後藤真希の人生を変えた出会い 現在にも活きる“夏まゆみ先生”の教え「本当に私たちのことを思ってくれてた」

 後藤真希がアーティストデビュー25周年を迎える。1999年にモーニング娘。として13歳でデビューし、2001年にはソロデビュー。近年はYouTubeやタレントとしての活動を軸にしつつ、2020年以降はライブや音楽活動も意欲的に展開。そして今年9月には作品としては約13年ぶりとなるミニアルバム『prAyer』の発売も決定している。

 本稿では、そんなキャリアの中での貴重な出会いを後藤真希に振り返ってもらった。アイドルになったきっかけ、今に繋がる恩師からの教えなど、彼女のアーティストとしての根底にあるものに触れてほしい。(編集部)

「私の行く先はここだ!」SPEEDとの出会いの衝撃

ーー後藤さんは1999年にモーニング娘。のメンバーとして13歳で鮮烈なデビューを飾って、今年でなんと25周年を迎えます。

後藤:25年、経っちゃいましたねー。

ーーその25年間の中でターニングポイントとなった出会いがいくつもあったかと思いますが、とくにキーになった“後藤真希の人生を変えた出会い”と言えるものを挙げるとしたら?

後藤:まず大きなものでいうと……デビュー以前の話になっちゃうんですけど、最初に私の人生を変えた出会いは間違いなくSPEEDさんなんですよね。SPEEDさんがあの若さでこの業界に現れてくれたからこそ私も可能性を感じられたというか、「この世界で自分にできる何かがあるかもしれない」と思えたっていうのは大きかったと思います。それが小学校4、5年生のときで……もともと6歳くらいの頃から「歌って踊れる歌手になりたい」という夢はあったんですけど、その漠然とした夢がはっきりと形を持ったのがSPEEDさんを見たときでしたね。

ーーSPEEDが“具体例”を示してくれたというか。

後藤:そうそうそう。「私の行く先はここだ!」みたいな(笑)。とはいえ、すぐにオーディションを受けたりみたいな行動に移したわけではなく、「まずは人前で歌えるようになろう」とカラオケに没頭するようになって。家にカラオケ用のレコードみたいなのがあったんですよ。でっかい円盤を入れると、その曲のオケが流れるみたいな……。

ーーもしかしてレーザーディスクですかね?

後藤:そう! なんかそんなやつがうちに何枚かあって、それで「麦畑」(オヨネーズ)とか、「一円玉の旅がらす」(晴山さおり)とかを親の前で歌えるようにはなったんですけど、友達の前でその曲は披露できないなと(笑)。なのでそれからはSPEEDさんの曲とかを聴いて覚えて、学校帰りに友達とカラオケに行ったり、公園にラジカセを持ち込んでみんなで振付を真似してみたり、そんな日々を過ごしていました。

ーーSPEEDに出会ったことでマインドとしては明確に芸能方面を向いたけども、直接的なアプローチを起こすのはもうちょっとあとになってからなんですね。

後藤:今の話はあくまで“自分の中での出会い”って感じだけど、私の人生を直接変えた出会いというと、やっぱりつんく♂さんというか、『ASAYAN』(1995年から2002年までテレビ東京で放送されていたオーディションバラエティ番組。モーニング娘。や鈴木あみ、CHEMISTRYなどを輩出した)との出会いになりますね。

ーーまあ、そこはどう考えても外せないですよね。

後藤:うん。でも、それも本当にたまたまだったんですよ。『ASAYAN』という番組が学校で流行っていることは知ってたんだけど、私はそんなに興味がなくて。それがあるとき、「そんなに流行ってるなら一度観てみるかー」くらいの気持ちでテレビをつけたら急に「モーニング娘。3期メンバー募集!」ってデデーンと出てきて、「なにー!?」と思って(笑)。テレビに向かったまま「お姉ちゃーん! 履歴書書いてー!」みたいな。

ーーそこで一気に後藤さんの人生が動き始めるわけですね。

後藤:そのオーディションの最終審査でつんく♂さんと初めて会って、モーニング娘。のメンバーに選んでもらったことによって、私の生きる道が大きく変わりました。グループを卒業するまでの3年間で本当にいろんな仕事をしましたから。歌って踊る活動はもちろんですけど、それ以外にもドラマや映画、CM、舞台、ミュージカル……演技に関することはひと通りやらせてもらいましたし、バラエティ番組でのトークや司会、コントもやったし。

ーー普通の人が一生かけて経験するくらいのことを、その3年間で全部やってる感じですよね。

後藤:ギュギュッとね。しかもその3年間でやってきたことって、ほぼほぼ抜けないんですよ。たとえば振付がそうで、最近YouTubeとかで当時の曲の“踊ってみた”をたまにやったりするんですけど、「あのときのダンスは体に染みついてるんだなあ」ってよく感じます。

ーー事前に練習しなくてもある程度は踊れてしまう?

後藤:うん。それは私だけじゃなくて、みんなそうみたいで。辻ちゃん(辻希美)とか高橋愛ちゃんとかと踊ったときも、パッと合わせるだけで「踊れちゃうね!」みたいな。そういうのはよくありますね。細かい振付のことだけじゃなくて、パフォーマンスとしての見せ方みたいなところを徹底的に叩き込まれたことも今にすごく活きていると思います。

ーー“後藤真希のすべて”がその3年間で確立したようなイメージでしょうか。

後藤:最初の、ベースになる部分が全部そこで形成されたような感覚はありますね。

「決められたことをやるだけではダメ」夏まゆみの教え

ーーそういう意味では、夏まゆみさん(モーニング娘。「LOVEマシーン」やAKB48「会いたかった」などの振付を手がけたことで知られるダンスプロデューサー。2023年6月に死去)との出会いもかなり大きなものだったのでは?

後藤:そうですね、大きかったです。当時の私は中学生で、学校の先生にいくら怒られても全然気にしてなかったけど、夏先生は「勝手に怒ってれば?」なんてとても言える人じゃなかった。本当に怖かったし、本当に私たちのことを思ってくれてたし……「夏先生が納得してくれるくらいがんばらなきゃ」って思わせてくれる指導者でしたね。

ーーとくに心に残っている、のちのち活きたなと感じる指導などはありますか?

後藤:夏先生って、すごく感情が豊かな方なんですよ。怒っても泣くし、感動しても泣くし。だからこそ、夏先生を泣かせるくらいのステージができたときは「ちゃんと表現できたんだな」と実感できたし……決められたことをちゃんとやるのはもちろんなんだけど、それだけじゃダメで。それにプラスして自分の内から湧き出るものをちゃんと表現できて初めて成立するものなんだ、っていうのはある意味、夏先生に教わったことですね。

ーー“上手にできている”だけでは……。

後藤:足りないんですよ。それだけだと夏先生にガッカリした顔をされちゃうんで、「ああ、できてなかったんだな」って思わされたし。あと夏先生って、みんなの前でダメ出しとかをするときに、いいメンバーはちゃんと褒めるんですよ。あえてみんなの前で1人を褒めることによって、ほかのみんなの気合を煽るんです。「次は私も褒められたい!」って。私もまんまとやられました(笑)。

ーー(笑)。

後藤:そんなふうに自分の中に理想を持ってステージに臨むことの大切さを叩き込まれてるから、今でもステージに上がるときは毎回すごく緊張するんです。みんなからは「20年以上もやってきて、まだ緊張するの?」なんて言われたりもするけど、「そういう緊張じゃないの!」みたいな(笑)。

ーーべつに人前に出ることが怖いわけではないですもんね。

後藤:自分の基準を超えられるかどうかに緊張してるわけだから。

ーーもはやアスリートの域というか(笑)。そういう指導者に出会えたというのは、すごく幸せなことですよね。

後藤:はい、それはもう本当に。当時は「もうやめてー!」と思ってたけど(笑)、年齢を重ねるにつれてそう感じてきていますね。自分の置かれる立場が変わってきたこともあって、夏先生の大変さが身に染みてわかるようになったというか(笑)。それは夏先生だけじゃなくて、自分の親に対しても思うし、つんく♂さんに対しても思うし。

ーーその後……たとえばハロプロ卒業後の人生において、キーになったような出会いはありましたか?

後藤:卒業後ってなると……特定の誰かとの出会いというよりは、関わってくれるスタッフさんたちみんなで一緒にものを作るようになったことが一番大きな変化なんですよ。ハロー!プロジェクトでは基本的に「つんく♂さんの作りあげるものを演者としていかに表現するか」という戦い方がメインでしたけど、エイベックスへの移籍後は自分たちで一から考えて作りあげていくスタイルに変わって。それが私にとってすごく新鮮だったし、その変化が一番キーになっているような気がするんですよね。

ーー強引にそれっぽく言うなら、そこで“真の後藤真希に出会った“とも言える?

後藤:あははは! まあそうですね、そういう言い方もできるかもしれない(笑)。

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