Vaundyはなぜ“痛み”を歌い続ける? 「風神」「Gift」などでも提示されたポップスのあるべき姿
ここで引用した発言で表れているVaundyの音楽観、つまり「ポップスとはデザインである」という考え方は、この番組だけではなくほかのさまざまなインタビューでも語られているので、どこかで一度は触れたことがあるリスナーも多いかもしれない。こうした彼の音楽観を踏まえた上で、あらためて各曲の歌詞全体を見てみると、単に“痛み”について歌って終わるのではなく、その“痛み”の解決に向かっていく、もしくは、“痛み”を引き受けながらポジティブな未来へ向けて進もうとする楽曲が多いことに気づく。
「タイムパラドックス」
〈いや、あのね/僕のポケットの未来をのぞいて/きっと笑ってくれるから/これはいつか/この先出会うあなたの痛み/一つ拭う魔法〉
〈どうしても拭えない痛みが/君を襲いかかるときがくるさ/その時は/君のその魔法の力を/唱えてみて〉「ホムンクルス」
〈どうして心満たして/振り払おうとしてるんだろう/ねぇ痛いでしょ/て、参ってしまうほど/あなたを愛してしまったっ/て、このままが美しいと/飾ったまま/で、言霊をもう一度/希望抱くほどの未来/そこに見たんだよ〉
「風神」
〈この先も誰かを想うたび/風纏い擦り傷が絶えないだろう/だがやがてこの風、受けるたびに/その、変え難い/ぬくい痛みに/報われていたい/はず〉
〈いあなたを想うたびに/風纏い擦り傷が絶えないだろう/だがやがてこの風、受けるたびに/その、変え難い/ぬくい痛みに/救われていた/はずだから〉
“痛み”から目を背けることなく、真正面から向き合う。そして、悲観したり諦念を抱いたりするのではなく、ポジティブな兆しが差すほうへとリスナーを導いていく。それこそが、それぞれの曲が、Vaundyの言葉でいうところの“解決案”や“提案”として機能する、ということであり、そうした役割を果たし得る点にこそ、彼はモノづくりや表現の可能性を見い出しているのだと思う。
なおVaundyは、最新曲「風神」の歌詞について、『ROCKIN'ON JAPAN』2024年12月号(ロッキング・オン)にて次のように語っている。
「みんな常にどこかで人のことを傷つけてるし、自分も傷ついてる。人はみな、傷を――風を持った神様なんだっていう。それで『風神』っていう曲を作ったんです。他人から風を受けて、痛い!って思っても、自分も風を出してる。で、自分の傷をよく見てみたら、すごく血の通った温かいものだったという」
「人にぬくい痛みを与えると同時に、他人からもぬくい痛みを受けてて、人間は擦り傷だらけで生きてる。でも、そこで初めて相手の血の色がわかるかもしれないし、拍動の数もわかるかもしれない。それってちょっとぬくいよね、つながりだよねって、ちょっとバッドな感じだけど、風が全部つないでくれるという」
ここで引用した発言は長いインタビューの一部に過ぎないが、これらの発言を補助線にしてあらためて「風神」を聴くと、“痛み”の先にある他者とのコミュニケーションの可能性をはっきりと感じ取ることができる。特に筆者は、いちばん最後の〈はずだから〉という終わり方に、その先の未来が明るいものになることを願い、信じる、強い意志を感じた。
今回、歌詞を引用しながら紹介した楽曲以外の“痛み”を歌う多くの楽曲においても、そこにはVaundyなりの“解決案”や“提案”がセットで歌われている。そして、そうしたポジティブな予感や温かな余韻が多くの楽曲に込められていることこそが、この2020年代において、たくさんのリスナーが彼の音楽やライブを求めている理由に繋がっているのではないかと想像する。“痛み”と真正面から向き合いながら、その解決へと導く。そうした役割を果たすVaundyのポップスは、これからも年代や世代を超えて、多くの人たちを救い続けていくのだと思う。
※1:https://x.com/vaundy_engawa/status/1264405196739768320
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