こんなふうなのを作ってください」って言われたんだけど、「いや、もうそのままでいいでしょ」と(笑)。で、サントリーさんには「ポップスとしての長さがほしい」とも言われたので、サビ以外の部分は真心で作って、録音しました。

――あの萩原健一と和久井映見のCMが大量にテレビで流れたことで、「どか~ん」と並ぶ初期真心の代表曲っぽくなりましたよね。

YO-KING:曲は浸透してたからね。

桜井:「モルツ」の頃から、佐藤雅彦さんのクリエイターとしての快進撃が始まったような。「バザールでござーる」とか、「やっぱただ者じゃない」「すげえな」と思いながら見てた。

――次に仕事で関わったのは?

桜井:『ピタゴラスイッチ』まで飛ぶのかな? 2003年、2004年だから、真心が活動休止をしてる時期。マネージャーから電話がかかってきて、「佐藤さんって憶えてる?」「もちろん」「今NHKで番組をやっていて、それに呼ばれました」と。それでNHKに行ったんですよね。最初は、挿入歌の「つながりうた もりのおく」という曲を作って。自分が勝手にやってた、桜井秀俊&パイオニアコンボというバンドのCDのなかで、佐藤さんがすごく気に入ってる曲、気に入ってる一節があると――。

――え? 佐藤さん、パイオニアコンボのCDを聴いていたんですか?

桜井:そうなのよ。まずCDを持っていることにびっくりして。「なんで好きなのかわかったんです」「歌のセンテンスの最後の文字と、休符を経て次の歌詞の頭の音が同じだから、ということに気づいちゃって」と言ってくれて。もしこれが一曲のなかで続いたら、どんなにおもしろいことになるんだろう、と。歌詞は佐藤さんと内野(真澄)さんですでに書いてあったんだけど、「着想を得たのは桜井さんの曲からだから、これに曲を付けて、歌ってくれませんか?」というオファーで。「相変わらずおもしろいことを考えてますねえ。ぜひやらせてください」って答えたんだけど、帰り際に「100年歌われる名曲にしましょうね」って軽く言ってきて! 一気に気持ちが重くなって帰った(笑)。『佐藤雅彦展』で、『もりのおく』のセットも展示してあったじゃないですか。僕、あれ見たの初めてで。20年越しに見れて嬉しかったですね。

――しかし、どういうアンテナの張り方をしている方なんでしょうね。パイオニアコンボのCDが出たの、その8年くらい前でしょ。

YO-KING:相当好きだと思うよ、真心のこと。佐藤さんと俺たちが、コミュニケーションを取る画を見たらわかると思う。想像以上に、俺のこと、アイドルとして見てるよ(笑)。

桜井:あはははは!

YO-KING:もう付き合いも長いのに、昔よりも最近のほうが……まあ、時々しか会わないからかもね。もっとドーン!としてる方っていうイメージあるでしょ。全然、ワチャワチャしてる(笑)。基本的にはテンションの高い方なんですよ。俺たちに対してだけじゃなくて。テンションの高い研究者みたいな。

桜井:学者肌だよね。

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