「“GLAYと知り合えてよかった”と思ってもらえる生き方を」 TAKUROに聞く、30周年迎えたバンドの現状
長く活動を続けるからできること・直面すること
――両A面シングルのもう1曲「シェア」はシティポップ的なテイストを反映したミディアムチューン。「whodunit」とはまったく違う雰囲気の楽曲ですね。
TAKURO:この振り幅、どうかしてますよね(笑)。30周年記念シングルでもあるし、GLAYらしい大きい振り幅のなかでコントラストを楽しんでほしいなと。「シェア」のAメロ、Bメロのモチーフは5~6年前くらいにあって。ただ、似合うリズムがなかなか決まらなかったんですよ。ひとつのきっかけは、去年、ももいろクローバーZの玉井詩織さんに楽曲提供をさせてもらったことですね。僕が作詞・作曲、亀田誠治さんが編曲したんですが、そのときに作った「We Stand Alone」という曲がモロにシティポップなんですよ。僕もシティポップを聴いて育った世代だし、個人的にも大好きだったんですけど、これまではバンドに持ち込んだことがなくて。「今だったらGLAYでシティポップもありかもな」と思って「シェア」のヘッドアレンジをしました。
――今だから実現したアレンジなんですね。
TAKURO:そうですね。僕のDNAのなかにもあるので、こういうサウンドが作れてよかったなと。歌詞については、知里幸恵さんという方が遺した「アイヌ神謡集」の序文がベースになっています。僕らは北海道出身だし、今もボーカルのレコーディングは函館で行うことが多くて。「シェア」の歌詞も、先人たちが暮らしていた北海道の大地に思いを巡らせながら書いています。シティポップとアイヌ文化の融合はたぶんGLAYにしかできないだろうな、と。
――GLAYのルーツを深く掘り下げた楽曲なのかもしれないですね。今もなおバンドの表現が広がっていることも実感しました。
TAKURO:そうだと思います。たとえば「HOWEVER」もそうですけど、これまで発表してきた曲についても「歌詞や曲にもっと見合う演奏があるはずだ」と思っているんですよ。歌詞やメロディにおいては直したい部分はまったくないんですが、特に自分のギタープレイに関しては、いろいろと思うところがあって。今だったらあの曲をもっと正しく伝えられるはずだと思うし、それも長くバンドを続けてきてよかったことの一つですね。音源は直せないですけど、せめてライブでは本人(曲)が喜ぶような服を着せてあげたいなと。
――「シェア」のアレンジやレコーディングでは当然、今現在の知識や技術を反映させているでしょうし、満足度も高いのでは?
TAKURO:そうですね。特にデビュー当時はJ-ROCK、もしくはビジュアル系のフォーマットのなかでしか曲を作ってなかったんですよ。「カッコ悪いと思われたくない」という自我がデカすぎたし、「尖っていたほうがカッコいい」というところに支配されていたので。「いいから俺の言うことを聞け」みたいなアプローチばっかりだったし、今の自分から見るとやっぱり未熟でしたね。なので「大人になるっていいな」と思ってます(笑)。
――さらにシングルには、今年2月に行われた『QUEEN+ADAM LAMBERT「THE RHAPSODY TOUR」in SAPPORO DOME』にGLAYが出演したときの音源も収録。QUEEN+ADAM LAMBERTとの共演、いかがでしたか?
TAKURO:これから話すことは、バンドをやったことがある方、もしくはバンドが好きな方にはとてもよく理解してもらえると思います。アダム・ランバートを加えて70代になってもワールドツアーをやっているQUEENから「北海道で一緒にやらないか?」という話があったときに思ったのは、彼らに「あいつらとやってよかった。北海道っていいな、日本って素晴らしいな。ずっとバンドを続けてきたよかったな」と思ってもらえるようなサポートができれば、それで十分だということだったんです。「フレディ・マーキュリーがいないQUEENってどうなのか?」という声もあるだろうし、メンバーたちもいろいろなことを言われてきたと思うんです。ジョン・ディーコンは「フレディがいなければ俺はやらない」と参加していないわけですからね。それでも彼らはツアーを続けているわけだけど、全員の気持ちがすごくわかるんですよ。僕自身、いちばん恐れているのはメンバーを失うことなので。
――なるほど。
TAKURO:なので僕らとしては、最後になるかもしれないジャパンツアーを行っているメンバーに対して「日本でツアーをやってよかった。あいつら、がんばって盛り上げてくれたな」と思ってもらえるだけでいいなと。あと「北海道でやるQUEENのライブに出るというのは、アウェイなのかホームなのか」という感じもありましたね。「QUEENのファンのみなさんも、さすがに“GLAYを1回も聴いたことがない”ってことはないだろう」と(笑)。本番のライブは「曲たちがリードしてくれた」と感じましたね。イントロがはじまれば「聴いたことある」という雰囲気になったし、そこからは僕たちのがんばりで何とかできるので。フェスもあまり出たことがないので、不思議で面白い体験でした。
――フェスと言えば、今年は『SUMMER SONIC』に出演しますね。
TAKURO:HISASHIが気合いを入れて「俺が選曲する」って言ってるんですけど、ちょっと心配ですね(笑)。(セットリストを)攻めすぎてしまわないかなって。
TAKUROが思う“いいバンドの条件”
――そして6月8日、9日には埼玉・ベルーナドームで『GLAY EXPO '99』を再現する『GLAY 30th Anniversary GLAY EXPO 2024-2025』を開催。このライブももちろん、ファンの人たちに喜んでほしいという思いで企画されたんですよね?
TAKURO:そうですね。周年は来年の5月まで続くし、いろんなことが盛り盛りなんですよ。誰も知らないような曲だけのライブもできるし、シングルだけでやるのもいいし、過去のライブの再現もいいし、カバーライブもやれますからね。バンドでできることのすべてをこの1年間でやってやろうと思っています。GLAYが今までやってきたこともそうだし、これからやろうとしていることのプロトタイプみたいなものも見せたくて。レビューとプレビュー、予習・復習の両方をやりたいので。
――30周年の活動を通して、“この先のGLAY”も体感できる、と。
TAKURO:今回のJAYとのセッションもそうですよね。函館の高校生同士で組んだバンドが東京でデビューして、30年経って海外のトップアーティストと一緒にやれるところまで成長してきた。出会ってきたみなさんに「GLAYと知り合えてよかった」と思ってもらえるような生き方をしていきたいし、この先の活動のなかで、お互いに成長し合えた状態でまた一緒にやれたらすごくいいと思うんですよね。それはライブも同じかもしれないですね。20万人ライブ(『GLAY EXPO ’99』)の25年後に同じセットリストでやることで、ちょっと上手くなったGLAYを見てもらえると思うので。曲もどんどん出していきたいです。今曲作りをやめたとしても、アルバム10枚分くらいの曲が控えていて。休んでいる暇はないですね。
――期待してます! 3月には同じく北海道出身のバンド、怒髪天との対バンが実現しました(3月31日に行われた『風とロック さいしょでさいごのスーパーアリーナ “FURUSATO”』)。世代も近いですし、「同じ時代を生きてきた」という感覚もあるのでは?
TAKURO:うん、ありますね。その日はさわおさん(山中さわお/the pillows)も観に来てくれて、打ち上げも北海道色が強かったんですよ(笑)。その場にいた全員が全員、今も純粋に音楽を楽しんでいて。音楽を職業にして何十年も経ってるんだけど、スタートしたときの衝動をずっと持っている人ばかりなんですよね。そのときに「いいバンドの条件って何だろうね?」という話をして。増子さん(増子直純/怒髪天)が「“この人たちの仲間になりたい”と思われるのがいいバンドなんじゃない?」って言ったんですよ。本当に目から鱗というか、その通りだなと。僕、怒髪天のメンバーになりたいですもん(笑)。増子さんの話を毎日聞けるのは楽しそうだし、坂さん(坂詰克彦)、友康さん(上原子友康)もすごくいい人なので。
――GLAYもまさにそういうバンドですよね。
TAKURO:そう思ってもらえるようにがんばろうと、増子さんの話を聞いて思いましたね。僕はでも、今もそういう気持ちなんですよ。HISASHIなんて高校時代から天才だったし、「この人のそばにいたら、俺もロックな気持ちになれるかもしれない」という。TERU、JIROもそうで、「この3人のなかにいると華やかでいいな」と思うんです。家に帰ればその魔法は冷めるんだけど、GLAYのメンバーと一緒にいると何者かになれた気がするんですよね。