yamada.が素顔で歌を届けると決意した理由 「イラストは理想の自分になれるかもしれないけど……」

 2021年にYouTubeに「フォニイ」のカバーをアップし、本格的に歌手活動をスタートしたyamada.。これまでライブ以外では素顔を明かさずにインターネットを中心に活動してきた彼女が、今年9月に新曲「Non Border」と共に素顔を明かすビジュアルを打ち出し、新たな一歩を踏み出した。

『Non Border』yamada.- Music Video

 デビューからすでに3年が経っているが、yamada.には今だにミステリアスな雰囲気が立ち込める。彼女はなぜ歌うようになり、歌手の道へと目覚めていったのか。幼少期から現在に至るyamada.の歩みに迫る。(編集部/取材日:7月下旬)

父親がジャズピアニスト、5歳から人前で歌っていた

yamada.

ーー音楽にまつわる最も古い記憶はどういうものですか?

yamada.:父親がジャズピアニストで、生まれたときからずっと生音、生演奏に触れて育ってきたんです。親からは歌を教わったことは一切なかったんですけど、気づいたら音楽が好きになっていて、5歳くらいから父のライブに飛び入り出演して歌ったりしていたんです。

ーー5歳から!

yamada.:今思えば、それが父の夢のひとつでもあったのかなって(笑)。でも、音楽を強制された記憶はまったくなくて、私が自主的に「出る!」って。一番古い記憶というと、そのあたりになるかなと思います。

ーーということは、かなりプロフェッショナルな音楽が最初から身近にあって、人前で歌うこともわりと当たり前みたいな環境だったと。

yamada.:ですね。人前で歌うことには当時から抵抗がなかった気がします。ただその後、中学校で吹奏楽部に入って部活に没頭し出してからは、父のライブにはだんだん出なくなってーー。当時は、歌よりも楽器! っていう時期でしたね。

ーー聴くほうに関してはどうですか?

yamada.:クラスで流行っているJ-POPとかをあまり聴く機会がなくて、音楽の話題にはついていけなかった記憶があります。

ーー最近はどうでしょうか?

yamada.:最近になって緑黄色社会さんにめっちゃハマったんですよ。緑黄色社会さん、aikoさん、椎名林檎さんが三大ラブって感じです。理由はそれぞれ違っていて、緑黄色社会さんは完全に長屋晴子(Vo)さんの歌唱力です。ビジュアル的にも大ファンなんですけど、まずはボーカリストとして大尊敬っていうところから入りました。aikoさんはシンプルに「aikoかわいい!」ってところからで(笑)、歌詞の世界観とかもすごく好きですね。林檎さんはとくに東京事変が大好きなんですけど、「こんなの思いつかない!」みたいな楽曲の構成力が衝撃的で。

ーーということは、それまでJ-POPに興味を持てなかったのはべつにJ-POP自体が苦手だったからではないんですね。たまたまのめり込めるアーティストに出会えなかっただけというか。

yamada.:そうかもしれないですね。林檎さんにハマったのは父が車で「人生は夢だらけ」とかを流していたのがきっかけなんですけど、当時吹奏楽をやっていたこともあって、ビッグバンドジャズ系の音に最初は惹かれました。そこを入口に、だんだん邦ロック全般にもハマっていった感じです。

音楽の道を目指す気は1ミリもなかった

フォニイ【オリジナルMV】/yamada.(cover)

ーーその後、いわゆる“歌い手”としての活動が始まるまではどういう流れで?

yamada.:小学5、6年生のときにボーカロイドにはめちゃくちゃどハマリしたんですよ。当時はまだ『うごメモ』(ニンテンドーDSi用ソフト『うごくメモ帳』)とか『nana』(音声を録音・共有できるスマートフォンアプリ)とかを使って個人的に歌ってみるくらいでしたけど、高校3年で、コロナ禍の緊急事態宣言で家から出れなくなった時に『Pokekara』(既存曲のカラオケを楽しめるスマートフォンアプリ)を見つけてーー。そこからですね、ボカロ曲とかを歌いまくる生活が始まったのは。最初は、スマホとイヤホンさえあれば歌えるツールを手に入れたことで満足していたんですけど、アプリを通じて新たな友達がたくさん増えていく中で、自分よりももっと上手な人がごまんといることを知って、「おもしろ!」と思ったんです。

ーー井の中の蛙が大海を知って打ちのめされるのではなく、逆にワクワクしたわけですね。

yamada.:そうなんです。いろいろな刺激を受けれて自分の引き出しも増えていった実感があり、とてもワクワクしました。

ーーYouTubeをはじめたきっかけは?

yamada.:歌うことは好きだし楽しいけど、音楽の道を目指す気は1ミリもなかったのでホントにやりたくなかったんですよ。チャンネル自体も周りが勝手に作って「はい投稿!」って、なかば強引に(笑)。でも、最初に投稿した「フォニイ」(ツミキ)のカバー動画がすぐに4000回くらい再生されたり、チャンネル登録者も一気に1000人になっていたり、それを機に、あれよあれよと“YouTubeに曲を投稿する人”になっていった。そういう意味では、自分から積極的に「やるぞ!」と始めたわけじゃなくて、いつの間にか始まったような感じでしたね。流されるように(笑)。

ーーそこから、どこかでその気になったタイミングなどはあったんですか?

yamada.:いやあ……最近かな。

ーー最近ですか(笑)。

yamada.:上手い人はいっぱいいるって思っていたから、それこそYAMAADさん(yamada.が所属するSTUDIO KyoUの総合プロデューサー。ちなみに読みは両者ともに「ヤマダ」だが、単なる偶然の一致に過ぎない)に見つけてもらってからも、「本当にこれでいいのか?」という思いはずっとあってーー。でも、自分に与えてもらっている環境を見つめなおすと「こんな人生を歩めるチャンスはそうそうないかも」と考えるようになって、飛び込んでみようと心を決めました。最近ようやく(笑)。

ーー初ワンマンライブ(※1)では、MCで「歌い手として有り物の曲を歌うだけではなく、自分の音楽を表現したいと思うようになった」というお話をされていました。その意識の変化はどういうタイミングで?

yamada.:オリジナル曲を作っていく中で変わったのかな。私のオリジナル曲は全部YAMAADさんが作ってくれているんですけど、私の「もっとこういうふうにしたい」というワガママをいっぱい取り入れてもらっているんですね。そんなふうに2人で試行錯誤しながら曲作りをしているうちに、自分が生半可では絶対にダメだなという思いが強くなってきたんです。録音やライブで演奏してくれるバンドの人たちも含めて、このプロたちと一緒に作品を作っていくからには、私自身がまず、もっともっと成長しなきゃダメだなって。

ーーYAMAADさんの曲作りにも積極的に意見を出しているんですね。

yamada.:そうですね。1回全部作ってもらったものに対して、DAWの画面を一緒に見ながら「ここのメロディはこう変えたいです」とか「もうちょい短く」みたいに口を出しているだけですけど(笑)。

ーー音楽活動に対する向き合い方の変化はyamada.さんにどんな影響を与えましたか?

yamada.:なんかちょっと確かめてみたい気持ちもあって……「確かめる」っていうと他人事みたいな言い方ですけど、自分の歌がみんなにとってどういう価値があるものなのかはまだ見えていない部分も大きいので、それを見つけてみたいと思うようになったというか。YAMAADさんと曲を作り始めてからは、「私が提供できる価値というのはどういうものなのか、どうすればその価値を最大化できるのか」をすごく考えるようになりました。

 例えば、歌を褒められてもそんな人間はいっぱいいるし、「誰かに必要とされてるの?」と歌手としての存在意義を考えることもあります。音楽って人のためにあると思っていて、人の力になったり、誰かの原動力になるものというか。それを提供する側に私はなれるのかを考えてしまいますね。なので、納得のいかない音源は本当に出したくないんです。中途半端に作ったものを絶対に上げたくない。今までもそれがあって、歌とかをYouTubeに上げられない時もありました。適当な仕事はしたくないし、適当になるくらいなら活動できない。そういう意味でまだ満点ではないですし、成長したいという気持ちも同じくらい強くなっているので、以前よりも一歩踏み出した感覚があります。

ーー誰かに必要とされているかどうか、リスナーからの反応も気になりますか?

yamada.:聴いてもらっている方からのリアクションがないと続けられないですね。でも、どれだけリアクションがあっても一生満足できないとも思います。私、音楽を続けていくためには人気者にならないとダメ、という気持ちが原動力にあって。アーティストのことをかっこいいと思ったことが今まであまりないんですけど、私が実際にそっち側になってみて、悔しい気持ちが出てきたのでもっと頑張りたいです。

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