森重樹一が語る“ZIGGY”の看板を背負う意義、貫き続けるロックの本質 「残りの人生悔いなく音楽を」

 ロックバンド・ZIGGYが、40周年という大きな節目に20作目のオリジナルアルバム『For Prayers』をリリースした。ボーカリスト・森重樹一は、アルバム制作において「歌を中心に据える」ことを強く意識し、楽曲本来の力で聴く者の心を揺さぶりたいと話す。その背景には、長いキャリアを経たからこそ見えてくる表現への純粋な探求心と、音楽への深い愛情が垣間見えた。本インタビューでは、盟友たちとともに創り上げたアルバムに込めた思いや、バンドマンとしての葛藤、そして音楽に捧げた人生への真摯な思いを語ってくれた。(編集部)

ZIGGY再始動の理由、音楽と共に歩んだ40年

──ニューアルバム『For Prayers』は従来のZIGGYらしさに加え、森重さんがこれまでさまざまな活動で積み重ねてきた経験が凝縮された濃厚な内容だと思いました。本作はバンド結成40周年の節目に発表される、ZIGGY名義で20枚目のオリジナルアルバムですが、その辺りは意識して制作したのでしょうか?

森重樹一(以下、森重):20枚目ということよりも、むしろ俺は結成40周年ということを強く意識したかもしれない。前作『SO BAD, IT'S REAL』(2023年)ではAerosmithに『Honkin' On Bobo』(2004年)というブルースのカバー中心のアルバムがあるじゃないですか。ああいうルーツ的なものをエネルギッシュな形で表現した作品を作りたかったんです。『SO BAD, IT'S REAL』はサウンド的に過度な演出を施すのではなく、ちょうどコロナ禍からよくやっていた弾き語りのように、いいメロディと歌をシンプルなアレンジメントで成立させることを意識して。そうやって歌に寄り添うという原点的なところに立ち返ったあと、従来のZIGGYでやっていたような若干のトリッキーさをはらんだ作品を次に作ろうという計画が事前にあったので、今回はこういう内容になったんです。

──そういうことだったんですね。

森重:それに、コロナ禍においてアーティストは“音楽の本質的な部分”を試されたとも思っていて。派手なギタープレイやドラムプレイといった要素ももちろん大切だけど、その中心にあるべきものはやっぱり歌。いろんなタイプのアーティストを聴かせていただく時に、やっぱりそれがないことには「器が立派でも、乗っている料理はどうなっているの?」って疑問が生じる。むしろ紙皿に乗せたっていいものはいいんじゃないかという思いが俺の中にはありましたから。それで俺は弾き語りをやったわけですけど、同じようなタイミングにCHARGEEEEEE…(Dr)が長渕剛さんのツアーで叩くようになり、歌の重要さを再認識できる機会をいただいた。(カトウ)タロウ(Gt)もToshiくん(Ba)も、もともと歌というものに対するアプローチがものすごく上手だし、佐藤達哉さん(Key)はaikoさんのところでバンマスをやられるくらい歌に寄り添うことをずっとされてきた方。そういうメンバーと一緒に、バンド全体でいい歌に寄り添うことを前作でやったので、今回は自分のプレイの華やかな部分、そして個性である部分を思い切って前に出した結果、こういう作風になったわけです。

ZIGGY「For Prayers」Official Trailer

──確かに今作はアレンジや演奏面ですごく惹きつけられますし、フックになる要素が要所要所に散りばめられていますものね。でも、森重さんがおっしゃるように軸にあるメロディや歌が強いから、そこが一番耳に残って何度も聴き返したくなる。特に2017年の再始動以降の作品は、その歌の強度がどんどん強くなっている印象があります。もちろんそれ以前の作品もバンドサウンドを軸にしながら歌をたっぷり聴かせるという軸は一緒だったと思いますが、森重さんの歌や声の存在感、歌で何を届けるかという意識は近年強まっているような気がするんです。

森重:そうですね。サウンドに関して言えば、2007年くらいの活動休止前の時期は当時のメンバーでやれることの、コンセントレーションみたいなものが取りづらかったところがあると思うんですよ。長くキャリアを積んでくると「これをどうしてもプレイしたい」っていう熱量とかそういう部分に関して……これは2017年からの活動があるから思うことなんですけど、やっぱり薄らぎつつあったというのは事実だと思いますし、薄らぎつつあったからこそ活動休止になったと思う。その後、ソロ活動を通して自分の歌に寄り添ってくれる強力なプレイヤーたちとプレイする中で、自分がやりたい音楽を、変にリミッターをかけることなく作れるようになった。そしてその中で作っていったものが、本来俺がZIGGYでやりたかったものにとても似ているというか、近しいものになってきたと思うんですよ。

──ソロ活動を通じて歌の強度を強めていったと同時に、それが現在のZIGGYに繋がっていったというか、そもそもそれこそがZIGGYでやりたいことだったと。

森重:だから、そこに気づいたときには「ZIGGYを再始動させるのはどうなんだろう」と考え始めました。これまでいろんなことをやってきましたよ。デビューする前は4人の名もないアマチュアミュージシャンが集まり、「やはりロックンロールバンドは5人じゃないとダメだ」と言ってギタリストを増やして、また減ったりといろんなことをやりながら演奏して、デビューしたときのメンバーに出会って。でも、デビューをするようなアーティストというのはみんな我も強いからそこで衝突が生まれ、摩擦が生まれ、メンバーチェンジがあり。いろんな経緯があった中で、その都度その時のメンバーでできる最高のものを作るにはどうしたらいいんだろうという葛藤もありましたけど、2007年の活動休止以降のソロ活動の中で徐々に自分の中のフォーカスが定まってきた。

 2017年にZIGGYを再始動させようとした時に、俺は以前のメンバーに「一度ZIGGYの看板を俺に返してくれないか」と電話をしたんです。今まで4人編成や5人編成、2人になり3人になりというあらゆる手立ては打ってきたけど、唯一やっていないのが俺1人でバンドを背負うということ。海外にはオリジナルメンバーが1人しかいないバンドが、特にロサンゼルスなんかにはたくさんいますからね。マックスの動員力があった頃に比べれば活動規模はずいぶん小さくなりましたけど、それでも試してみる価値はあるんじゃないかと。音楽的に別の方向を向いている人間同士が、残りの人生を妥協し合って、折り合いをつけながら一緒にやること自体ものすごくナンセンスじゃないですか。俺はミュージシャンとしての自分の残りの人生をそういうことに使いたくない。もちろんそれはほかのメンバーも同じだと思っていて、各々が自分の好きな音楽を悔いなくやってもらい、俺は自分がもっともやりたいこととしてZIGGYを再始動させたわけです。

ZIGGY

──海外の場合、多くの再結成は純粋に「これがやりたい」というよりは、下世話な話ですがお金目的だったりしますものね。

森重:そういった面もあると思いますよ。特に日本では、俺らが取れるパーセンテージって作詞作曲を合わせて2〜3%ですから、1枚3,000円のCDに自分が作詞作曲をした曲が10曲入っていたとしても、たかが知れてますよね。しかも、今は良くても1,000枚単位でしかCDが売れない時代。若い頃は野心もありましたけど、今の自分にはお金のために再結成したりオリジナルメンバーで活動することはストレスが大きいし、そんなことで精神を病むのは人生の浪費でしかない。俺は今、自分が好きな音楽をこういう形で演奏するというコンセプトのもと活動していますが、周りのメンバーはみんな献身的に協力してくれるので、そこで感じた幸福をツアーなりレコーディングなりに込めて、ZIGGYを愛してくれる人たちのもとに届ける。俺にはそれが一番正論に思えるんですよね。それこそが自分がやるべきことだと思うし。

 (筆者が着ているTシャツを指差して)ガンズ(Guns N' Roses)のTシャツを着てらっしゃいますけど、オリジナルメンバーがアクセル・ローズ(Vo)だけになってバケットヘッドがギターを弾いていた頃のガンズも、やっぱり「Welcome To The Jungle」からライブを始めていましたよね。それが俺の中では合点がいかなくて。せっかく新しいメンバーで新しいことをやっているんだったら、それを聴かせることこそが俺は重要だと思うんですよ。でも、彼らはあまりにビッグビジネスだから、それをやらざるを得ない。その違いですよね。俺らのほうがフットワーク軽くいろんなことがやれる。そういうことだと思います。だって、ガンズとZIGGYはデビューが一緒(1987年)ですけど、彼らはここまで何枚アルバムを出しました?

──スタジオアルバムとなると、たった4枚ですから。

森重:そうでしょう。俺はソロアルバムを合わせたら30枚くらい出してますから。

森重樹一

──SNAKE HIP SHAKESなどZIGGY以外のバンドで歌ったものやセルフカバーアルバムを含めたら、4〜50枚はあるんじゃないでしょうか。

森重:40年くらいの歴史の中で、最低でも年に1枚は音楽を作ってこられたことこそが俺の誇りだし、彼らとは形は異なるけれども自分なりのトライアルをしてきたことこそ本当に自分がやりたかったことだしね。昨日も夜に1曲書いて、一昨日も明け方に1曲書いたんですよ。そういう意味ではライフスタイルの中にも音楽が根付いている。どれだけセールスがあるとか、申し訳ないけど今は正直どうでもいいことで……そう言ってしまうとビジネスとしては周りの人間が困るのかもしれないけどね(笑)。

 80年代の日本のバンドブーム以前、俺の記憶が間違ってなければThe Rolling Stonesでさえ日本での最高売り上げは、確か3万枚だったんだよ。(忌野)清志郎さんなんて初めての武道館の時(1981年)はまだ風呂なしアパートに住んでたから銭湯に通っていたし、「い・け・な・いルージュマジック」(1982年)が売れて初めてポルシェを買ったと言っていた。だから俺はバンドを始めた頃、日本のロックがお金になるとかビッグビジネスになるとかこれっぽっちも考えていなかったし、太宰治みたいにある種非業の死を遂げたとしても致し方ないと思っていた。若い時は「酒を飲まずに70までの人生だったら、飲んで50で十分だよ」なんてことも思っていたけど、お陰様で60までは生きられた。残りの人生で何ができるかわからないけれども、自分がストレスなく、好きな場所で「また新曲書いたから聴いてくれよ」ってスタンスでやりたいんだよ。

──過去に囚われることなく、今の森重さんで常に勝負したいと。

森重:もちろん「昔の名前で出ています」じゃあないけど、「過去のヒット曲を歌ってください!」って気持ちも嫌というほどわかる。でも、俺は今回のツアーでは新曲を全部やるし、そうしないとなんのためにやっているのかわからなくなるから。年齢を重ねるにつれて、そこは曲げられない信念になっているんでしょうね。沢田研二さんも同じことを言ってらっしゃいましたよ、「なんで過去の曲をやるためにツアーをやるの?」って。ジュリーを支持し続ける人たちは、そういう彼の生き様や男気に惚れているんだろうなって思いますね。ジュリーのように何かを極めた人たちのすごさは俺らにとっては大きな希望なので、そこに追いつけるように続けられたらなと思っています。

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